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桜の季節 [近況]

平日に聴いた週末の天気予報では、
日曜日が雨であるとのことだった。
先週も、先々週も、週末のどちらかが雨だったので、
自転車にはどちらか一日しか乗れなかった。
だから、3月は5日しか自転車に乗れていない。

だけど、走行距離は600km走っている。
平均すると1回あたり120km走っている。
そして、
5日のうち4日が三浦半島である。
ほぼ、同じコースを、安全に注意しながら、走っているのである。

今日は気温も高かったので、水蒸気が多く、
富士山とかの遠景を楽しむ事が出来なかったが、
代わりに、桜が綺麗に咲いていて、
あちこちに、本当にあっちこっちに、咲き誇る桜が綺麗だった。

1本しかない桜もあれば、道路沿いに綺麗に並ぶ桜もあり、
遠くの山の中で白い姿が無数に散らばっていたり、
誰かの家の庭にあったりと、
日本人は桜が好きだよな・・・と、改めて思うのである。

桜の季節は、入学式…のはずだが、
今は卒業式なのだろうなと。
ただ、卒業式って、いつなのだろう?
大学とかは3月そうそうだった気がするが、
小学校の時は3月下旬だった気がする。
在宅勤務の時には早朝マラソンをするが、3月26日でも小学生が歩いていたから、
本当に最終週に卒業式なのだろうか?
それとも、コロナで授業日数が足りず、押しているのだろうか?
いやいや、昨今の夫婦共働きの世の中なので、
学童が延長しているのだろうか?
世の中分からない事ばかりである。

最近、ネットには、そんなアホみたいな疑問にも答えているサイトがある。
便利なモノだな。。
結論としては、市町村、小中高でバラバラだが、全国的に3月25日には終わっているようだ。
だから、3月26日に見たのは、何か別のモノなのだろう。学童とか。

年老いた私は、入学式の桜の記憶は、、あまりない。
標高800mぐらいのところで生息していたので、
世の中一般的な桜開花よりも遅かったためじゃないかと思うのだが、
と、ネットで調べると、気象庁が過去の開花日を記載していた。
https://www.data.jma.go.jp/sakura/data/sakura003_02.html
(ネットって、便利だな。。。しみじみ・・・)
私が小学校の入学式は、、、あまり覚えていないのだが、雪が降っていた記憶がある。
今と違って、暖房器具も充実しておらず、衣類も保温効果も防水機能も低く、
そんな環境下でも、人間は生まれて成長していた。
だから、今時の子供達よりも生息能力が高い気がする。

イカンイカン、話がそれてばっかりいる。

昨日、Web送別会があって、参加させてもらった。
そのWeb送別会でも、話があっちこっち飛んでばかりいて大変だった。
ぶれるのは話題が飛んで楽しいのか、飛びまくるのは迷惑なのか・・

送別会は、
誰がいるか分からない、今の自分の部署ではなくて、6月まで働いていた部署の送別会だ。
2-3年間、一緒に仕事をしていた戦友だが、それぞれ昇格して異動していく。
コロナ禍で会う時間は少なかったとはいえ、
その前の時間を含め、いろいろ困惑した時間を共に過ごした日々は、やはり濃密だったと思う。
来週、いなくなると思うとちょっぴり切ない。

ニューノーマルと言われるこの時代。
またしばらく、在宅勤務の時間が続くのだろうと思われる。
また、新しい人間としての付き合い方が生まれるのだろうなと。


話を桜に戻す。
桜で心ときめく。。。
申し訳ないほどに、記憶が無い。

今日も、あちこちで桜を見たが、
写真は一枚も撮らなかった。
記憶にも、媒体にも桜は残っていないのだが、
ホッとした気持ちにさせてくれる桜は、
心のどこか底の方に、いつまでも咲いているのだと思ったりもする。

半世紀に渡る、そんな桜を見た経験が、私を支えてくれるのだろう。

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相模湾と富士山
(写真は年末の時のモノ・・・・)
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曲解 [近況]

曲解・・・きょっかい という。
意味は、事実を捻じ曲げて解釈する事を言うらしい。

中島みゆきさんの歌は、
中島さん自身が『歌の解釈は、聴く人それぞれが正しいから、
作った人の意図とは関係ない」と、言ってくれている。
誤解していても大丈夫なのよ!ということだ。
嬉しい事だ。

人間、誤解の生き物だ。
人生、誤解の積み重ねであると言ってもいい。
発する人は、こう言ったのに、受け取った人は待ったく違っている!というのは、
実に良くある事だ。
その中には、喜劇も、悲劇も生み出される。

いや、
そんな哲学論を言うつもりではなかった。

私は、昔から、理解が悪い方だった。
すこし、自分に優しい言い方をすると、
ある程度は理解できるのだが、
特定の領域だけは理解が出来ないことが、、
小さい時から良くあった。
近くにいる優しい友達が、懇切丁寧に解説してくれて理解することが、
小学校時代からずっと続いている。

今でも、会社でも、そういう事は良くある。
そして、テレワークの今日、そのサポートが受けられない。

耳が悪い私は、テレワークで、
音量調整という機能が、耳の悪さをカバーしてくれるようになって、
とっても助かったのだが、
第三者のサポートが受けられない点については、
ダメージが大きい。

いや、
そんな事を言うつもりじゃなかった。

曲解というよりは、誤解の話をしよう。
浦沢直樹さんのマスターキートンが私の心のバイブルである。
その中で、
「道(タオ)を生きるもの」
という、セリフがあって、正々堂々と自分の道を生きていく人を指すと信じていた。
が、
どこで、どう間違ったのか、
その話は、マスターキートンではなくて、パイナップルアーミーのセリフだった。
マンガの作者は一緒だが、
設定や、セリフは全然違っていたのである。

同じように、
マスターキートンの「マスター」は、あくまで”達人”であって
それ(マスター)はプロではない!プロにはかなわない。
という、セリフがあると思っていた。
その流れに近いシーンはある。
が、
そんな風には言っていなかった。

頭の中で、シーンが勝手に作られていたのである。。。

他にも沢山ある。
作り事のような話だから、無責任にいくらでも語れる。。。。
申し訳ない。
(誰に謝っている?)

最近、お気に入りの映画に、「イコライザー」というモノがランクインした。
元CIAの人が、庶民の立場から、悪をバッタバッタとなぎ倒していく爽快映画である。

そのシーンは、見どころが沢山あるが、
私の頭の中で、
「一つずつ、一個ずつ、一つずつ一人ずつ」
という、着実に、着実に、落ち着いて事を成し遂げる!
というシーンが、頭の中に出来ているが、
そんなシーンは、1つも無い。

・・・
今日、何回目、何十回目かに映画を見直したら、
「一つずつ、1ドルずつ、1人ずつ(倒していく)」
というセリフだった。
・・・
うーむ。
頭の中の美化効果は恐ろしい。

でも、
今の私の仕事は、カオス状態である。
そんな中で、頭の中で、
「一つずつ、一個ずつ、一つずつ、一個ずつ
焦るな、浮つくな、騒ぐな、落着いて」
というのを繰り返しているのである。

210321.jpg

イコライザーは良かったけど、2はイマイチだった。
プロジェクトAも良かったけど、A2はいまいちだった。
映画談議は、またそのうち。
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とっさの一言 [近況]

日本人は基本的に口下手だと言われる。
口下手…
気の利いたことを言えない事か?

先日、長女が家を掃除していた。
いつもは散らかす方で、皿洗いすらしない。
ところが、朝からずっと掃除をしている。
大学も春休みだからな・・
珍しい事もあると思っていたが、
翌日の昼ごろに、来客が来たらしい。
私は書斎で仕事をしていたので、誰が来たのか分からんかよく分からなかったが、
下のフロアから、若い女性の声が聞こえる。。。
(うちの娘の声は低いので、違うのだろう)
その日はお昼も打ち合わせだったので、お昼を食べる暇も無かったが、
ずっと、キャッキャと声が聞こえるため、
リビング・ダイニングの部屋に行く事が出来なかった。
(2階にお菓子の山を積んでおいたので、それを食べ繋ぐ・・・)

夕方、「お邪魔しました~」という声と共に帰っていったが、
声をかける事も、顔を見せる事も出来ず、黙ったまま見送ってしまった。。。

冷静に考えると、
「お構いも無く~ごめんね~、また来てね~」
と、声をかけるとか、出ていって手を振るとかするべきだったと反省する。

10代の女性に声すらかけられない、このアラフィフオジサンの小心者。
実に、、、、恥ずかしい。


とっさの一言は、なかなか出てこない。
会議等で、振られた時や、チャンスがある時に発言をするのが大切だ。
どうでも良いと思われるかもしれないが、
みとめられて、評価されて、昇格につながるので、社会人には大切な事である。
人間、見たもの、聞いたもので評価するから、
会議中の発言というのは、実に大きなポイントである。
日本人の良識である”沈黙”は、
仕事をしていないのと一緒に見なされ、評価されない。
その状態が良い事か?悪い事か?は分からないが、それが事実である。

テレビタレントも、
映っている時に、リアクションや一言が言えることが、大切である。
そんなのと一緒だなと。


私は若い頃に比べると、
表現する言葉、語彙が増え、自由にしゃべる度胸もついた。
ところが、
年を取ったせいで、言葉が出ないこともある。
いや、言葉が出てこない事の方が多い。
こまった。

先日、社外の人とのWeb会議があった。
最近は、1日で何回も社外の方とWeb会議になる機会がある。
基本的に、しゃべらないといけない。
相手方も、喋りまくる人もいる。
ただ、
Web会議なので、しゃべていいタイミングかどうか、
微妙な時もある。

1回、社内の会議で1時間、最初から最後までほとんどしゃべり続けたことがあった。
どういう事だろう?
参加していた多くの人は、どう思っていたのか分からない。
あきれていたか、聞いていなかったのか。
関心して聞き惚れていたのか、、、(それはないな)

ただ、
逆に1時間、黙って聞き続ける側になる事もある。
集中しないので、ついつい、別の事をしてしまう。
そうすると、会議の内容についていけない事もある。
本末転倒である。

そんな時に、ふと、振られて「どうですか?」と聞かれることがある。
喋れない。
一言が言えないのである。

中には、
「ごめんなさい、今聞いていませんでした」
という人もいる。
こら!って思うが、そうなんだろうな。

「あ、今、最後の方、ちょっと聞こえにくかったので、もう一度お願いします」
と、
平気で言えるようになったらたいしたものである。

あと、
社外の方との打ち合わせの時、
こちらの状況を話すならば、いくらでも出来るのだが、
相手側の話を聞いていて、質問したり、突っ込んだりするのは難しい。
質問する事は、相手の話を聞いているんだよ!という
意志表示?と、ホスタビリティにもなる。
質問すべきである。
(もちろん、疑問に思ったことは、聞くべきだ)


ただ、
質問する事が恥ずかしいのではなくて、
アイディアが、聞きたいことが、出てこないのだ。
とっさの一言が出ないのである。

多くの参加者がいれば、
代わりの人が発言してくれる、、、
、、、、
なんて考えるのは甘いのである。
静かな会議になってしまう可能性がある。
なぜならば、
みんな会議とは別の事をやっているからだ。
(やはり、それは良くないな)

でも、ちゃんと話を聞いている私が、
一言も言えないなんて…という、もどかしさもある。

社会性や、社交性、垢抜けた明るさが無い。
私は営業マンには向かない、技術者だよなーと思うのである。
ま、
それが良い、、、朴訥さが個性であるとも思うのである。

あ、
同じ技術者で、朴訥のひともいるが、
数少ない言葉で、急所・核心を突いてくる人もいる。
それがさり気無い態度であったりするので、
カッコいいなと思うのだ。

この年で何を目指しているのだろう?

210320.jpg
三浦半島の海岸線。

そう言えば、今日も三浦半島を自転車で走ったのだが、
家まで10kmのところでパンクしてしまった。
広い歩道でパンク修理をしていたら、
元気な子供がやって来て、
「どうしたの?」「大丈夫?」
と、質問攻めにあった。

元気な小さな子供たちは、
タイヤを外してパンク修理をする姿が珍しく、
バラバラの自転車と、ヘルメットを脱いで作業するオッサンの姿が、
事故に遭ったかのように思って、
興味と心配心を持って話しかけてくれたようだ。

自転車に乗っていると、人に接触することも無いし、
会話することも無いが、
とっさにいろいろ話しかける子供に、気持ちが研ぎほぐされ、
残り10kmがとても気楽に走れたのであった。

とっさの一言って、大切だなと。

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そんなにはカロリー消費していない [近況]

昨日の土曜日、目が覚めたら朝10時を過ぎていた。
我が家はのんきなモノで、10時に目が覚めたが、起きたのは私が一番最初の様だ。
(もっとも、家族との触れ合いが無いから、起きていたとしても、、何もイベントは無い)
強いて言うと、シャッター(雨戸)を開けないといけない。

雨戸をあけると、激しい雨が降っていた。
そうか、だから、誰も起きて活動しないのか。
(娘たちは、基本的に外出しないのだが・・箱入り娘なので)


余計な注釈が多く、どうも前に進まない。
親切心で、注釈やコメント、合いの手を入れるが、
これは、本題の話を分かりにくくするだけである。

会社の資料説明でも同じである。
目的→結論 
だけ言えばいいのだが、
あれも言いたい、これも言いたい、これも言っておこう!
こう言ったら誤解されるから、これも書いておこう!
と、資料が膨大になり、冗長になり、無駄になる。

シンプル伊豆ベスト!である。
あ、伊豆じゃない。isだ!
直せよ!
どこかの看板に、This is 伊豆とか書いてあったな。
伊豆の特権である。
地名のギャグは致命傷いならない範囲で砕けていいと思う。

さて、話を戻す。
土曜日は、運動をしなかった。
家でゴロゴロと、TVや映画を見て、本を読んでいた。
やる事が無いのは辛い。

仕事でもしようかと思ったが、
そんなに急がないといけない仕事でもない。
たまには、週末に仕事をしない事にする。
むしろ、仕事をしたくない。
いや、仕事が嫌いだ!
燃え尽き症候群のように、ちょっと、仕事に遠ざかりたい気分である。
(そして、そのうち時限爆弾がさく裂する・・・)

夜に、ふらっと近くのスーパーに買い物に行く。
唯一の外出である。
ふらっと、スーパーの3Fを通ると、床屋さんが暇そうだったので、
久々に髪を切る。
1200円カットである。
たった、1200円なのに、「今切るタイミングなのか?」と、悩む自分が恥ずかしい。
北陸時代、別の部署の人が、
「毎週、床屋に行っている」
という、短髪のオジサンがいた。
床屋とはもう何十年のつきあいで、日課らしい。
そういう感じの付き合いは憧れる。
なじみの店。。。
飲み屋や床屋や八百屋や魚屋。。。
一切ないな。
頻繁に利用するのは、モンベルオンライだけである。。

翌日も、ゆっくり寝た。
9時間近く眠り、起きると、晴天が広がっている。
(そして家族たちはみんな寝ている)
急いで着替えて、三浦半島に走りに行く。

特に仕事も予定も無かったので、136km程走って帰って来る。
100km程ならば、いつも補給なしで元気で帰ってこれるのだが、
そこから先、距離を伸ばすと、急激に疲れが増す。
いつもは100km以上走る時には、休憩して、エネルギー補給もするのだが、
昨日は、運動しなかったからだろうか?
無補給・無休憩で、走り切った。

走った時間は、6時間弱。
スマフォのアプリによれば、平均時速23.2km(信号ストップも含む)
獲得標高は1763m
消費カロリーは4606カロリー
(たぶん、カロリーはkcalだと思うが、表示はカロリー・・と、なっている)

4600kcal・・・大変なカロリー消費だが、
本当に、そんなに、消費しているだろうか?
ちょっと、感覚に合わない。

確かに、走り終わって、しばらく経つと、
生まれたての小鹿のように、足腰がガクガクして立っていられなくなる。
(走り終えた直後は、テンションが高いから大丈夫だけど、
一度休憩すると、もう、動けなくなるのである)
この状態から考えると、大変カロリーを消費しているかもしれず、
体へのダメージは確かに大きいのだが、
4600kcalというと、ココイチのビーフカレー5杯分である。
そんなに食べたら、カロリー超過になるのは想像に難くないし、
そもそも、このお年頃では、5杯も食べられない。

体重と時間で、計算上でこんな風に出るのだろう。
適切ではないと思われる。

ちなみに、毎朝の10kmの消費カロリーは、
800-900kcalなので、ビーフカレー1杯分である。
朝ご飯と等価ぐらいだと思うので、適切なのだと思われる。

ちなみに、20km以上走っていた時は、
1800kcalのようだ。
単純に10kmの2倍ぐらい、ビーフカレー2杯分である。
ただ、
20km以上走ると、体のダメージが大きく、翌日は走れない。
消費カロリーの問題と、体のダメージは別問題なのだろうか?

・・・
とすると、
体を痛めずに、消費カロリーを大きくする方法も、
どこかにありそうな気がする。
・・・
怪しいダイエット本でも書けそうな気がしてきた。
(いや、書けないでしょ)

ただ、自分で言うのもあれだが
(どれだよ)
お腹や腰回りに無駄な肉が無いこの状態は、
我ながら、すごいな~と思うのである。

体自慢の人が、美しい体系を披露したくなる気持ちが分からなくもない。
あ、
それが、ボディービルダーなのか。。。

彼らからしてみれば、ゴボウのような腕や足、
皮下脂肪も、まだまだなのだろうな。
もっとカロリーを消費しなくては。。
(いえ、判断が、違います!)

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昨日の雨のおかげで?
富士山も真っ白になりました。
今日は、千葉も伊豆半島も、三宅島も綺麗に見られました。
春です。
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すっきりしない・・・ [近況]

今週は、いろいろあった。
東日本大震災の発生から、10年が経過した。
あの震災から、もう、10年も経ったのか?という驚き。
この10年が人生の1/5を占めているという驚き。
(いや、歳がばれてしまうじゃないか・・・
あ、28歳です。気持ちはいつも。)

10年前、会社で仕事をしていた。
そして、その日の夜は、劇を見に行く予定だった。
そして、その劇団も、もう潰れて無くなってしまった。

人生はいろいろある。
いろいろあるのに、自分は変わっているのか?
変わっているのだろうな。

しかしTVで見る、東北の人達の、人生が全く変わってしまったことと比べると、
何のことは無い小さな変化だ。
こんな小さな変化に、汲々としている自分が小さく思える。

視線を上げて遠くを見ると、
果てしない空と、海が広がる。
足元だけを見ていてはいけない。


そんな事だが、
足元の話に、恥ずかしげも無く戻る。

3月10日は仕事のピークだった。
2分のプレゼンのために、何度も何度も練習し、
根回し含めて準備万端に整えた。
そして、無事に乗り切った。
大喜びするはずなのだが、何となく、もやっとした気持ちだけ残った。

3月10日はそのプレゼンだけではなくて、
打ち合わせも目白押しだった。
普段はとても重い打ち合わせなのだと思っていたものも、
2分のプレゼンに比べれば、ヘッチャラだった。

その他にも、打ち合わせがいくつも重複していて、
どれに出たらよいか分からない状態だったので、
自分が一番楽しめる会議に出た。
・・・
給料をもらっているのに、こんなことをしていいのか?と思うのだが、
自分へのご褒美だと割り切った。

そういう意味では、3月10日は、盛り上がる一日でもあったが、
どこかすっきりしない1日でもあった。
重大な何かを忘れている。
そんなモヤモヤ感が募る。

2週間ぶりの出社だったのに。。。

翌日も、翌々日も、いくつも打ち合わせがあり、
何とか乗り切って課題を進めた。
会社には、とても貢献していると思う。
何円稼いだという評価は難しいが、もらっている給料分以上は稼いでいると思う。

この会社には、何通りかの人がいる。
課題を解決する人。
課題を解決する人に、仕事をお願いする人。
言われたことをこなす人。
何もしない人。

こんな発言を、会社の中でしてしまうと、大問題である。
ハラスメントだ、多様性を評価していない、人材を認めていない。。
でも、
実際そんなものじゃないかと思うのである。

私の所属する、法人営業部は、
実際にスキルや技能を持つ人じゃなくて、
情報を運ぶことを仕事にしている人もいる。
確かに情報は、価値である。
その情報を知ることで、大きな生産性を上げる事もある。
だが、
口先三寸で仕事をする事を良しとする人は、
どうしてもなじまない。
なじめない。

私の同じチームの人が、
会議や打ち合わせで、ものすごく流暢に話をする人がいる。
今年、アセスメント試験に合格したので、来年度は管理職になる。

ところが、
その人は、コロナなのに、あちこちに出張に行き、
あちこちの会合や展示会に参加して、
あちこちで出版される高い雑誌[30万以上する]を買い込み、
そして、1円も売り上げを上げない人がいる。
なのに、
上司のお目見えがとても良い。
(だから、管理職になるのだが]
実は、その人の直上司が私になる。
前述の様に、口先三寸で、何の課題解決もしないので、
全く私は評価しない。
推薦調書は書いた。
心にもない事を書いて、素晴らしい人なので、昇格させてください!と書いた。
推薦調書は、特に何の役にも立たないと思うのだが、試験に合格していた。
・・・
不思議だ。

ただ、彼は、この先苦労するだろうなと思うのである。
口先だけで、解決が出来ない。
確たる技術も無い。
しかも、私と同じで、いや、私よりもハラスメントの傾向が強い。
我が強くて、間違ったことでも強要する傾向がある。
まぁ、若いから、いろいろ経験するだろうが、
彼の部下になる人も大変だろうなと思われる。

さて、人の悪口を言ったらすっきりしたか?
いやいや、していない。
私の課題が解決していないからだ。

1週間、いろいろ頑張った。
頑張って、タスク上の緊急業務は無くなっているのだが、
何となく、お尻のすわりが悪い。
何故だろう???


そうそう、銀行から、インターネットバンキングのカードが届いて、
投資した残高が確認できるようになった。
無事に、口座に入っているのを確認出来た。
当たり前だが、良かった。
ところが、
預けた金額よりも、評価金額が給料1か月分ぐらい少ない。
投資だからか、手数料が取られるとか言っていた、あれだからか。。。

最初のうちは、1日何回か、その口座の残高を眺めたが、
変動は無かった。
(当たり前だ)
FXの時には、見るたびごとに、乱高下して、
仕事もプライベートもかっさらっていってしまったが、
定期預金的な投資は、安心して任せればよいのである。

残高確認ができるようになったのに、
金額が少ないので、やはり、すっきりしないのである。


ネットでポチポチ、モンベルで買い物をしてしまうのだが、
買ったもののイメージが違って、残念な気持ちになる事がある。
今回、2週に渡って買い物をしたが、
写真で見るものと、手元に届いたものにイメージの差があり、
がっかりしてしまった。
珍しくアウトレットコーナーで値引きをしていたので購入したのだが、
貧乏人の安物買いとはこのことだろう。

もう衣類を買うのはやめようと思っているのに。。
すっきりしない。

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ランニングする時に、スマフォで記録している。
あとで、「頑張ったな俺」と、自己誉めと、自惚れをするのが好きなのである。
早朝コースは、ほぼ毎回同じところで、信号で止まったり、
山に登ったりするのだが、微妙な変化が楽しいのである。

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へんたいの感覚? [近況]

ひらがねで書けば何でも許されると信じている・・・
・・・
訳ではない。

先週は、全ての日が在宅勤務だった。
1日中家にいるから、何もしなければ、全く動かない。
月曜日は疲れが貯まっていたので何もしなかったが、
翌日の火曜日は、朝から走りに行こうと思ったが、雨だった。
その反動で、水木金と3日間、早朝ランニングに出かけた。

続けて走るので、体に負担が…と思ったが、
実は、そんなことは無かった。
むしろ、毎朝、起きてランニングをしてから、朝ご飯・仕事に移行するので、
眠気を持って仕事にかかる時よりも、スイッチが入っている気がする。
効率よく仕事するとは、このことじゃないかと思うのである。

”オレ、ランニング頑張った”と、誇らしげな気持ちがあるわけではない。
朝走るのは10km程、なので、1時間に過ぎない。
通勤時間は、片道1時間半、往復3時間の運動をしているから、
時間換算だと、随分と少ないが、
その代りに心身リフレッシュするのだ。

10km以上走ると、体のあちこちが痛くなるので、
おそらくその前で止めておくのがベストバランスなのだと思う。

20km以上走っていると、平均時速は8km程になる。
ところが、最近は、10km/hを越えて走れている。
最後は山道をよじ登るので、平地を走っているのは12km/hとかなり調子が良い。
ペースが良いと、気持ちも良いし、その日のスタートが爽快に切れる。
良いことずくめじゃないか。

が、

心と体には、山と谷がある。
今は、楽しい。
が、
そのうち、しんどくなって、手を抜いたり、止めたりするのだろうと思われる。

まぁ、気分屋の私だから、そんなものだろう。

ランニングを追えて、仕事をしていると、
右ひざの内側がムズムズする。
朝から晩まで1つの椅子に座っているから、
朝のランニングの反動なのだろうか?

このムズムズは、きっと、
朝から調子良かったよ!明日も頑張ろうね!
という、筋肉からの信号だと思っていた。
・・・
が、
分かったのは、このムズムズする筋肉は、
自転車でつかう筋肉だった。
つまり、
「おいおい、ランニングじゃなくて、自転車に乗ろうよ!」
という、右ひざの内側の筋肉からのメッセージだったようだ。

筋肉とお話をするなんて、へんたいじゃないかと思うのだが、
今日、自転車に乗って、筋肉のメッセージを聞いた気がするのである。

約1週間ぶりに自転車に乗る。
自転車は、事故のリスクが高いから、あまりかっ飛ばして走れない。
が、
スピードに乗って走るのは、実に気持ちが良いものである。

午前中は雨だったので、午後から自転車に乗った。
3時間しか乗れないので、距離は伸ばせない。
ただ、春らしく、暖かくなったなー、という実感と、
コロナなのに、この人の多さは何なんだろうか?
と、自分の事をそっちのけで思うのである。

みなとみらい地区は、普段通りの人の出だった。
春だからね。
外に行きたいよね。

自転車乗りも多くなった。
冬場は、本格的に走る人が多いので、
若い人に抜かれてしまう事が多い。
春先になると、なんちゃってランナーも走りだすので、抜きつ抜かれつ、
自分のペースを楽しむのである。

自転車で一番早い人は、どういう人か知っているだろうか?
それは、
高い自転車に乗る人?
若い人?
体育会の体系の人?
答えは、
信号無視する人である。

都心部の自転車は、基本的に信号でストップ&ゴーを繰り返す。
短距離走の繰り返しである。
ところが、
時々、信号を無視する無法者が存在する。
若い兄ちゃんと、外国から来たロードノリが多い傾向だ。

コノヤロー!と思って、追い越して注意したいが、
まず、この御時勢、注意すると社会トラブルになる。
そして、良いお年頃なので、なかなか追いつけないのである。

話は、ランニングに戻る。
ランニングタイツを履いて走っている。
モンベルの長いタイツだ。
これを履いていると、足に適度な圧力がかかり、膝が痛くない。
機能的に非常に快適だ。

今日、イオンをブラブラしていたら、ラニングタイツが安くなっていた。
買おうか、買うまいか悩んだ。
私の優柔不断と言ったら、半端ない。
悩んで、悩んで、いつまでも悩んで、
最後は疲れて買ってしまう事が多い。
(つまり悩みはあまり役に立っていない)

今日は、悩んでいる間に、職場の同僚から電話があって、そのまま家に戻る必要が出来て中断した。

家に戻ると、
自分の部屋に、沢山の服が散らばっていた。
冬の初めに、ネットでポチッとした、どうしても欲しかったモンベルのパーカーは、
あまりにも大切にし過ぎて、2回ぐらいしか着ていない。。。
どういうことだ?
大好きなモノだから、使うべきなのだろうが、
使ったら、廃れてしまうのじゃないか?というもったいない気持ちが働き、
その服に袖を通す事が出来ないのである。
ある意味、もったいないのである。

その他、悩んで悩んで悩んで買った服は、沢山あるが、
体は一つしかない。
そんなに着る事が無い。
しかも、在宅勤務だから、どんなミスボラシイ服を着ていても気にならない。
あんなに悩んで大切に買った服は、
大切にしまわれたままなのである。

やはり、本当に必要という事になるまでは、
買わないのが正しい選択じゃないかと思うのである。

ケチだよな。

なお、今着ている服。
もう、30年以上着ているものだ。
欲しかったのじゃなくて、むしろ、嫌いだった。
嫌いだから、着倒して、捨ててしまいたいという気持ちで着ている。
・・・
まるでその服が好きで、愛着を持っていると思われるだろう。
・・・
誰に?
・・・
誰も見ていない。が。

嫌いな服は、捨ててしまえばいいのに、
壊れていないモノを捨てる事に、非常に抵抗がある。
へんたいだろうか?

210306.jpg
愛着を持っている、三浦半島の城ケ島大橋から、
これまた日本の多くの人が愛着を持つ富士山。

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しつげん2 [近況]

しつげんと言っても、釧路に広がる大自然のことではない。
・・・
おい、おい、上手い事を言ったつもりなのか?

このブログは、しつげんの嵐だ。
湿原に嵐は、絵になるかもしれないが、
しつげんの嵐は遠慮すべきだろう。。

が、気にせず続ける。


ふと、ネットを見ていたら、銀行関係が心配になった。
まとまった金を入手したら、
銀行から、「投資してください」と連絡があった。
個人情報、こんなに漏れていいのだろうか?と思うのだが、
まぁ、知らないうちに、個人情報活用します!に、同意しているのだろう。
こわい、こわい。

そう言えば、子供たちの成人式の、晴れ着の売り込みの
チラシや電話がひっきりなしにかかってくる。
間違いなく、ベネッセから漏れた個人情報の影響だ。
いい加減にメンドクサイ。
ウットオシイ。。。

銀行の記事を見ていたら、
1か月前の投資した結果がどうなったのだろうか?
と不安になった。
そう言えば、投資の結果の通帳とか無いよな・・・
そう言えば、その銀行の他の支店で、社員の使い込みがあったよな。。
と、
不安になって、ネットで調べると、
インターネットで確認することになっている。

家のあちこちをひっくり返して、ようやく、ネットの接続番号を見つけ出した。
そして、接続して見たが、
いくつかのキーワードが合致しない。
ビックリするぐらい、何も合致しない。
結局、再発行申請をする事になった。
ちゃんと、投資が生きているか心配だ。

同じ銀行には、もう一つ口座を持っている。
結婚した時に、妻の家に渡したお金が返金されたのだが(結納金みたいな?)
妻の母上が銀行に行って、私の名義で口座を作って、送ってくれたものである。
今と違って、本人確認も何も無かった。
テキトウな時代だったな。

そうそう、前述の、投資の話。
銀行は私の口座が全て筒抜け状態だった。
その銀行には、会社からの財形貯蓄も実施していたので、
ありとあらゆる貯蓄を把握されていたのである。

その中の一つに、
新入社員の時に、口座を作った時に、毎月1万ずつ積み立てる定額口座があった。
それを作った時のことを、今でも思い出す。
会社の近くの銀行に、昼休みに行って、
給料振込の口座を作りたいのです!と、窓口に行ったら、
おそらく、窓口の女性も新入社員だったのだろう、
年配のおばさんが真横からいろいろ指導しながら、昼休み時間を大幅に超えて口座が出来たのである。
その時に、その窓口の人が、笑顔で「毎月積み立てる口座を作りませんか?」と
お薦めしてくれたものが、ずっと積み立てられていたのである。
一月1万円。
1年は12か月。入社以来24年あまり。。
知らぬ間に大きな金額になっていた。

その、なんというか、ほのかな記憶も、あの窓口の行員の笑顔も、、、、
新しい投資信託は、バッサリと持って行ってしまったのである。
・・・
・・・
あたらしい口座を薦めて作ってくれたのも、
若い女性行員の方だったが、
バリバリの営業マンだった。
さっさとお金を集めて、いくつかの投資口座に放り込み、
さっさと私を会社に追いやってくれた。
(昼休みだけで解放してくれたという事)

通帳が無いと、心もとない。
私が死んだら、どうやって発掘して、引き出すんだろう?

私の場合、現状のお金をすべてさらけ出してしまうと、
妻が解約して、さっさと離婚して持って行かれる可能性もある。
どこまで信頼していいのか、いけないのか。

敵は外だけではなくて、中にもいる。
いや、中の敵の方が強敵だ。
贈与税にかからない程度で、子供たちに分散しておこう。


いったい、何のブログだよ!?
しつげんではなくて、懐を事情をさらけ出すものか?
ある意味しつげんだよな。


あ、まだ続きがある。
前述の、妻のお母さまが作ってくださった口座。
仕事終わり後、駅前のATMに記帳に出かけた。
実は、、、口座にいくら入っているか、確認出来なかったので心配になり、
確認したかったのだ。
26年という記述があったから、平成26年、つまり2014年から記帳していなかったようだ。
記帳している間に、”繰り越しますか?”と出てきた。
数十円の利息分しかないのだが、記帳しているうちに、
「お手続きが出来なくなりました。近くの電話で係員におかけ下さい」
というメッセージに変わってしまった。

・・・
最近、ネットニュースで出た画面と同じ様子である。
ただ、
私の場合には、システム障害ではなくて、記帳しなかった期間が長かったので、
通帳が機械が詰まってしまったのではないか?と、
何となく申し訳ない気持ちでいっぱいである。。。

銀行は、謎とトラブルに包まれている…

210301.JPG
三浦半島の海岸線

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