走ることについて語るときに [近況]
図書館で本を物色していたら、
村上春樹氏の本のコーナーの中で
「走ることについて 語るときに 僕の語ること」
という本があった。
どこで句点が入るのか?どういう意味のタイトルなのか?
よく分からないのだが、
(我ながら情けない)
ランニングについての本であるらしかった。
村上春樹氏は、小説家・翻訳家でありながら、
本格的に長距離を走り込むランナーであるのが
有名らしい。
と、いいつつも、オリンピックに出られるとか、
何とかハイとか何とか大会で優勝したとかではなくて
健康志向の市民ランナーの枠内での話であるようだ。
本を読むと、ほぼ毎日走り続けている事、
1日10km、月間300km走っていて、たまにフルマラソンに参加していることが書かれている。
すごい。
私も自転車とランニングの2つを実施しているが、
ブログにも書いた通り、去年は最長距離で1500km走ったが、
村上春樹氏の5か月分にしかならない。
もちろん、私は自転車でも走っているが、
ランニングだけで毎日走り続けるというのは、大変な事だと思う。
走っている事について、いろいろ書かれていて面白いが、
・毎日の走りはじめは楽しくない
ということが書かれていて、非常に共感する。
前日、寝る時に「明日は走ろう!」と心に決めて寝るのだが、
夜中に寝つきが悪く目が覚めたり、体がだるかったりすると、
朝、ランニングの為に早く起きたことに猛烈に後悔する。
そして、走り始めて5~10分は、苦痛で、苦痛で、苦痛で仕方ない。
どうして自分はこんな馬鹿な事をしているのかと思いながらも走る。
ところが、
10~15分ぐらい走っていると、だんだんと快調になってきて、
快調から快楽に変わってくる。
(変態だとおもう)
朝、今だと、朝日が昇る前から、静かな町を走り抜け、
海岸側に出て走っているのは、実にすがすがしい気持ちにさせてくれるし、
常に後ろ向きな自分を、前向きにしてくれる。
・・・・
気がする。
話は戻って、少なくとも、走り始めは楽しくないこと、辛いことが書かれていると、
ランニングをしている多くの人が、同じことを感じ・考えていると思うと、
何かとっても、ホッとした。
もしかしたら、
日本人に「みなさん、すでに飛び込んでいますよ」
という、何かのどこかの話と一緒で、
情けない話なのかもしれないが。
村上春樹氏の本に寄れば、瀬古俊彦さんにインタビューしたときも、
瀬古さんは「楽しいわけないじゃないですか!」って言って頂いて
ホッとした旨の記述があった。
何となく、読んでいる私も嬉しかったりする。
私の早朝ランニングは、ほぼ同じコースを走り、
そして、いつも同じ音楽を聴いている。
ゆえに、曲が、タイムスタンプになり、
今日は早い、今日は遅い!というのを把握できる状態にある。
いつも最後は100段の石段を上がり、小さな祠に頭を下げていくのだが、
この石段に差し掛かった時に、いつもの音楽を聞けているか?
が、重要なのである。
信号機には2か所、引っかかるばしょがあり、
走るスピードよりも、その信号に引っかかるかが、勝敗を分ける?事になるのだけど。
なお、走っているとき聞いているのは、
ZARDと大黒摩季である。
ZARDは優しく甘い声で応援してくれる。
大黒摩季は元気なはっきりした声で励ましてくれる。
分かっている、分かっている。
それは、幻想だ!
良いんだそれで!
騙されたことを知りつつ生きるのも人生じゃないか!
(いや、誰も騙していませんよ…)
ランニングは、手軽にできるスポーツだ。
村上春樹氏みたいに、本格的に走らなくてもいい。
彼も最初は短い距離だったが、10km/日を定着させたらしい。
私も最初は、2-3kmだったが、だんだんと距離が伸びてきて、
5kmになり15kmになり、20km、25km、、、
最終的には35kmまで走るようになったが、
あまり長い距離を走ると、翌日走れない!という本末転倒な状態になったため、
体の調子が良い10kmに落ち着いた感じである。
朝、静かな町を走るのは、大変だけど、やっぱり楽しいモノである。
ランニングから帰ってきて、
シャワーを浴びて、食事を食べて、そのまま在宅勤務。。
夕方には眠くなるので、早く寝る。
ああ、なんて健康的なんだ。
村上春樹氏が
質の良い本を書き続けているのも、ランニングで自己コントロール出来ているから
と、
思うのである。
そこまでストイックにならなくても、
明日から(今日から)出来る、気軽なランニング、みなさんもいかがでしょう?
だんだんと、日の出の時間が早くなってくるので、
これからは、暗い時間を走れなくなるのだが、
やはり、日の出直前の、空の色が急激に変わる時間は神秘的で大好きです。
村上春樹氏の本のコーナーの中で
「走ることについて 語るときに 僕の語ること」
という本があった。
どこで句点が入るのか?どういう意味のタイトルなのか?
よく分からないのだが、
(我ながら情けない)
ランニングについての本であるらしかった。
村上春樹氏は、小説家・翻訳家でありながら、
本格的に長距離を走り込むランナーであるのが
有名らしい。
と、いいつつも、オリンピックに出られるとか、
何とかハイとか何とか大会で優勝したとかではなくて
健康志向の市民ランナーの枠内での話であるようだ。
本を読むと、ほぼ毎日走り続けている事、
1日10km、月間300km走っていて、たまにフルマラソンに参加していることが書かれている。
すごい。
私も自転車とランニングの2つを実施しているが、
ブログにも書いた通り、去年は最長距離で1500km走ったが、
村上春樹氏の5か月分にしかならない。
もちろん、私は自転車でも走っているが、
ランニングだけで毎日走り続けるというのは、大変な事だと思う。
走っている事について、いろいろ書かれていて面白いが、
・毎日の走りはじめは楽しくない
ということが書かれていて、非常に共感する。
前日、寝る時に「明日は走ろう!」と心に決めて寝るのだが、
夜中に寝つきが悪く目が覚めたり、体がだるかったりすると、
朝、ランニングの為に早く起きたことに猛烈に後悔する。
そして、走り始めて5~10分は、苦痛で、苦痛で、苦痛で仕方ない。
どうして自分はこんな馬鹿な事をしているのかと思いながらも走る。
ところが、
10~15分ぐらい走っていると、だんだんと快調になってきて、
快調から快楽に変わってくる。
(変態だとおもう)
朝、今だと、朝日が昇る前から、静かな町を走り抜け、
海岸側に出て走っているのは、実にすがすがしい気持ちにさせてくれるし、
常に後ろ向きな自分を、前向きにしてくれる。
・・・・
気がする。
話は戻って、少なくとも、走り始めは楽しくないこと、辛いことが書かれていると、
ランニングをしている多くの人が、同じことを感じ・考えていると思うと、
何かとっても、ホッとした。
もしかしたら、
日本人に「みなさん、すでに飛び込んでいますよ」
という、何かのどこかの話と一緒で、
情けない話なのかもしれないが。
村上春樹氏の本に寄れば、瀬古俊彦さんにインタビューしたときも、
瀬古さんは「楽しいわけないじゃないですか!」って言って頂いて
ホッとした旨の記述があった。
何となく、読んでいる私も嬉しかったりする。
私の早朝ランニングは、ほぼ同じコースを走り、
そして、いつも同じ音楽を聴いている。
ゆえに、曲が、タイムスタンプになり、
今日は早い、今日は遅い!というのを把握できる状態にある。
いつも最後は100段の石段を上がり、小さな祠に頭を下げていくのだが、
この石段に差し掛かった時に、いつもの音楽を聞けているか?
が、重要なのである。
信号機には2か所、引っかかるばしょがあり、
走るスピードよりも、その信号に引っかかるかが、勝敗を分ける?事になるのだけど。
なお、走っているとき聞いているのは、
ZARDと大黒摩季である。
ZARDは優しく甘い声で応援してくれる。
大黒摩季は元気なはっきりした声で励ましてくれる。
分かっている、分かっている。
それは、幻想だ!
良いんだそれで!
騙されたことを知りつつ生きるのも人生じゃないか!
(いや、誰も騙していませんよ…)
ランニングは、手軽にできるスポーツだ。
村上春樹氏みたいに、本格的に走らなくてもいい。
彼も最初は短い距離だったが、10km/日を定着させたらしい。
私も最初は、2-3kmだったが、だんだんと距離が伸びてきて、
5kmになり15kmになり、20km、25km、、、
最終的には35kmまで走るようになったが、
あまり長い距離を走ると、翌日走れない!という本末転倒な状態になったため、
体の調子が良い10kmに落ち着いた感じである。
朝、静かな町を走るのは、大変だけど、やっぱり楽しいモノである。
ランニングから帰ってきて、
シャワーを浴びて、食事を食べて、そのまま在宅勤務。。
夕方には眠くなるので、早く寝る。
ああ、なんて健康的なんだ。
村上春樹氏が
質の良い本を書き続けているのも、ランニングで自己コントロール出来ているから
と、
思うのである。
そこまでストイックにならなくても、
明日から(今日から)出来る、気軽なランニング、みなさんもいかがでしょう?
だんだんと、日の出の時間が早くなってくるので、
これからは、暗い時間を走れなくなるのだが、
やはり、日の出直前の、空の色が急激に変わる時間は神秘的で大好きです。
2024-01-18 22:26
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