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ピーターラビットとスヌーピー [どうでもいいこと]

ピーターラビット、、、イギリスの湖水地方を舞台にした
ウサギの擬人化した物語。
それぐらいしか知識は無い。

しかしそのうっすらした知識も、微妙に間違っているらしい。
湖水地方に、旅行に行ったにもかかわらずだ。

ピーターラビットは、美術品のようなウサギの絵であるが、
単にウサギが服を着ているだけではなくて、
いろいろな物語が書かれている。
愛くるしい絵で、
まだアニメーションも無かった1890年代の事らしい。
ある意味では、アニメ・漫画のパイオニアではないだろうか?

前述の知識で間違いは、
ピーターラビットの作者である、ビクトリアポータは
湖水地方で生まれ育ったわけではない。
避暑としてスコットランドで過ごしたが、
ある年から、湖水地方で避暑を過ごし、
そして、本が売れてからは湖水地方の土地を買い、自然を保護した。
そういう経緯があるようだ。
(これも、どこまで正しいか、知らない)

ピーターラビットという、新しい文化を生み出した功績も大きいが、
自然保護、環境保全に早くから携わり、
財力を湖水地方の保護に費やした点は、賞賛に値するのではないだろうか。

ピーターラビットの絵は、
小さい時から、あちこちで見かけたが、
そのおとぎ話は、一つも知らない。
でも、そんなモノで良いのかもしれない。

ピーターラビット、、、というか、
ビクトリアポーターが何で突然出てきたのか?というと、
TVの映画でやっていたからだ。
同じタイミングで、
スヌーピーもTVでやっていた。

スヌーピーの作者は、
チャールズ・シュルツという人物で、2000年まで生きていたそうだ。
いにしえのアニメだと思っていたが、
実は、ついそこまで手が届きそうなくらい、近い時代の人だったのだ。
TVで伝える伝記では、77歳で亡くなる直前まで執筆していたそうだ。
新聞の4コマ漫画でデビューして、人気をハクした作品であり、
ハッピーな話というよりは、ちょっと残念で、
ちょっとがっかりな日常を描くことで、
多くの人の共感を得た作品のようだ。
スヌーピーが主人公だとおもったが、
チャーリー・ブラウンが主人公だった(知らなかったよ)
そして、そのタイトルは、「ピーナッツ(Peanuts)」というものだ(知らなかったよ)
ライナスもウッドストックもルーシーもペパーミントパティも
聞いたことがあるが、誰が誰だか、全く知らなかったが、
TVで解説を聞きながら漫画を見ると、
愛くるしさというよりは、人間の素朴な疑問や悩みについて
深く”全米が”考える事が出来た良い作品だというのは頷ける。

多くの人の心に共感と感動を与えてきたこういう作品は、
とても素晴らしいと思う。
そして、あまりそんな素晴らしいモノや素晴らしいことを知らずに半世紀を生きてきた自分が
ちょっぴり恥ずかしい気がする。
(ちょっぴり、、、程度ですか…)

ふと、わが身を振り返ると。
(あれ?いきなり反省会?)
大したことはやっていない。
(そりゃそうだろ)
そして、今置かれている状況は、あまり芳しいモノでもない。
会社では大きなノルマに達成出来ないどころか、
新しい会社組織になじめない集団にいて、
ブーブー文句ばかり言っている、ダメな社員である。
虫けら以下である。
家庭では、家族は誰も話しかけてくれないし、
話をしても逃げて行ってしまう。
食事も、もう8年ぐらい一緒に食べていない。
お金だけは、じゃかすかカードで使われて、減っていくばかりだ。
(自慢ではないが、そこそこ年収はあるつもりだ、なのに、どうしてこんなに減っているのだろう。。。
って、妻のせいだとわかってはいる)

そんな、あまりよくない状況にいるにもかかわらず、
”今はきっと幸せだ”
と、なぜか思うのである。

どうしてだろう?
なんでだろう?

前述のピーターラビットやスヌーピーの作者の生涯の話を聞くと、
必ずしも幸せだったとは言えない。
にもかかわらず、あんな偉大な功績を残している。
何にも成していないこの私が、人一倍の幸せを享受できるのか?
いや、
身に余る光栄である。
家がある、ご飯が食べられる、愚痴をかけるブログもある。
仕事もある、やるべきことがある。
それで十分じゃないだろうか?
と。

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今日は、寒かったけど、逗子海岸から綺麗な富士山が見られました。
富士山、、見ているだけで幸せになる。
どうしてだろう?
もし登ったら、とんでもなく寒くて耐えられないのに、
美しい対象として、青い空と青い海の間に挟まれて見ている幸せ。
不思議ですな。
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むかし流行った本 [どうでもいいこと]

図書館に行って、いつも読んでいる作家の目ぼしい本が無いと、
新しい作家の本に手を出すことがある。
成功する場合もあれば、失敗する場合もある。
東野圭吾さんの本は、成功した例で、その後、ほとんどの本を読みつくした。
ただ、
東野圭吾さんの本には、「図書館で借りたり、古本屋で買うのではなくて、新書を買て欲しい」と明記されているので、何となく心苦しい。
ガリレオシリーズや、加賀恭一郎(刑事もの)は、シリーズで買いそろえても良い気がするが、
個人的には、「ナミヤ雑貨店の奇跡」と「トキオ」がオシである。

最近、図書館で手にした本が、村上春樹さんの本だ。
私が高校生の時に、「ノルウェイの森」が空前の大ヒットになった。
赤と緑の斬新なパッケージで上下巻になっていて、
当時のうっすらした記憶では、
TVで報じられる「今週のベストセラー」で、ずっと1位を獲得していた。
一人1回(2冊)買ったら、もう、買わないのだから、ずっとベストセラーというのもおかしな話で、
それまでの1位の作品は、長くても1か月ぐらいで1位から陥落したが、
「ノルウェイの森」は、私がTVのベストセラーランキングを見続けていた限り、ずっと1位だった。

どうしてそんなに人気な作品なのか?
何が書かれているのか?
多くの人を熱狂させたのは何だったのか?
非常に興味はあったのだが、
結局、その本を読むことが無く、35年が過ぎ去った。

中学時代は、赤川次郎に没頭していたこともあり、
赤川次郎以外の本は、ほぼ読まなかったし、排他的だったこともある。
また、
うっすらな記憶だが、性的描写があるというのを聞いて、
「高校生の私が読んではいけない本」
という、認識を植え付けられていた気がする。

そして、(何度も繰り返して申し訳ないが)35年過ぎて、図書館で本を借りて読んだ。
そして、、、
高校生時代に読まなくて良かったと思った。

たぶん、村上氏の青春時代を基礎として書かれた
青春小説or恋愛小説であり、
使う言葉や、舞台設定、話の流れなどは、
”かっこいい”、”流行り”、”スタイリッシュ”、”若者の先端を行く”
という感じのモノだ。
若い人がアイドルやジャニーズに没頭するような感覚だと思う。
あれが、1980年代に書かれたものだとすると、
たぶん、これまでになく、そして破廉恥で、異質なのだと思う。
だから、賛否両論が巻き起こっていたのもうなずける。

表現も独特だ。
『「ピース」と僕は言った。
「ピース」と緑も言った。』
なんだこれは!?と思わずにいられない。

そして、若い人の迷いや回想、未熟な状態での葛藤を、肩の力を抜いて捉えている。
そんな気がする。
ちょっと問題になるだろうなと思うのが、性的描写だ。
ある意味で、そっち系の文学ともとらえられるし、それが多くの人を取り込んだ要因なのかもしれない。
ただそれは、単にスケベェなだけではなくて、そこを起点にして、
心の闇や影を捉えて表現しているから、
弱い人間の姿を映しているから、多くの人の共感を得て、
(そして、共感していますと言わなくても)共感者を多数募った気がする。

もう、50を過ぎた私には、
下ネタ系で喜ぶ活力が無いし、興味も失せた。
しかし、だからこそ、客観的にこの本を読み、
そうか、そういう事か、と冷静にとらえることができるのだと思った。

大学生の娘たちには、読ませたくない本ではある。
そして、
私の学生時代、こんな生活や思考は持たなかったなと、、
持たなくてよかったなと思うのも事実である。

とはいえ、
村上春樹氏の本を否定する気にならない。
賛否両論巻き起こっているらしいが、
何も起きないよりも、波風が立つ方が、世の中を刺激して動かす、、、
文学の役目を果たしているのではないかなと思うのである。


偉そうだな。
村上春樹氏の本は、まだ2作品しか読んでいないから、
もう少し、読んでから論じるべきなのだろうが、
あんなに社会現象になったノルウェイの森、、、
50を過ぎて読めてからこそ理解できる気がする。


そう言えば、
電車に乗って、本を読む人が減っている。
もしかしたら、1車両で、1人いるかどうか、、という感じな気がする。
みんな、みんな、スマフォを見つめている。
映画だったり、ニュースだったり、ゲームだったり、SNSだったり、
なんで、あんなに、みんなスマフォを見つめているのだろう?
隣に話す人がいるのに、その人たちそっちのけでスマフォを見ている。

スマフォ文化を作った一人として、
不思議でならない。

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千葉外房の海

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買い替えの時期? [どうでもいいこと]

いろいろなものに寿命がある。
人はいずれ死ぬ。
いや、そんなだいそれたことじゃないが、寿命や期限がある。

食料品は賞味期限や消費期限というものがあり、
だいたい食品のパッケージについていて、
そして、その期限をすぎてから消費することが私は多い。
不思議である。
買ってから、直ぐに食べない。
だいたい賞味期限が過ぎたころに「ああ、そろそろ食べなくちゃ」と思うのである。
リスがどんぐりを蓄えるのに似ているかもしれない。
早く食べればいいのに。。

食品や生ものに限らず、寿命がある。
分かりやすいのは、、、、何だろう?
今、使っている(このブログを書いている)パソコンは、
北陸に単身赴任で行ったときに買ったTV付きパソコンで、Windows7で動いている。
Windows7??まだそんなものが存在するのか?と思うことなかれ、
ちゃんと動作している。
古いPCは、ウイルスとかに感染しているのじゃないか?
特に、漏れて困る個人情報などは無いので、たとえ感染していても、問題は無い。
一時期は、ウイルスソフトを入れていたのだが、
「Windows7には対応しません」という表示が出てからノーガードである。
壊れたら、、、、新しいのに変えるのだろうね。

と言いながら、今、家にパソコンは8台もある。
子供たちが学生になり、PCをそれぞれ2台ずつ持っている。
私の部屋に4台もある。
さらにタブレットやChromeBookとかもいくつもある。
こんなにたくさん欲しいのか?必要なのか?
はっきり言うと、要らない。
無駄遣いも甚だしい。

壊れたり、使えなくなったりしたら次のを準備すればいいのだが、
どういうわけか、心配なので準備したり、買ってしまったりするのだ。
無駄だ。。

この前、車検に行ってきた。
車も8年が過ぎたのだが、いずれはまた買い替えの時期がやってくる。
車検に出す前に、カーディーラーが「今、新車の予約をしてくれたら、
次回の車検代をタダにしますよ!」と甘美な言葉をささやいたが、
もうすぐ次女が車の免許を取って、
あちこち走り回って、、、、車をボロボロにするだろうから、
もう1回は、このままで良いのだと思って見送った。
ただ、
あまり、教習所にはいっていないようなので、免許が取れるか心配である。

車よりも高いモノ、、
家だ。
土曜日に、ハウスメーカの人が、家の点検に来てくれた。
外壁のシーリングや塗装、屋根瓦のメンテナンスなどの時期になるので、
そろそろ点検しては?ということできていただいたのだが、
概算で500万ぐらいかかると言われた。
500万????!?!
もう少し足せば、新しい家が買えるのではないだろうか?

しかも、外壁も特に劣化はしていないし、屋根も雨漏りをしていない。
それなのにメンテナンス台がそんなにするのだろうか?
先日、浴室の引き戸の修理を2万でやってくれたのだが、
あれは、本当に投資対効果があった。
扉が重くて開け閉めできず、無理に引っ張って閉めると家じゅうゴロゴロと低音が鳴り響き
寝ている私の睡眠妨害になった。
ああいうのであれば、必要な気がするが、
何も問題が出ていない外壁や屋根。。。。
いや、分かっていますよ、壊れてからじゃ遅いんだって。
早めにやるから安く上がるのだよね。
分かっているけど、なかなか踏み込めない投資である。
2週間後に判断しなくてはいけない。
(昔、こんなのあったな。。。こういうのは急いで判断してはいけない)

家のレースカーテンは、穴が開いたりボロボロになったので、
ネットでニトリに発注して取り替えた。
コスパもいいし、我ながらいい買い物をしたよなと思うのだが、
妻が自分の部屋のカーテンを、勝手にゴージャスなものに取り換えていた。

いろいろと買い替えるとお金もかかるが、
それ以上に、メンテナンスしたり、補修して使い続けることも出来るのだが、
思い切って買い換えるというのは、重要な判断であり、必要なタイミングだ。
ケチケチといろいろ延命したりしているが、
そんなお金は、家のメンテナンス代で吹っ飛ぶぐらいなので、
そこから考えると「ケチケチするなよ」と思わないことも無い。

ただ、最近、サスティナブルとかSDGsという言葉を耳にするが、
この考え方からすると、ものを大切にして丁寧に使い続ける。
ということにもなるので、どちらがいいのか?と、
優柔不断な私は悩み続けるのである。

パンクしたチューブが1本、大切にとってあった。
パンク修理すれば、また1000kmほど走れるかもしれない。
ただ、
サイクリング中にパンクしてチューブを取り換えるのは、
体力的にも精神的にもきついのである。
捨てるか?直すか?
悩んだ末、パンクの箇所を調べたら、空気を入れる管だった。
ここは修理が出来ないので、
心置きなくゴミ箱に捨てる事が出来た。

優柔不断な私には、
買い換え、取り替えの時期を見極めるのが難しい。
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リンゴと稲作 [どうでもいいこと]

前回のブログで、”リンゴはもらうもの”という内容を書いた。
ちょっと、暴言じゃないかと思うが、
小さいころはリンゴはもらってばかりいたのは事実である。
現在は、ふるさと納税の返礼品でリンゴを頂くのだが、
頂くリンゴだけでは物足りず、自分で買うようになった。
小さい頃に、食べ親しんだ…(そんな言葉あるのか?)
ものは、今でも食べたくなるものである。

私は長野県で生まれて、18歳まで生活をしていた。
親戚は、父方も、母方も農家をやっていて、
リンゴの畑を持っていたので、
小さい頃から、その季節になると、リンゴの収穫を手伝っていた。
その手伝いの報酬としてリンゴをもらう。
小さいときの手伝いなんて、たかが知れる。
いや、むしろ、迷惑をかけることしかしていないのであるが、
両親がそれぞれ手伝っているので、
そのおこぼれをもらっていたという感じである。

リンゴの収穫は、木に上ってリンゴを取るわけではない。
そして、地上に立って手を伸ばして取れる位置には無い。
そのため、
高い、高いはしごに登って収穫する。

遠い記憶だと、
木に上ると、木を痛めてしまったり折ってしまったりして、
リンゴの収穫に影響するから、
木に上るのはご法度・・だったと思う。

リンゴの収穫は、1つが大きくて重いので、
一度登って、そんなにたくさん収穫出来ない。
何度も登ったり、降りたりを繰り返す重労働である。

リンゴの収穫時には、木のてっぺんにあるリンゴが、
良くカラスにつつかれて、穴が開いている状態になる。
ところが、
そのリンゴが一番おいしいらしく、
だからこそカラスがつつくらしい。

さすがにそのリンゴは出荷出来ないのだが、
食べ残した残りの半分は、包丁で切り取って食べられる。
これが、
ビックリするぐらいおいしいのである。
リンゴには、蜜 がびっしりと入っていて、
ほとんど蜜だらけのリンゴもある。

歳を取ってから知ったのだが、あまり蜜があり過ぎると、
早く腐ってしまうため、出荷は難しいようだ。
現地でしか味わえないモノなのかもしれない。


リンゴの収穫の話をしたが、
我が家には、小さいな田んぼがあった。
一家四人が1年間、食べていける分の土地の広さって、こんなものか?と思うのだが、
たぶん、20m×20mぐらいの広さではないかと思われる。
(子供の時の記憶なので、適当だ。。
 いま、GoogleMapで測定したら、30m×30mだった。。。
 文明の利器はすごいなぁ。。)
5月に田植えをして、10月に稲刈りをする。
私の小さい記憶はそこしかないのだが、
大工であった父親は、田起こし、水の管理、除草、病気の管理、
米の乾燥、藁の処理、その他、、、知らない仕事がいっぱいである。
子供なので知らなくていいよな…と思って、
知識見聞を避けてきたので、
今、長野の実家に戻っても、稲作を行えない。
役立たずである。

年を取ってリタイアしたら、
生まれ育ったところに行って、農作業をするのが理想であるが、
どうあっても、植物を育てられる自身がない。

世の中、いろいろな変動があるが、
私は最終的に、農業・漁業などの第一次産業が生き残る気がする。
もちろん、華やかな生活にはならないだろうが、
細々とした
そして安定した生活は、自然と共に生きることじゃないのかなあと思うのである。

りんごも育てられない、
米も作れない。
野菜も育てられない。

うーむ。。。
今は、リンゴも米もふるさと納税でもらうしかない。
うーむ。。。
自然にあこがれ、そして、将来を考えると、今身につけるスキルは自然に生きていくことなのだが。
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犬は、猫は [どうでもいいこと]

犬派と猫派
アンケートを取ると、いい勝負になるのではないかと思われる。
日本人の2大人気ペットの種類であろう。

松任谷派中島派、、、
ちょっと私の好きな方が比率は少ないと思う。
キノコの山派、タケノコの里派、、、これも私の好きな方が少ないだろう。
リンゴ派、ミカン派、、、もはや、2つにわける意義は無いのだが、
長野出身の私としては、リンゴ派を名乗るだろうが、
コンビニで買うジュースは圧倒的にオレンジジュースである。
ミカンではない!と言い張りながら。。
でも、お店で買った果物は、ミカンの箱買いがおおい。
リンゴはもらうもので、買うものではない。
ミカンは、イベント・祝い事がある時に買うものである。

話がそれた。
昔から、家の周りには、野良猫が沢山いた。
そして、
家に入って貴重な食材をかっさらうような大胆な行動もする猫もいて、
基本的に、猫は”敵”だった。

また、中学生の時に、縁あって、犬を飼った。
とても賢い犬で、私の青春期の精神をささせる大切なパートナーだった。
野球のノックをすると喜んでボールを何度もとってきた。
指をさす方に、いつでも飛んで行って、お行儀よく飼い主の指示を待った。
子犬が生まれて間もないときから一緒だったので、
以心伝心で行動出来たのである。

自分の言うことを聞くから可愛かったのだろうか?
言うとおりに動くから好きだったのだろうか?
精神的にも未熟だった青年の自分は、そんな気持ちもあったかもしれないが、
それだけではないとも、はっきり言える。

儚い中学生・高校生の心を支えたパートナーであったと
信じて止まない。


そんな親友だった犬も、私が大学になり離れ離れになり、
そして、数年後に亡くなってしまった。


そして、大学生活の晩年には、
私のアパートには、猫が住み着いていた。
あんなに猫は嫌いで、敵対心を持っていたのに、
知らぬ間に沢山の猫たちに囲まれて暮らしていたのである。
今から思うと、非常に迷惑な話である。


あんなに犬が好きだったのに、
その時は猫も大好きだった。
自分のいう事なんて全く聞いてくれないのにもかかわらず、
猫のしぐさや存在がかわいいなと思うようになった。

大学を卒業し、
猫の住むアパートを引き払った。
その後、あちこちを転々として、
一戸建ての家に住むようになったのだが、
犬も、猫も、小鳥さえも買っていない。

隣の家で犬を飼い始めたのだが、
朝早くからヤカマシイ。
反対の家も犬を飼っているが、犬が騒ぐと「こら!静かにしなさい!」と
犬の声よりも大きい声が聞こえる。
隣の家は、騒いでも、騒がせっぱなしである。
最近はやりの騒動にならなければいいなぁと思いながらも、
もう少しゆっくり眠らせてくれ!と思う気持ちもあったりする。

自分の飼っていた犬はかわいいが、
人の家の犬はかわいいと思えないのは、やはり、私がわがままなのだろうか?
犬でも飼ってみようか?
と、
今日、TVを突けたら、
「お年寄りが犬を飼い始めて、世話が出来なくなって、捨てる人がいる」
というTVをやっていて、
いやいや、、、私のような人が、犬を飼ってはいけない!と
改めて思いなおす。

庭の畑の世話も出来ないのだ。
毎日の世話ができるわけもない。

家の周りに野良猫が生息しているが、
庭に糞尿をまき散らせて困っていたが、
くだんの隣家の犬が猫を追っ払ってくれた。
・・・

犬とか猫とかじゃなくて、
やはり、私は私が一番かわいいのだろうか。
人間として、足りないところが沢山ある。
メダカでも飼ってみようかな。。。

(いや、いや、小なりと言え、生命を扱いのはやめなさい・・・と、神の声が聞こえる)
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非常にどうでもよい話 [どうでもいいこと]

私のブログは、世の中を動かすような内容は無い。
読むだけ無駄なので、読まれることをお勧めしない。
もっと建設的な時間を過ごすことに活かしていただきたい。


じゃぁ、何で書くのか?
自分のメモである。
時々、振り返って、「おれ、あほだよな」と思うのである。


昨晩に見た夢は、なぜか覚えている。
夢は、だいたいが目覚めた瞬間に忘れるか、数分で記憶になくなる。
枕元にノートを置いて書き留めるという人もいるそうだ。
あまりそこに重要な意義を見出さないし、役立つとは思えないが、
昨晩の夢は、なぜか覚えている。

飲み会のシーンだ。
何故か知らないけど、習い事や自己啓発の会議のようだ。
そして、なぜかマイクが出てきて、
「私は、日ごろから、英会話の勉強をしています」
と、嘘を言い(夢の中で、嘘と知っている)
その嘘から、話を膨らませて演説している。
・・・
飲み会で、マイクが出てくる?
そして、英会話ごときで自慢話?
しかも、私が苦手な英語で?

そして、ホラを突き通した後に、参加者から
「もう、夜遅いですが、家に帰れますか?電車ありますか?」
と、指摘をされて、あわてて時刻検索をしつつ、
ああ、この時間(夜11時を回っていた)にはもう電車が無いよな…

で、目が覚めた。

私の幼い時の、絶大な後悔の記憶の中で、
ある友達に、とっても適当な作り話をしたことがあった。
プロ野球で活躍する選手の話であるが、
どうしてそんなウソを平気でついて、そして、
それが何日も何日も続いていたのか分からない。
当然のように、そんなプロ野球選手もいなくて、嘘はばれて非難されたのだが、
どうしても、その動機や、その創作力の起源は思い出せない。


話は飛んで、先週、海外の方とWeb会議があった。
日本とヨーロッパだけではなくて、インドとか、中東とか
いろいろな国の方が参加している会議である。
基本は英語でディスカッションするのだが、
どうしても英語が出来ない私の為に、通訳さんが用意されている。
通訳さんのWebチャネルは、みんなが参加するWebとは別に設定され、
多いときには5人ぐらい聞いているのだが、
先週は、いろいろ夏休みとか会議が途中からの人もいて、
最初は私の為だけに、通訳さんが通訳してくれていた。
誠に申し訳ない。

どうでもいい話だが、通訳さんにも、得意・不得意があるようで、
ヨーロッパの英語の方の通訳は、散弾銃のように日本語が飛び交うが、
インドの方の英語の翻訳は、途中で翻訳されなかったり、
部分的だったりして、日本語だけでは何を言っているかわからない状態であった。

今どきならば、AIや翻訳機能が訳してくれることもあるが、
通訳さんの同時翻訳は、とても分かりやすくありがたい。
たぶん、
感情をこめて話していただけるので、
困った時や、強く主張したい事、弁明すること等が
ちゃんと伝えてくれるからだと思うのである。
優秀な翻訳の方である。
私一人の為に、申し訳ない。

そんな、英語のアレルギーが、夢の中で
「勉強しています」
と、形を変えて出てきたのだろうか?
ちなみに、
まったく英語の勉強はしていない。
(しろよ!)
もう、英語の脅迫からは、逃げる事を許していただけないだろうか?


あと、終電。
何故か知らないけど、”伊勢原”駅周辺にいることになっているようだ。
朝起きて、最初に、伊勢原から私の家の駅を検索したら、
終電が11時だったから、あの夢の続きを見ていたら、
きっと帰ってこられずに、どこかで宿泊することになったのだろう。

社会人で、似たようなことが2回もある。
一つは、大学同期と新橋で飲み、時間を忘れた楽しんだ。
ふと時計を見ると、体感時計から1時間ずれている。
もう一度時計を見たら、冷や汗が出た。。。
横浜駅までは辿り着いたが、
そこから家まで、、、歩いて帰った。
(警察の尋問に2回ひっかかった)
家に着いたら、朝4時半で、その頃は仲が良かった奥さんにとてもお詫びをした記憶だ。

もう一つは、
群馬に出張に行ったとき、
やっぱり、話に夢中になっていて、時を忘れていた。
「帰りの電車大丈夫ですか?」と聞かれて
ふと、時計を見ると、電車に乗る時間だった。
大急ぎで飲み会を後にして、駅に向かったが、
当然のように、乗るべき電車がは行ってしまい、
そのあとの自由席に乗って帰った。

終電じゃなかったから、どこかに泊まったり、タクシーに乗ったりしなくて済んだ。


今週は、2回、大阪と広島に出張に行く予定である。
新幹線の終電は、当然に早い。
これは、気をつけなさいよ!という、神様の警告ではないかと思われる。


そんな悶々とした週末だが、
3-4日前は、雨の予報が見事に晴れて、2日間良い天気だった。
雨ならば、ゆっくりと本でも読んで静かに暮らそう、、
体調も良くないし(扁桃腺が腫れている)
と思ったが、
腫れているので、もとい、晴れているので、走りに行くしかない。

2日で240km。
もう、距離だけ稼ぐ走りはやめたい、、やめたいと思うのだが、
もうすぐ7万キロに達するので、そこまでは頑張ってしまう自分がいる。
何の自己満足なのか。

こんなことよりは、
夏休みを、だらーーーと過ごしている次女を、
何処かに連れ出したいのだが。。。
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もう、この写真は1か月も前の事だ。
こまったなぁ。。。
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バランスが難しい [どうでもいいこと]

ヨーロッパで活躍を繰り広げるサッカーの久保建英選手
若い時からスキルの高さに注目されている
上手いのはドリブルと、パス回し
ボールが友達、、、以上に、ボールが体の一部にようになっているのじゃないかと思う。

ところが、
チームの勝利や、得点にはなかなかつながらない。
サッカーは個人種目じゃないから、
一人の秀でた人の技だけでは、成立しない。
そこが、難しいところでもあり、同時に、面白いところでもある。


次女の大学試験が始まった。
先週実施、センター試験改めで、共通テストという名称で実施している。
模試では常にどん底の結果だった国語が、共通テストではとても良い結果だったそうだ。
どん底にいるので、ちょっとでもラッキーな事があると、点が上がる。
ただ、
得点を聞くと、、、200点満点だと、全然平均点にもいかない。
現代文が対象になるらしいのだが、それが満点がどこなのか分からない。
彼女の得点率がどのくらいなのか判断しないと、私大の共通テストの申し込みが出来ない。
・・・
さらに、他に英語と、生物を受験しているそうだが、
「お話にもならない」ぐらいの低い点らしい。
・・・
バランスは取れない。2回ヒットが出れば合格の可能性も出てくるのだが。。
まぁ、、、個別受験を頑張ってもらいましょう。


話はまた変わって、、、今日は、1時間半かけて私大の試験に行った。
そして、
試験会場まで付き添って行った。
こんなことをする親はいないだろうな。と思っていたし、
試験会場に入っていく女の子たちは(女子大なので)ほとんど一人で入って行ったが、
チラホラと、母親に伴われて校門まで2人で来る人もいた。

今日はよりによっても、電車トラブルで、
小田急線の乗り継いだ路線の急行が全て鈍行になり、
私たちも余裕を持って行ったのだが、
試験会場には、そこそこ良い時間についてしまった。

ぐるっと大学の敷地を一周して、
試験が始まるぐらいに駅方向に向かったら、
母親と小走りで走る受験生もいて、少し可哀そうであった。

やはり、何があるか分からないから、早目に会場に行くのは必須であると思う。
次女からは「あまり早く行っても、眠いだけだし、暇」と言われるので、
リスクを取って早く行くか、体調や睡眠のためにギリギリまで粘るのかは、
バランスが難しいのである。

一週間後には、8日間で6校を受験する怒涛の入試Weekがやってくる。
幸いにも、一番遠い試験会場が、今日の大学だった(2回目)なので、
移動時間は大丈夫だと思うが、
張り詰める緊張感に、我が子は大丈夫だろうか?


今日は次女を試験に送った後は、
一人で先に家に戻り、自転車に乗った。
冬の午後からなので、60kmしか走れなかったが、
何もしないよりは、まだマシなのだろうかと。

短時間だし、寒いので、ランニングの方が良いのだが、
ランニングばかりしていると、膝やつま先を痛めてしまうので、
これはこれで適度な運動に留めておかないといけないのである。
バランスが難しい。

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生きていくにも、、、、賢く生きていくにも、バランスが必要だと思うようになった。
難しいです。
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タイミングと考え方 [どうでもいいこと]

確か9月のことだったが、JR東日本が、
駅や電車に設置している監視カメラで、
出所者や仮出所者の顔を認識して、
行動を追跡するシステムを導入していることが分かり、
方々から叩かれ、運営停止をしたというニュースが流れた。

論調の多くは、人権侵害、
プライバシーの保護である。
対象者が仮に犯罪に手を染めた人だとしても、
その人には守られるべき人権がある。
・・・
その通りであると思う。


そんな中、京王線で殺傷を行い、放火をした犯罪者がいる。
動画の流量などもあり、緊迫した状態が伝えられた。
そして、
その後に、九州新幹線の中で、類似の犯罪を起こそうとした人が取り押さえられた。

そんな騒ぎの報道もあり、
その対策として、不審者検出ソリューションというモノが取り上げられた。
行動に不信な人がいると、AIが検出して、アラームを上げるというモノであり、
TV番組の中では、IT技術によって、犯罪を抑止する必要性や、
電車でのカメラ監視の必要性が訴えられていた。

数か月前までは、
こりゃいかんじゃないか!
という論調であり、
最近は、
こりゃ必要じゃんか!
という論調である。

もちろん、人を特定する顔認証、行動追跡するシステムと、
人の動きから挙動がおかしい事(人の特定はしない)システムとは
異なる点もあるから、
話の論点は違うのかもしれない。

ただ、得てして、人間は目の前の課題があれば、
具体的であればあるほど、感情的に・主観的に判断するが、
自分に関係ない事だと、論理的に・客観的に判断するように思う。

考え方は、立場や状況で変わるのは理解できる。
タイミングなんだろうな。


おかないっぱいの時に、甘いお菓子を出されても、あまり食べたいと思わない。
自転車で飲まず食わずで走り続けた後の、いっぱいの”水”は限りなく美味しい
そんなところか?
・・・
(いや、全然違う気がしてきた)

何しろ、、、
違いの分からない男ですから。



最近、毎週、会社に行くようになった。
会社に行くと、通勤で、疲れるんだよな…
211115.JPG
羽田空港のB滑走路です。
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ラグビー? [どうでもいいこと]

私の人生において、ラグビーは一生無縁だと思っていた。
いやいや、
もしかしたら、このまま無縁に終わる可能性もある。
そもそも、ラグビーなのかラクビーなのかも違いが分からなかった。
最近の文字入力は、丁寧にも直してくれるらしいから、間違っていても気にならない。
(いや、気になるだろう・・・)
アルファベットでRUGBYと書くらしいので、ラグビーだ。
茨城を”いばらぎ”と言ったり、
大坂を”おうさか”と言ったりするの似ている?
・・・
多くの人を不快にさせて、敵にさせるという点では、似ているかもしれない。


さて、ラグビーの話であるが、
この年でラグビーを始める…というわけにもいかない。
タックルなんかされた日には、
その瞬間からあらゆる運動が出来なくなる可能性が高い。

いや、見るだけならば、サッカーでも、テニスでも、
フィギアスケートでも、女子卓球でもいい。
日本の代表的なスポーツならば、
野球と相撲ではないか。
なぜラグビーなんだ?

3連休に年休を1日足して、4連休を取ったが、そのど真ん中に
会社で応援しているラグビーチームの観戦の動員があった。
同業他社は、もっと華やかなスポーツチームを所有しており、
なぜうちの会社はラグビーなんだ?と、どちらかと言うと不満があった。
毎年、期末になると経費削減・効率化を幹部から叫ばれ続け、
「お客様のためにいろいろな事を生み出す事の費用を抑えるよりも、
だれも知らないラグビーチームを解体した方がよっぽど会社のため」と思っていた。
いや、今も、少なからずそう思う。

そんな折、テレビでノーサイドゲームというドラマが始まった。
主演が大泉洋で、上川隆也も出演している。
話がそれるが、
大泉洋も、上川隆也も劇団出身の俳優である。
上川隆也は、演劇集団キャラメルボックスという劇団に所属していた。
(先日のブログで書いたように、キャラメルボックスは倒産してしまったが・・・)
私は、キャラメルボックスのサポーターズクラブにも参加していたこともあるので、
上川さんが出るテレビは割と見る方である。
そして、今回のノーサイド・ゲームを見る事になったのだが、、、
非常に面白い。
これは久しぶりにドラマが楽しめると言える番組になる気がする。
大泉洋演じる、会社幹部もコミカルで、松たか子演じる奥さんに怒られてばかりいる。
そして会社内では、西郷輝彦や上川隆也演じる会社幹部とのやり取り、
さらにラグビー部員を、本当にラグビーをやっているだろうメンバーを集め、
肉薄した心と体のぶつかり合いを演じている。
いやー、面白かった。
会社の中で、ラグビーなんてお荷物でしかなく、誰も応援しないどころか、知らないよ!
という点も、私の置かれている状況と共感出来て、
ドラマを見ているうちに、何となくラグビーに興味を持てるのじゃないか?と、
ミーハーな気分になっていた。

そんな心の変化を受けた中で、
小雨降る秩父宮ラクビー場に向かった。
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会社の人が多く動員されているから、探せば知り合いもいただろうけど、
雨に濡れたベンチに一人で座り、2時間あまり観戦した。
190715_2.jpg
試合の結果は、と言えば、
惨敗だった。
素人の私、、、初めて見た私ですら、
「これはあかんな」と関西弁で突っ込んでしまうような技量とパワーの差だった。
何回かスクラムを組むのだが、潰されてあっと言う間に押し込まれてしまうのであった。

そんな惨敗であったが、
やはり、スポーツ観戦は面白かった。
いいプレーが出た時に、スタジアム全体が”ウオー”と盛り上がる一体感。
負けていると言っても、あきらめずに走り続ける姿には感動を覚えた。
そして、ラグビーには、
”ノーサイド”
という考え方がある。
ドラマのタイトルにもなっているのだが、
試合が終わった瞬間に、敵味方なくなること(相手も味方も称え合う事)である。

ぶつかったり、引っ張ったり、押したりするスポーツだが、
紳士のスポーツらしい。
いや、どう考えても紳士じゃないよねって思うけど、
紳士の精神が無いと、成立しないスポーツなのだろうと思うのである。
(単に、子供の喧嘩になっちゃうという意味で)

そういう意味を知っていたから、(1日前に、、TVで)
試合が惨敗で終わっても、楽しめたのだと思う。

勝敗は関係ない!・・・とはちょっと違う。
スポーツなので、勝敗は大切だ。
サッカーの試合などでも、終わったら泣き崩れて立ち上がれない人もいる。
やはり、そういうのも大切なような気もするが、
”良いプレーをした、頑張った!”と讃えるスポーツがあっても良いような気がした。
それがラグビーなのか?と思って、最後まで見ていた。

正直に言うと、
まだ試合自身が面白いかどうか、微妙である。
ルールもちゃんとわかっていない。
オー!と手をたたいて喜んだら、相手のボールだったこともある。。。
(一人で見ていてよかった…)

ドラマと一緒に、ラグビーを観戦することになるのだろうか。
そして、
今年のワールドカップも観戦に行くのだろうか?

テレビドラマもそれを狙ったものだろうけど、
素直な私はまんまとはまっていきそうだ。

ラグビーか…

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勝負事は好きじゃないはずだが… [どうでもいいこと]

将棋の世界は、勝負の世界である。
指している人は、その一手、一手が重要であり、勝敗よりも
その手順や、タイミング、気合が大切なのかもしれないが、
その結果として、勝敗が付きまとうので、やはり勝負の世界なのだと思う。
将棋は、小さい頃、学校で遊んだ記憶がある程度である。
なぜならば、「全然強くなかったから」である。
どちらかというと、深く考えずに猪突猛進して、コテンパンにやられるタイプである。

ああ、今の性格と一緒だ。
分かっていても、売られた喧嘩は必ず買ってしまい、
このまま突き進めば、悲惨な状態が分かっていても、常に直球勝負になる。
残念な、”アホ”と呼んでおこう。

そんな事じゃない、
将棋の話だ。
長らく、羽生善治九段が専権していたように思うのだが、
今や藤井聡太七段が世の中をにぎわしている。
とても若くして優秀な棋士であり、年齢相応に控えめなのが人気を博しているのだろうか?
私はその2名ぐらいしか知らなかったが、
将棋のタイトルは、いくつもあって、メインとなるタイトルを持っていないようである。
https://www.shogi.or.jp/match/

将棋を知らない私が、順位やタイトルの事に興味があっても、
正直言って意味が無い。
ミーハーであり、本質を理解できず、騒いでいる馬鹿者である。(騒いではいないけど)

ただ、
これを見て思うのは、勝者はいつでも勝ち続けているわけではなくて、
負ける事もある。
負けたら即引退ではない。
しばらく負け続けていても、また復活する事すらある。
羽生さんもタイトルを無くしてしまったけど、それでも去年の賞金ランキングは1位らしい。
まだまだ勝ち続けていること言う事か。
負けても次がある!というのが、スポーツの勝負の世界と違うのかなと思うところである。


ボクシング等は、チャンピョンに上り詰めても、
チャンピョンから陥落すると、すぐに”引退”という文字が付きまとう。
そんなに簡単に引退してしまうならば、ずっと2番目に居続けて、
年を取って最後にチャンピョンになればいいじゃないか!と思うのだが、
そういうモノでもないらしい。

プロ野球の選手も、
ピークを過ぎると引退して、食堂等の経営を始める人が多いイメージがある。
(イメージだ、、、正確なところは分からない)
ずっと野球をやり続けたら、ある日突然ホームランヒッターになったりしないのだろうか?

私がやっている自転車で考えると、
一度、筋力が衰えたらば、そう簡単には復活出来ない。
年を取ってから、トレーニングに励んでも、若い頃のように、弾みながら坂道を上る事は出来なくなる。
ただ、代わりに忍耐力に紐付かれる持久力は伸びる。
そういう意味では、延命力があるのかと思っていたが、
最近は、その持久力も”絶対的なパワーが足りない”という点で、欠落していることを自覚する。
やはり、勝負事のための勝敗は、時間軸的に光り輝く一瞬があるのかもしれない。


自転車と言えば、ツールドフランスが始まった。
7月6日から7月28日までである。
今回は、日本人選手の出場は無い。
世界的なイベントだが、日本ではそれほど注目度の高いスポーツではない。
ネットでライブ配信を実施しているようだが、そこまでしてみたいか?というと、そうでもない。
レースレポートがJSportsで記載してくれていてありがたい。
https://www.jsports.co.jp/cycle/tour/result/

これも勝負事である。
私自身は、勝負事はあまり好きではないが、
それでも、誰が一番なのだろう、どういうレース展開をしているのだろうか?
というのは気になるものである。
・・・
やはり、野次馬なのだろう。


ここまで書いて、ふと、テニスの錦織選手の事を思い出した。
今はウインブルドンで活躍中である。
あまり優勝経験は無いが、負けても次に向けて頑張り続ける素晴らしい選手だ。
そういえば、テニスも優勝しても、次に勝てなくても、ランキングが落ちても、
まだテニスをし続ける人もいる。
そう思うと、「ピークを過ぎた=引退」ではないんだな。
スポーツの世界の勝負事も。
と、思うようになったりする。

・・・
何だかよく分からないブログになった。
(いつも通りじゃないか・・・)


最近、自転車でもランニングでも、
1回あたりの距離が伸びてしまい、自分の負荷になっている。
なんと、今年のランニングは10km台が1回しかない。
あとは全部20km以上走っている。
健康ならばよいのだが、だんだんと疲労がたまって来てしまい、
ちょっと走る元気が無いと、「今日は走るのはやめておこう」となってしまう。
本末転倒である。

引退ではなくて、末永く楽しむべきスポーツなので、
自転車でもランニングでも、ほどほどにしておこうと思う、梅雨の休憩日であった。

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散歩に行ってくれる次女・・・
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天衣無縫ナリ [どうでもいいこと]

週末の雨が続いている・・・
自転車に乗れないじゃないか!
ずっと雨続きかと思えば、平日は晴れている日もある。
嫌がらせか!と思ってしまう。
(そんなわけはない)

だからというわけではないが、平日、お休みをいただいた。
そして、自転車に乗った。
125km程走ったが、1日がそれで終わってしまった。
(走り終わった後は休憩していたら夜になってしまった)

こんなことではイカン!と思っていたが、
今日、ふとみたTVに86歳のトライアスリートがTVに出ていた。
86歳?
しかも、多くの若者がタイムアウトしてしまうレースも完走するほどのタフぶりである。
自転車のペダルを漕ぐスピードは、私より早いかもしれない。
86歳であるぞ。。。
日頃のトレーニングも紹介されたが、
インターバルトレーニングも取り入れた、かなりハードなトレーニングだ。
食生活も自己管理が徹底されている。
76歳でも、66歳でも、56歳でも46歳でも無い、、、86歳だぞ。。

ちょっと自転車に乗ったぐらいでピヨピヨしている自分が情けない。。。


さて、
前述の年休は木曜日に取ったのだが、
翌日の金曜日は会社で仕事をしていた。
休みの翌日は、いなかった時の仕事が溜まって忙しい事が多いのだが、
この日は、終日割と暇だった。
つまり、2日間休んでも良いぐらいに、暇だったのである。

ふと、会社の中枢を担っている同期が私を訪ねてくれて、
「いそがしい、いそがしい」と言いながら、いろいろな情報をくれた。
情報をくれつつも、バックで戻す情報が彼の次の仕事に活かされる。
多忙で睡眠不足で、業務品質が下がるほどだ!という彼がとてもうらやましかった。

ふと、こういう状況に置かれた時、
自分の立ち位置や、これまでの流れを見直すことがある。
昔もこうやって見直していた時には、最繁期が過ぎ去って落ち目になって行く時だった。
その時も、過去の栄光に酔いしれながらも、落ちていく自分がもどかしく、
それでいて成すすべがない状態だった。

スランプとはちょっと違う、凋落を辿る日々という感じである。
老荘思想がぴったりくるような感じである。

折しも、図書館から借りた本が老荘思想に関する本だった。
帰りの電車の中で読み続けたが、
いちいち心に浸みた。
(大丈夫か?オレ?)


あ、いや、残念な気持ちとか、悔しい思いはあまり無かった。
自然体で生きていることが、とても嬉しい事なんだなと思ったりする。

その中で、
天衣無縫 という言葉が、私の心に響いた。
私が求める生き方なのかもしれないと思った。

私は、そんなに幸せな人生であるとも思わないが、
かといって、不幸な人生ではないと思う。
言いたいことを言って、やりたいことやって生きてきた。
宗教や政治団体に所属することも無く、
誰かに負い目を持ったり、優越感を持ったりして生きる事も無く
自由だーーー!の素のままである。

会社の中でも、私の立ち位置は微妙だ。
もうアラフィフのおっさんだから、貫禄を持つべきだが、
挙動不審で、発言内容も軽い。
その一方で、会議等でも思ったことを不意に(自由に)発言するので、
割と存在感はあるような気がする。
ただ、内容があまりにへんてこだったり、笑いを誘ったりするので、
議事録に残らない事が多かったり、
話し始めると、周りの人が、笑顔…(失笑?)していることが多い。
たぶん、そんな愛される(?)キャラなのだろうと思う。
そういう意味でも、”天衣無縫”だと思っている。


ただ、根が暗いから、「天真爛漫」とはちょっと違う。
辞書等によれば、天衣無縫は天真爛漫と同じような意味と記載しているところもあるが、
いろいろな人に対して明るく元気に付き合ったりしていない。
自分勝手に、何の疑問も持たず、何の苦労もせず、のびのびと自由に生きている…
という意味合いで、私の人生は「天衣無縫」という言葉が当てはまるような、、、
そんな気がする。

いや待て、もともと、天衣無縫は、天空の人(すなわち、神)の衣類は
縫い目が無い(完璧)ということで、
自由気ままというのとは語源が違うらしいぞ。

まぁ、いいか、言葉の枠の中に入りきらない事も含めて、
私は天衣無縫なのだと自称して行こう。
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天衣無縫を育てた信濃の山
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適正価格 [どうでもいいこと]

スーパーで買い物をして、レジ打ちで精算してくれている時、
普通は何をしているのだろうか?
私の場合、けち臭いと思いながらも、値段が正しく打ち込まれているか確認していることが多い。
最近は、手で入力することも無く、バーコードなのでそうそう誤ることは無いのだが、
それでもどういうわけか、表記価格と異なる事が何回かあったりする。

私の家の最寄駅に、スーパーが存在しないという時代があったが、
その反動で、現在は大型スーパーが2店並んで存在している。
後からできたスーパーは、〇Kスーパー(←一応、〇で隠しています)という、
値段が安い!というのが売りのスーパーであり、
その前に出店した、Aピタ(←アルファベットで隠してみました)の顧客を奪い取るかのような勢いだった。
たかだか、1つ数百円のモノなので、10円も変わらないのだが、チリツモ理論で大きくなる。
だから、一時期は、本当にAピタの食品売り場が閑古鳥が鳴くかのような状態になったのだが、
不思議な事に、だんだんと両方のお店にバランス良くお客が流れるようになったのである。

〇Kスーパーは、確かに安いのだが、
開店一ヶ月もすると、だんだんと、じわりじわりと、値段が上がっていった。
それでも、Aピタに比べると、まだ安いアドバンテージがあり、
現金しか使えないという制約があるものの、私も〇Kスーパーを利用していたのである。

ところがある日、
〇Kスーパーのレジで、値段を見ていると、記憶と違う価格が表示された。
わずか30円程度であるが、何となく違和感と、嫌な感じがした。
それが、2度3度あり、今日も〇Kスーパーにいって298円のモノを買ったら、
358円と表示された。
うーん、、、と思ったが、「表示されてた価格と違うんですが・・」とレジのおばさんに話しかけると、
若いお兄さんが飛んできて、商品棚まで確認して来て
「確かにお客さんの言われる通りでした。358円で売っているものですが、今回は298円に訂正します。」と価格を修正してくれた。
ああ、そうですか。。もともと358円なのだね。
と、思ったけども、
冷静に考えれば、モノを買う時には、表示された価格を参考に購入する。
それが高ければ、他の店で買うという選択肢だってあるのだ。
しかも、1割以上価格差が発生していて、「もともとそういう価格のモノです」と言われても、
なぁ・・・
と思うのである。
ので、
「こういう事が、何回かあるんですが、言った方がいいですかね?」
と、お兄さんに話しかけると、聞こえなかったかのように立ち去って行った。

そうか、〇Kスーパーの客足が減っているのは、そういう事なのか。
多くのお客さんは私のように、「あれ?値段違うよな・・・」と思いつつ、
「数十円だし、良いか。もう、来るのやめよう」
と、思ったのではないだろうか??
不誠実で意図的にそうしているのか、管理がずさんなのでそうなったのかは不明であるが、
表示価格と支払価格が異なるのはやはり、だまされた気持ちになり、
金額の多い少ないでは無くて、嫌な気分になるのである。


似た様な話。
携帯電話の料金が、欧米に比べて高いから安くせよと、政府から圧力があり
価格低減に向けて取り組みが始まった。
私の立場からこういう事を言うのは、おこがましさもあるが、一つ言わせてほしい。
「適正な価格」って何だろう?
比較の問題だろうか?

携帯電話は、今や、電話だけのツールではない。
カメラがあったり、ゲームがあったり、スケジューラーだったり、
インターネットツールであったり、お財布だったり、
生活のありとあらゆる場に寄り添って使われる、超高機能の機械である。
それが0円近い値段で売られていた時代。。。。
は?
適正価格?
何だそれは?

その考え、価格構造がおかしいと、一部の携帯電話会社が取り組みを始めた。
その結果、ユーザに見えるのは、店頭で3万~10万で売っている通信会社と、
今まで通りに0円で販売する会社。
普通に考えたら、後者の会社を買うだろう。並んで売っていたら。
現実的に、ある一定期間は、凄まじい勢いで、お客様が減り続けたらしい。
が、
止まった。

分かりにくい料金構造であるが、
結局、0円で売った会社は、慈善事業じゃないから、後から取り返すために、
いろいろな料金回収システムで売り上げをあげる。
今から数年前になるが、覆面調査で、ユーザが支払う金額を調べたところ、
0円で売っていた白い犬の会社が一番高かったという結果になったのである。

現在、MVNOという、通信基盤を持たない事業者が、事業を立ち上げている。
MVNO事業者は、通信基盤を持つ会社に利用料を支払う。
普通に考えれば、中間マージンが発生する分、高くなっているはずである。
が、
ユーザに見える金額は、遙かに安い。
この構図で、トータルコストがどっちが安いのかを、
覆面調査などをして、しっかりと見極めてほしいものだ。

通信事業者は、月額使用料の収入の他に、
サービス系と連動した事業を展開している。
例えば、K社であればスマートバリューやau Wallet等のサービスがある。
D社であればdocomo光やdカードのサービスがある。
携帯電話料金が光通信料や、クレジットカードのポイントで返還されるため、
実質の支払額は、かなり安くなるのである。


もちろん、料金の適正化は、比較の問題らしいから、
安くなればなるほどよい。
でも、
昨今のニュースであったように、
水道料金はどうなのだ?
原油価格はどうなのだ?
見ていないN〇Kの受信料はどうなんだ?

政府が「お前、ちょっと安くせいや!」と、言いやすいところに文句を言って、
国民の機嫌取りをしているだけではないだろうか?

そもそも、消費税のみならず、
税金だって、適正なのか?
私の一番大きな出費は、税金じゃないのか?と思うのだ。

ただ、
税金は、日本国民が全員、「しかたない」と思う、必要経費だと思う。
いくら頑張っても、反対しても、太刀打ちできない。
勝てない。
だから、安くできるものから取り組むのだ。
近くの激安スーパーに通うのである。
嫌な思いをしても。


追記するが、、、税金というのは、ちょっと難しいと思う。
一概に無駄なモノにはならないし、サービスの対価ではないからだ。
個人的な思いとしては、もっと税収を高くするべきだと思う。
社会構造の適正化は、専門家の力を頼らざるを得ないが。


うーむ。
激高して、めちゃめちゃな内容になってしまいましたな。
人間、金の事でピーピー言うと、
その人の資質というか、格というか、品というか、、、何かを失ってしまう気がする。

良いサービスを受けるために、対価となるお金を払う。
ケチケチしない。
そして不要なものは買わない。
・・・大人じゃないですか。

50円ごときで、レジで指摘してはいけないのです。
むしろ、「勉強になりました」と、にっこり笑って500円余計に払う余裕が欲しいものだ。
(無理だけど)

そういえば、
過去に読んだ本で、「1000円以下は気にするな、100万支払う時には注意しろ!」と書いてあった。
昨日、車検をめんどくさくなって、カーディーラーに申し込んだけど、
5万ぐらい違うんだよね。。。。
・・・
ケチケチするんじゃない!
高いサービスを享受しているんだ!

我ながら情けない。
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変えられない自分 [どうでもいいこと]

先週の台風は、凄まじかった。
私が通勤で使う京浜急行は、その路線自体は元気に運行していたが、
JRが止まってしまったことの振替輸送で、人の流入でダウンしてしまった。
やはり、私鉄とJRでは、規模や影響度が凄まじく異なるという表れであろう。

通勤だけではなくて、家のウッドデッキやお手製の駐輪場も台風で被害にあった。
それぞれ立て直しの時期だったから、、弾みがついた?のかもしれない。

10月になって、会社の自分の事で大きな変化があった。
今までこういう事が起きる時って、身の回りで何か、”空気が動く”事があったのだが、
今回は嘘のように・・・実は何も無かったかのように、前後で何も変わらなかった。
確かに、仕事をしていても、何も変わったことは起きていないが。


先月、自転車を買った。
30年ぶり(正確には29年ぶり)に買ったので、もっと心が躍るべきで、
変化にドキドキして、新しい自転車にヤンヤヤンヤと大騒ぎするはずなのに、
・・・普通に乗り換えただけである。
サイクリンググローブとか、サングラス、レーサーパンツも新しくなったから、
もっと、心身ともにフレッシュになっても良いような気持ちなのに、
なぜだろう?なんでだろう?
この”いつもと一緒”の感覚は。。

結局のところ、変わるとは、
自分がどう思って、どう行動するか?かもしれない。

何か、自分に”変わったぞ”というアクションを取らないと、
覚醒しないのではないか?という疑念もあり、
”高いワイシャツ”を買いに行った。
(所詮、私が出来るのは、そんな些細な事なのです・・・)
が、
買い物を終えて私が手にしていたのは、バーゲンの安っすいワイシャツだった。
小さい変化も出来ない、小心ものなのです。

自分がどう意識して、どう変えていくのか?

結局は、自分は変わろうとする意志が低いのである。
私自身が変わらないと、何も変えられないのに、
変わらないと、この先に困ることになるのが明確なのに、
決意と勇気を振り絞って変える事が出来ない。
やっぱり弱い人間なのだなと思う。


ずっと遊び続ける子供たちに、
「このままだと、将来困ったことになるぞ」
と、言い続けているが、子供たちは、私の言う事は聞かず、
遊び続けている。
結局、一緒なのだ。
人に言われて変わる人はそんなにいない。
自分が動きたいとおもって、動かない限りは変わらないのである。


いかんいかん、哲学っぽく、お説教っぽくなってしまった。
話を変えよう。

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今日は久々に自転車にのり、130km程走ってきた。
台風の影響で雨が降る・・・なんて言われていたが、天気は良好で、
日中は風も強くなかったので快適に走れた。

自転車と言えば、、、大阪の拘置所を脱走した若者が、
自転車旅で日本一周する人に模して、九州まで逃走していた。
これまでは、自転車旅をすると、「すごいね」「頑張るね」とか称賛されていが、
ここで一気にイメージダウンである。
自転車に荷物を積んで走っている人は、逃亡者と疑われ、
職務質問に会う事になってしまうだろう。。
残念である。

確かに、自分も小汚い姿で日本中を旅して歩いていた。。。
その話は、また、別途。

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日本の携帯電話代は高いか? [どうでもいいこと]

この記事を書くと、反感を買うだろう。
が、ちょっとだけ、書かさせてください。

夏休みの終盤、どこかの菅さんとかいう偉い人が、
「日本の携帯電話は高い、4割ぐらいカットできる」
と、発言した。
「高い高い!安くしろ」という、苦情ではなくて、具体的な数値を交えてコメントされている。
単に、人気が落ちてきた内閣が、国民の支持を取り付けようと、
関心を引く発言をしている
(いわゆる、パンダ発言と呼ばれるもの)
という事も、考えられるが、
携帯電話の監督官庁となる、総務省大臣を飛び越えての発言なので、
とても強く思うところがあったのだろう。

私も、もちろん、安い方が良い。
消費者がお金を抑えたいのは当たり前だ。
私も買い物をする時には、1円でも安いものを買っている。
心を込めて高いものを販売しても、同じものであれば、
安い方を選ぶのが消費者の正しい判断だと思う。


私の友達も、随分と安い携帯電話に移って行った。
最初は、キノコの寡占状態だったけど、白犬に移る人が多く、そのうちオレンジの会社に移る人が多く、
そして、その後はもっと安いMVNOに移る人が多くなった。
水は高いところから、低いところに、、同じように安い方に、安い方に。。。
それは正しいと思う。
(最近は、安い白犬やオレンジからMVNOへの移行が多いから、安さを求める人が移動するのだろう)

ところが、見せ方・見え方等はいろいろ変わるが、
実質的な料金は、あまり差が生まれない…というのが正しい料金構造である。
(どこかで必ず帳尻が合うのである)
私はキノコの会社で契約しているが、私の月額支払料金は800円(シンプルプラン)。
家族で5G(+学生2人でさらに2G追加の合計7G)パケットシェアパックで6500円だが、割引もあり実質5700円。
家族で4等分すると、私一人の支払い負担は2300円程度になる。
(さらにdポイント等の割引も着くから、実質2000円ぐらいだ)
家族4人携帯を持つと、家族によっては通話が多い人やiPhoneの人(高い)もいるから、
1万を超えるのは事実であるが、、、これが高いのか?という事だ。

((スーパー裏ワザだが、シェアパックは、スマフォをあまり使わない、生計を一にしないジジババも組み入れられる、親孝行のために組み込んであげてください。一族トータルでグッと安くなります))


今回の菅さんの発言に対して、
「そうだそうだ!高すぎる」というメディアは6割程度。
「いや、実はそうじゃないよ」というメディアが4割程度存在する。
意外と、発言内容に懐疑的なメディアも多かった。

一例は、、、
https://www.sankeibiz.jp/business/news/180829/bsj1808290500001-n1.htm
要約すると、イギリスやフランスは日本より安いが、
アメリカやドイツ、韓国等は高いという。

ただ、
私はこれも正しいとは思えない。
発展途上国も、携帯の普及が進んでいるが、
1台当たりの支払いの金額は、これらの先進国の10分の1程度になる。
ワールドワイドで見ると、高いのは事実だ。

こうなると、分かるだろう、、、
それは、料金とは、インフラの整備状況や、利用環境、文化、環境、、、いろいろなものを加味した上で
考慮しなくてはいけないという事になる。
国同士で比較すること自体がナンセンスなのだ。

日本の都市部で生きている人を見てみよう、
みんな、四六時中、スマートフォンを見つめて生活している。
それが無かったらどうなる事か。
24時間中、スマートフォンに依存している度合いからすると、
この金額が高すぎると言えるのだろうか?

もちろん、
この日本人のスマートフォン依存、携帯電話依存は良くない文化だと思う。
私の子供達も、依存症であり、出来れば、手放して生きて欲しい。
調べること、情報を得る事よりも、自分の頭で考える事に時間を割いてほしいと思う。
時々、スマートフォンが憎くて堪らない事がある。
が、
それと、料金構造は別だ。

また、スマートフォン、、、機能として、
カメラ、目覚まし、音楽プレーヤー、インターネット検索、メール、カーナビ・・
場合によっては会社の決裁、スケジューラー管理等、様々な機能が濃縮されている。
こういうツールを一つずつ買ったら、いったいいくらすると思うのだろう。


政府が介入して、料金構造を見直す必要性は理解している。
ところが、過去にも介入した結果、
三菱電機、東芝、Panasonic、NEC、富士通、、、
日本の名だたる家電メーカーが次々に携帯電話事業から撤退して行ったのは、
その政府の介入をトリガーにしていることを自覚しているのだろうか??
(していないだろうな・・)

今後、世界的に5Gという新規格が導入される。
日本が技術的に優位に進んでいたのだが、
こういう経済の活性化を殺してしまうのも、政府の施策や動向なのだ。

政府の力は絶大であり、影響力は計り知れない。
安易な判断。
人気取りのための安易な発想は慎んでもらいたい。

と、思うのである。

他にも言いたいことがいっぱいあるけど、
この辺りで勘弁してやろう。。


あ、追加で菅さんが言った
「携帯電話の手続きに時間がかかる」
というのは、本当だと思う。
その発言は、Goodジョブである。

ただ、私の場合には、オンラインでスマートフォンを購入するので、待ち時間は無い。
自分の一定の知識があれば、お店で待たなくて良いのだ。
時間がかかる人が、窓口に時間をかけてしまう。
まぁ、仕方ない気もするが、もっと効率化を図るべきでもあると思う。
ここは改善の余地があるなと。
分厚い説明書は無くなったが、「これを説明受けました」という重要事項はアホらしく多く、長い。
ここも直してもらいたい。

まぁ、そんなところか。
政府ですら、あんな安易な発言をするのだから、
最近のスポーツ界のパワハラ発言も、どっちが正して、どっちが誤っているというのも
難しい内容だろうな。
意見・見解の違いというのは、難しいものである。
180901.jpg

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つまらないブログ [どうでもいいこと]

私のブログはつまらない。
いや、書かなくったって、言われなくたって分かっている!
・・・
と、言っておかないと、自分がさみしい。

さて、そんなつまらないブログだが、
コツコツ書き続けて、記事の数が1000を越えてしまいました。
ネット上で、無駄な電子記録を積み上げてしまい、罪にならないか?公害にならないか?心配である。

実は、このブログは2006年に開始した(らしい)
タイトルで「月刊つっち」と書いているように、最初は月1つぐらいのペースでそのつもりだった。
が、気がつけば、2日に1回も書いてしまっている月もあった。
さぞかし、暇だったのだろうと思われる。

https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2006-06-18
子供たちが小さくてかわいい。
この頃から、暴君の奥さんはテニスをやっていたらしいな。(早くとめておくべきだった)


さて、私の書いているSo-netブログは、作成者が閲覧数を確認する事が出来る。
私のブログはネットに更新通知を発信しないので、私を知っている人しかたどり着けないので
閲覧数は全く伸びないのだが、どういうわけか、特定の記事だけ閲覧数が伸びる事がある。
、、、と、言っても、有名人の閲覧数の何百万分の1程度であるが。

突然ですが、月刊つっち 閲覧数ランキング!

1位:「だらしない自分」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2013-08-13
なぜ閲覧が伸びたのか全く分からない

2位:「ウインドリペア」 
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2012-05-30
車のガラスの修理について調べる人が多いのだろう。役に立たずにごめんなさい。

3位:「ツールド能登 -1日目」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2012-09-17
ツールド能登について調べたい人が多かったのだろう。同じように役に立たずごめんなさい。

4位:「通勤鞄」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2010-09-05
機能でもあり、ファッションでもある通勤鞄について、興味があったのだろうか。役立たずにすみ・・・

5位:「金沢文庫~鎌倉までのハイキング」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2013-08-15
三浦半島のトレッキングコースの一つ。1位の記事の次だったのでついでの人も多かったか?

6位:「親知らずを抜く」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2007-04-02
親知らずを初めて抜いた時、、、とてもすっきりした!という記事。次女の笑顔がチャーミング。

7位:「積分=人生は時間の積み重ね」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2009-10-10
この記事は、自分で言うのもなんだけど、良い記事だと思う。
が、意外と伸びなかったなぁと。所詮は自己満足か。

8位:「吾輩は主夫である」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2013-08-11
一位の記事の前日だからついでに閲覧した人が多かっただけかと。この頃は長女と話をしていたようだ。

9位:「娘達のピアノの発表会」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2012-02-11
2人の娘がピアノ発表会に一緒に出たのは2回しかない。どうして閲覧が伸びたのか分からない。
特に長女がすごかったと思うのだが、動画でお見せできないのが残念なくらいだった。

10位:「乙四試験終わる・・・」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2013-10-13
乙四のおすすめの参考書を記載したから閲覧が伸びたのだろうと。
(その後も資格のおすすめのテキストを載せても、閲覧が伸びなかったが…)


発信者の良いと思う記事と、
受信者の良いと思う記事、
そして、閲覧件数が伸びる記事は必ずしも一致しないと思う。

上記の中で私が良いと思ったのは、7位の記事と、
「留数定理」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2009-10-01
や、
「上司と部下の関係」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2014-03-16
や、
「「リーダーである事」と「人を育てる事」は両立しない!?! 」
https://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2018-05-12
だと思う。しかし、閲覧数は全然のびないのである。
そもそも、他人が見たら、んー?これが?と思うかもしれないが。

結局、ブログは自分自身の想いの発信でしかなく、
それが社会に適合するかどうかは別問題だからね。


さて、このブログ、、、現在は、終了までの半分は来ただろうか?
何歳まで続けるのだろう?
8割ぐらい来ただろうか?
中島みゆきさんの歌で「僕の命を僕は見れない」というフレーズがある。
終わらないと分からない。分からないのだ。。。

このブログがどういう位置づけて、どういう意味を成しているか?
分からないけど、毎回、書き続けているように、自分自身を客観的に見直せる。
そして、記憶と記録になっている。
だから、これからもワガママに書き続けます。

みなさん、見て見ぬふりしてくださいね!
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ルーツを探る [どうでもいいこと]

非常にどうでも良いことであるが、
自分の姓名をネットで検索したことがある人は、、、それなりにいるのではないかと思う。
江戸時代の9割が農民だったことと、
明治時代になって、あれこれ好き勝手に名字を名乗るようになったので、
姓名にそんなに意味はないと思う。

私も長野の田舎の生まれであり、
実家の周りは同じ苗字の農家ばっかり。
どう考えても、由緒正しい血筋になるわけがない。
小さいころから、金持ちの誰かが突然現れて
「お坊ちゃま、お迎えに上がりました」
という髭の生やした執事が現れる夢を抱く瞬間もなかった。

その上で、、、
ネットで同じ名字を調べてみると、
神奈川の平塚が発祥の地で、
その後、戦国時代に、武田一族と共に興亡して、
全国に散って行って、江戸時代にはその片割れが土浦にいたらしいと書いてあった。

フィクション作家であれば、面白いものを書けるに違いない!
(いや、書かないだろう、、何百年かかる話だよ)

今日は天気が良いので、とりあえず自転車で発祥の地に向かった。
180603_2.jpg
神奈川県はどこに行っても、住宅地と工業地と商業地ばかりで、農地なんてないと思っていたが、
たどり着いたのは山の中。
長野の実家を思い出すような場所である。
いやいや、、、こんなに緑多い土地が、平塚市にあったのね。。という感じであった。

あらかじめ調べていたのは、小学校のみ。
記念に写真でも撮っておこうと思って、
GoogleMAPで探すと、、、、一族の墓なるものがあるらしい。
まぁ、なんてこと!
一族の墓ならば、お参りしなくては!
(全く関係ないのだが…同じ名字を名乗っているので、これも何かの縁だろう)
と、地図をたどると、怪しげな農道のような所を進んでいく。
薮蚊に苦しみながらたどり着いたのは、、、
180603_3.jpg
発祥の地の石碑であった。

墓を目指して進んだところ、思いもよらず、発祥の地に巡り合い、
感慨深いものを感じる。
墓の近くが発祥の地で、いろいろと説明文が書いてあった。
180603_4.jpg
何々??武田家に従っていた歴史があるから、きっと源氏だろうと思っていたが、
確かに、源頼朝の軍に従軍して、壇ノ浦の戦いなどでも戦っているが、
桓武天皇の平氏の血筋だったことが判明。
ああ、ずっと源氏だ!と思っていたのに、平氏だったか!
しかもその平氏を壇ノ浦で滅ぼしてしまうなんて!!
と、思ったが、
冷静になると、そもそも私は、これらの人と関係がない。
源平藤橘を名乗ったところで、征夷大将軍になるわけでもないし。
そういえば我が家の家紋と、前述の石碑に刻まれた家紋がよく似ていた。


そこから50mほど行くと、城跡もあった。
、、、いや、訂正する、城跡があったと書かれた看板があった。
(何もなかった)
180603_6.jpg
まぁ、そんなもんだろうなと。

ルーツの旅を終え、家路につく。
いつもの走るコースから、わずかにそれただけであったが、
意外と楽しいポタリングが出来て良かった。

ところが、ご先祖様を大切にしなかった報いだろうか?
帰り道は足が止まり、ハンガーノックにもなり、
最後は高校生にも抜かれるぐらいにスピードダウンして、ホウホウの体で家に帰った。
罰が当たったに違いない。
(いや、だから、祖先じゃないって…)

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リーダーは育成しない [どうでもいいこと]

前からやりたかったこと。
それは、だらだらと書くブログを簡易にまとめること。
5/12に書いた”「リーダーである事」と「人を育てる事」は両立しない!?!”を、
書き直します。(中身一緒です)
http://tsucch.blog.so-net.ne.jp/2018-05-12

---------------
管理職になる時にコーチングの研修を受けた。
コーチングを、簡単に言えば、
「コーチをする相手(成長させたい人)から、言葉とアイディアとやる気を引き出すことである。
これは、相手と会話の時間を作り、向かい合って会話する必要がある。
極論はアドバイス等は言わなくて良いので、
「どうして?」「それから?」「それはどういう事?」「もっと詳しく言うと?」「その背景は?」
を相手に合わせて適切に繰り出せばよいのだ。

さらに、上司が率先して仕事をしてはいけない。
相手(部下等)が自主的にやる気やアイディア、行動を引き出すものであり、
上司が仕事をしてしまうと、「困ったら上司がやってくれる」という、誤解をしてしまい、やがて成長が止まる。


私はコーチングを学んでから、部下に仕事をしてもらって成長するように心掛けた。
ところが、
今度は、私自身が上司から受ける評価は、
”何も活躍していない”
様に見え、結果的に私自身が評価されなくなる。

また、能力が低いチームを率いている場合、
部下を育てて20点が60点の結果が得られるようになる事と、
自分が率先して仕事をして80点のアウトプットを出すのでは、
当然のようにチームは80点を出した方が、良い評価を得られる。
能力評価主義なので、これは当たり前のことだ。

私の前職の最後の1年は、コーチングではなくて、
自分自信が主体的に動いて成果を上げ続けた。
その結果、高い評価を得られたし、
何よりも、仕事をしていて、とても楽しかった。


ここでふと思った。
歴史になお残す、偉人達。
一般的に彼らは”リーダー”と呼ばれる。
一生という短い間に、部下を主導して偉大な実績を積み上げたからこそ、
歴史に名を遺してきたのである。

歴史のひもを解けば、そういう例は限りない。
逆に、人を育てる人が、歴史に名を遺したという方が少ない。
歴史はそう語っているのだ。


私がリーダーになりたいか?と言われれば、そうではない。
残念ながら、もう年齢的には、今からリーダーになりあがるのは厳しい。
ただ、認められない、評価されないという状態を寂しいと思うのは理解いただけるだろうか?
上司からではなく、育てた部下からも感謝されないのである。


でも、それを理解した上で、人を育てるという事、
覚悟を持って人を進めるという事、
そういう事があっても良いのではないかと思う。

自分がどの道を進むかは、自分で決めればよいのだ。
---------------

やっぱり長いなー。
言葉を表すのは難しい。。。
180520.jpg
今日は本当に良い天気だった
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「リーダーである事」と「人を育てる事」は両立しない!?! [どうでもいいこと]

常々思っている事、、、特にこの7年程思っていることを書く。
短く分かりやすく書くことが、人に読んでもらい、理解してもらう事だと分かっているが、
私自身のためのブログなので、少々長くなるかもしれないのでお許しいただきたい。

管理職(マネージャー)になる前に、”コーチング”の研修を受けた。
その研修を実施してくれた人は、日本のコーチング界の中でもトップクラスの会社に所属するトップのコーチだった。今でもその会社のHPのコーチのコラムを書くほどに有名な人である。(なんでそんな人が講義をしてくれたのか分からない・・・)
そのコーチングを受けた時には、私は”コーチ”と”マネージャー”の差も分からず、
その講師たるコーチャーを、”コンサルター”と呼んでしまい、厳しく注意を受けた。
(西欧人が日本人を韓国人と言い間違えたぐらい、大きく異なる点だったので・・)
・・・いや、そんな事じゃない。
コーチングは、講義を受けた時には、正直って、ボーーーとした感じであったが、
講義が終わって反復しながら記憶を思い出したり、いろいろなコーチングの本を読んでいるうちに、
なんて素晴らしいんだ!なんでこういうモノがあるのだろう!と、
大いに感激し、そして、その直後にあった昇格試験にも大いに影響を与えてくれた。

コーチングの基本は、
コーチを受ける相手(成長させたい人)から、言葉とアイディアと一緒に、やる気を引き出すことにある。
会話の中から、自分自身を見つめ、探り出し、答えを見つけて、それをやるための方法を考え、
そしてそのやる事の意識を確認する事である。
だから、コーチをする人は、その内容に詳しくなくて良いし、極端な話、全く知らなくても出来る。
「どうして?」「それから?」「それはどういう事?」「もっと詳しく言うと?」「その背景は?」
という、質問ワードをいくつも備えて、相手にあわせて繰り出せば良いのだ。

コーチングの思想の基本として、
・相手を変える事は出来ないが、自分自身は変える事が出来る
という原理(?)があり、「あれをやれ!」「これをやれ!」と指示された場合、
瞬間的にはそれをやるが、指示をしないと出来ない。
自発的に、自ら動く事が出来るのであれば、継続的に、ソレはやり続けられる。
コーチングは、自ら動く力を引き出すものである。

というかんじである。
コーチングを習って、管理職になって、新しい場所に赴任した。
自分が仕事をする事よりも、部下をチームメイトを育てる事に力を注いだ。
たしかに、コーチングをすると、部下の成長が手に取るようにわかる。
最初は迷っていたり、躊躇していたり、遠慮していた人材が、
自発的に考えて、行動するようになる。
上司としては、とても嬉しい状況である。

ところが、、、
上司として、コーチをしている私は、何もしていないのである。
会話で、部下の能力を引き出すだけなので、
見方によっては、「仕事を部下に振って、楽をしている」とみられることもある。

それは、多面評価でも
「もう少し、スキルや経験値を部下に示して、引っ張って行って欲しい」
というコメントがあったことからも分かる。
それは、1回だけではなくて、コーチングをすればするほど、そういう記述が続いた。
もちろん、みんながみんな、そう書くわけではない。
でも、コーチングの基本は、”みんなが自主的に動いて、業績を上げていくこと”なので、
私の指導があって、業績が上がったんだ、、、と、考える人もいないし、
現実として、その人が成し遂げたことであるのは、間違いない事実なのだ。


多面評価は、そのまま私の上司への評価にも通じるところがある。
簡単に言えば、
コーチングの構造を知らない人が私の上司になれば、
「あいつは、部下に仕事を振ってばかりいて、自分じゃ動かないな」
ということになり、評価は与えられない。
また、端的に言えば、
 伸びる部下、才能にあふれる部下
がチームにいるのであれば、チームとしての業績は上がるが、
 なかなか伸びない部下、ひねくれていたり、拒絶系の姿勢がありチームの雰囲気を悪くする部下
がいると、いくらコーチングを頑張っていても、なかなか成果も上がらない。
70点から80点になるのと、20点が60点になるのでは、伸び率は違うが、
到達した結果は80点の方が、もちろん高いのである。

だから、コーチングをすると、(複雑な事をおいておくと)上司の私は評価されにくい。
極端な事を言うと、評価されない。

もちろん、全てを理解した上で、
「それでも、自分の評価を捨てて、部下たちの育成を目指そう!」
と、心に決めて仕事をしてきた。
前の部署に4年在籍した最初の3年目までは、それを信じて頑張ってきたのである。

ところが、私も弱い人間である。
「こいつが?」
「これしかしていないのに?」
「判断力や知識や経験値が無いのに?」
という人が、私を追い越して偉くなっていく。
こういうチャンスを、1年、また1年と積み重ね、ずるずると遅れていっているのである。

もちろん、偉くなりたいわけではないのだが、
自然体で”あいつ”と比べてしまう自分がいるのである。
そうすると、部下を育てた自分というのは何だったんだろうか?と、思う事がある。

もう一つ、前述の繰り返しになるが、
コーチングで育てた部下は、自分が自分の力で成長した!という
意識を持つので、(実際そうだし)、私が感謝されることは無い。
心を尽くして育てた部下から、そっぽを向かれたり、忘れ去られたりするのは往々にしてあることだ。

ますます、さみしくなり、堪え切れなくなる。

で、昨年1年。
私がやった(やってしまった)ことは、「自分が前に出て仕事をする」事である。
もちろん、目立つ。
しかも、自分で思い通りにやるので、スピードは速いし、微妙な調整も出来る。
だから、成果も次々にあがっていく。
やっていて気持ちいい。
人には言えないような快楽である。

その時の上司の評価は、容易にわかるだろう。ことごとく「頑張った」と言われる。
ただし、その時の多面評価は、
「もっと部下に仕事を振ってほしい」
・・・その通りである。



歴史に名を残す偉人達。リーダーと呼ばれる人達。
多くの人は、人を育てる人達ではない。
自らが先頭にたって、いろいろと歴史に名を残すことをやってきた人達である。
一生という短い間に、積み上げた実績が、歴史に名を遺してきたのである。

もちろん、その素晴らしい姿を見て、後進達が自ら学び、そして成長していくという事もある。
ただ、そこには、コーチングがあるとは限らない。
伸びる要素がある人が、勝手に伸びていくという構造だ。
人間の成長プロセスの一つには、”模倣”というものがあるから、
偉業を成し遂げると、周りの人は、”模倣”をして成長していくのである。
背中を見て育つというやつでしょうね。

例えば、聖徳太子は人を育てたか?
・・・いかん、明確な根拠が無かった。
分かりやすい例で、、
三国志の英雄の曹操は、人を育てたか?
曹操は皇帝にはならなかったが、その数代後に国は滅んでしまった。
劉備玄徳は?後継者の劉禅は凡人以下だったと言われている。
英雄やリーダーが亡くなったら、直ちに国が滅んでしまったことは、
歴史の中には定番として記載されている内容だ。
織田信長しかり、豊臣秀吉しかり、徳川家康だって、最後の大坂夏の陣まで先頭に立って戦い続けた。


現代の会社でも一緒である。
世に言う、名物社長がいなくなった瞬間に、しぼんでしまう会社が多い。
1代限り、、、良くても3代目まで御威光で続くが・・・という感じである。
まさに、「空き家と唐文字で書く三代目」である。


そういう事もあるからだろうか、その反動もある。
最近の会社経営では、会社の成長と一緒に、
”後継者を育てる事”が必須事項になっているそうだ。
社長業務を進めながらも、後継者を育てていく。
「君ならどう思う?」「どう考えていた?」「どう判断する?」
等、、、、後継者に質問を投げかければ、確かに部下は育つかもしれない。
が、
今のご時世、リーダーである社長が、そんなことを問うている時間があるとは思えない。
敏腕社長ほど、次々にいろいろな判断をして、スピード感を持って実績を上げていく。
そうじゃないか?

人を育てる事で、名を上げる人。。。
いるのだろうか?
松下幸之助や稲森和夫等、日本を代表するリーダーが
政治の心構えなどを沢山、本に書いたり、あちこちで講演してきている。
ところが、彼らの育てられて、彼らよりも有名になった人は私は知らない。

だから、やはり、人を育てるという事は、
目立つことでもなく、実績を積み上げる事でもなく、
あくまで裏方なんだと思うのだ。
そして、
人を育てる覚悟を持って、進めないと、進まないのだと思う。



タイトルにあるように、「リーダーである事」と「人を育てる事」は両立しない。
これが、現在の私の結論である。
ただ、
将来的に、この考えが正しいと言い切れる自信は無い。

こんな私でも、毎日刺激を受け、成長し続けているから。


そして、私がどちらの道を歩むのか。
それは私が決めればよいのだ。
180512.JPG
この前食べたランチ・・・ライスが無いのだけど、、、美味しかった。
草食系か、肉食系か。。
両方食べる事は出来ないのか?
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自信と過信 [どうでもいいこと]

自分が良く悩む事、、、自信が無さげでキョドキョドしていると言われる事。
態度が示すように、自分の行動にほとんど自信が無い。
胸を張って生きて行こう!と思う事が…
いまだかつてない。
誰かに非難されないように、誰かに指摘されないように、
静かに生きていきたい。
そんな自分である。

その自信の無さは、実力の無さの顕れである。
生まれてこの方、「優位」だと思ったことがあまりない。
劣等感の固まりだ。
生まれた時に、貧乏家に生まれて、片田舎で不自由な生活を過ごしてきた。
そんな背景もあるかもしれないが、
生まれ育った環境だけではなくて、そういう遺伝子なのではないかと思う事もある。
だから、
たぶん、死ぬまで直らないような気がしてならない。


自分に自信が無い事で、
身を守ってきたこともある。
とかく日本は、出る杭は打たれる世の中だ。
だから、目立たなければ、指摘されたり、窮地に追い込まれたりすることは無い。
注目される!というのは、いいことかも知れないが、
その瞬間、さらされるというリスクがあるのだ。
世の中は不完全なものであるから、必ず指摘されるようなことがある。
だから、注目される=指摘される事に他ならない。

ほら、私は後ろ向きでしょ?


そんな私であるが、
時々、過信に陥る事もある。
例えば、
、、、
、、

言えない、恥ずかしくて言えない。

と、バカバカしいやり取りは置いといて、
素直に書こう。
私が卒業した大学は、それなりに知られた大学である。
もちろん、その大学の中でも、一番偏差値が低い学科に入ったので、
他の優秀な人のおこぼれで有名な大学である。
が、私としては、普通に受験をして普通に入学できたので、
そんなにあらたまってすごい大学とは思っていない。
が、
「へぇ、その大学に入ったの。すごいね」
と、言われることがある。
俺って、すごいのじゃないか?と過信することがある。

もちろん、偏差値がもっと高い大学はうじゃうじゃいる。
会社には、東大京大早稲田慶応がうじゃうじゃいる。
だから、大学出ただけで自信を持つような何かにはならない気もする。

私の会社は、東証一部上場企業だ(と思う)
その本社で働いているから、すごいんじゃないかと思う。時がある。
が、大学と同じように、就職活動して(学校推薦もらって)普通に
20年以上働いているので、何かすごい事をしている気はしない。

「へぇ、その会社なの、すごいね」
と、言われることがある。
俺って、すごいのじゃないか?と過信することがある。

ところが、会社にいて思う事が、
「うちの会社にはたいした奴が働いていない。こんな会社でいいのか?」と思う事がある。
また、社外の方と打ち合わせをした時、
「この会社はすごいなー、うちの会社と違って緊張感とやる気にあふれている」
と思う事がある。
そう思うと、知名度だけ高くてもダメなんだと自覚する。


自転車に良く乗っている。
何度も言うが、早い方ではない。
が、
普通の人レベルからは、少し早い方だと思う。
つまり、
体力があるのだ。

今度は、過信ではなくて、”自覚しないといけない”話に変わる。

体力があるから、職場で朝6時半から夜の20時過ぎまで働いている。
つまらない打ち合わせで時々眠くなったり、
お腹が空いて集中力が低くなることがあるが、
職場にいるほとんどの時間は、有意義に仕事をしている。
1日5時間近く残業をするので、1か月100時間程になる。
(休日も働くこともある)
北陸から戻ってきて、4年間、ずっとそんな状態だ。
この状態では、普通の人は、鬱になったり、過労死してしまうラインであるらしい。

ところが、私は体力がある。
残念なぐらいに、体力が続いている。
年休なんてほとんどとらない。
睡眠時間だけ確保できれば、あとはいらない。

そんな私の状況を、一緒に働く仲間に当てはめてしまう。
ここに、過信がある。
自分の体力を正確に把握して、他の人には適用できなことを理解しないといけない。

こんなことがあった。
長女を初めて、、、いや、2回目のスキーに連れて行った時の事。
スキー教室に午前中に行ったので、少し滑れるようになった。
午後に、私と二人で短いコースを、何回も何回も滑って行った。
そう、
何回も何回も、休む間もなく滑り続けた。
私の体力が続いているので。
気がついたら、
長女は体力が無くなりへばっていたが、ひたすら頑張っていた。
「ちょっと休もうか」と声をかけて、コテージに連れて行ったら、
本当に疲れていたらしく、へばりこんでしまった。
とても、とても、とても反省した一面だった。


そういえば、似た様な話で、
大学の先生で、すごく頭の良い、にこやかに授業をする先生がいた。
その先生は楽しそうに、学生に話しかけながらも、
テンポよく、次々に数式を解いて事業が進む。
黒板に書いた内容を学生が全部理解していると思っている。
が、
誰にも分からなかった。
その先生は、学生が何で分からないのかが分からなかった。
自分では、理解が出来るから。


自信が無いのはよい事ではない。
ただ、過信しすぎるのは良くない。
また、適度に自分の状態を把握することは必要である。
そんな事を、ふと思った、自転車に乗った週末。
2日で150kmしか走っていないけど、適度に自分の体力を測るのは大切だ。
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3連休の最終日 [どうでもいいこと]

連休中に書いた2日間のブログは、ちょっと暗い雰囲気の内容だった。
いかん!
こんな内容は私らしくない。明るく行こう!明るく!

といっても、誰かにお見せするような内容ではない。
そのうち、自己啓発シリーズにしようと思っているが、
なかなか着手できない。
自己啓発で読んだ本の、ポイントの抜粋を自分のために記載しておこうと思う。

今日は、次女がお昼過ぎまで家にいて、
午後に外出するというので、朝早く起きて自転車に乗るか、
自転車に乗らずランニングにでも行こうかと悩んだ。
朝7時に、妻がテニスに行くらしく、ゴソゴソがさがさと騒がしくして家を出たため、
玄関横の和室で寝ている私は目が覚めてしまい、
じゃぁ、自転車に乗って走りに行こうかな…と、2時間程悩んでいた。
(つまり、布団の中で、ぬくぬくとしてたのである)
もう、冬の気配がする。
頑張らなくったっていいじゃない…と思うのだ。

次女を送り出してから、自転車に乗る事も出来るのだが、
図書館で借りていた本の返却期限が切れていたこともあり、
イカンイカン、、、と、散歩がてら山道を歩いて本を返しに行く。

今回は、本を返却だけで、予約の本の受け取りは無かった。
なんか、出会った本を借りて行こう!と、特にあても無く図書館をさまよう。
だいたいいつも借りる列は決まっているので、今日は違うジャンルのコーナを見て歩く。
ん?!と、目を奪われたのは、「ロバートキヨサキ」の「金持ち父さん貧乏父さん」である。
簡単に言えば、不動産とか上手に財テクに走れば、
サラリーマンとしてセコセコ働かなくてもやっていけるよ!
上手くやりくりすればいいんだ!なんでみんなその手を使わないの?!
という本である。

確かに、この本に書いてある通り、土地転がしをしても受けている人は沢山いる。
今時は土地バブルは表立っていないが、
我が家の隣の家も、外車に乗った若造が売出しを買い付け、
整地して高値で売り出し、そして売り渡していた。
一般市民はそういうところで儲ける事を知らないのだが、
確かに、そういう儲ける道をしってさえいれば、金は稼げるのかもしれない。

似た様な話で、FXで儲けるというものがある。
会社でも一時期大いに流行った。
ところが、FXをやり始めると、値上げ・値下がりがとても気になる。
一時期は寝て起きたら30万円損をしていたことがある。
そう、1か月の給料が一晩で無くなってしまうのである。

もちろん、儲かるチャンスもある。
ところが、大きく儲かるという事は、大きく損をするという事でもある。
私の理論では、遊べる範囲であれば、構わないが、
生活が懸かっている状態まで来ると、本当に追いつめられる事になる。
という事を、悟った。
過去にも書いたけど、200万投資して、50万まで落ち込んだことがある。
じりじりと外貨の金利や安定した外貨に助けられて150万まで回復したが、
その時点でFXをやめた。
もう少し頑張っていたら黒字になったかもしれないし、もう少し取り戻せたかもしれないが、
やはり、引き際というのが大切だと思ったのである。

何よりも、忘れっぽいし。

そうそう、忘れる!ということでは、ふるさと納税。
先週、米が20kgの単位で6セット届いた。
つまり、我が家に120kgの米が届いているのである。
いろいろな自治体にふるさと納税の返礼品として”米”をお願いした。
我が家では着実に米を消費するからだ。
だけど、到着する時期が、新米の季節に集結するのを読んでおらず、
結果的に6セットがほほ同時期に届いてしまったのである。

しかも、
ふるさと納税は、5つの自治体までであれば、
ワンストップ特例制度で、確定申告しなくても良いのであるが、
まだ3つぐらいだろうな・・と、申し込んだ後に確認したら、
既に5つの自治体に申告済みであった。
まぁ、確定申告は実施する予定であるから、、、良いんだけどね。
ただ、自分の記憶が実に曖昧だという事を痛感する。


話が随分脱線した。
ロバートキヨサキの本の話に戻る。
ロバートキヨサキの本は、そういう意味では、儲かる生き方かもしれない。
と、同時に、私みたいな臆病者には、毎日が胃が痛くなるような生活だと思う。
前述のようにFXではノイローゼのような状態になったし。
そう思うと、その本に書かれているような生き方は私には出来ない。
それにもう、アラフィフである。
今さら金儲けに走るよりも、もう老後の安定に向けておとなしくするべき時ではないか?
と、考えると、
いろんな思いが交差して、
何となく背筋が寒くなって、変な汗が流れてきたのである。


図書館で、本を借りなくても、あちこちでいろいろな本を眺めていると、
いろいろな刺激を受ける。
毎回思うのが、
「図書館で本を借りるよりも、買ってある本を早く読もう。大切にしていても仕方ない・・・」
という事である。

お気に入りの綺麗な本が、私の書斎に鎮座している。
ディスプレイというのも大切かもしれないが、
私は実用の方が大切だと思っている。
だから、これらの本は手垢がついてナンボだと思うのだが、
その本に結界が張られていて、触れてはいけないモノのように、
大切にまつられているのである。。。

なんだかなーーー。

家に帰ってきたら、元気になって、ランニングに出かけたい気分になった。
明るいうちに山身を走り、暗くなったら街に出て帰って来よう!という作戦である。
トレイルランニングは、距離を走らなくても、体力を使うし、
いろいろな体の部位を動かすので良い運動になる。
そして、明るいうちに山道を走り抜け、
・・・暗くなって住宅地で迷子になりかけた。

なんだかなー。

でも、今は、スマフォで道案内をしてくれる。
山の中は良くても、住宅地で迷子になるなんて…
ちょっと恥ずかしいが、横浜の住宅地をなめてはいけない。
碁盤の目のように規則正しく道が作られていても、
丘陵や昔の道に沿って、微妙に曲がっていて、気がついたら反対の方向に走っている!
という事もあるのである。
本当だよ。。。。

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トレイルランは、意外な景色に出くわせるので、割と好きである。
歩行者の邪魔にならないようにね。。
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著名人の一言 [どうでもいいこと]

世の中には、沢山の立派な人がいる。
歴史の本に載るような人は、限られているかもしれないが、
その道のプロとか、知る人ぞ知る!というのはあちこちにいる。
NHKのプロフェッショナル仕事の流儀等に登場する人は、
プロとして名高いスキルを持ち実績を積み上げてきた人ばかりである。

これまでもいろいろと著名人が登場してきた。
今日、録画TVで見たのは、松本晃さんという、カルビーの社長である。
この人は、いわゆる雇われ経営者で、外部の人が社長になり、
会社を立て直していくという話なのである。

雇われ経営者は、成果が全てである。
成果が上がれば報酬が弾み、成果が上がらなければ首を切られる。
実に簡単であるが、シビアな世の中である。

ふと、疑問に思うのが、
”社長を誰が決めているのだろうか?”という事だ。
社長は会社のトップだろう。
その会社の方向を決める人だけど、最高権力者であれば、
黒字になろうが赤字になろうが、その場に座り続けられるのではないだろうか?
と、思うのは、会社や株式の作りを良く知らないからであろうか?


少し話がそれるが、
最近、会社の上司が社外の講師の話を聞いて、
朝礼の中で共有してくれた。
その講師をしてくださった人は、いわゆる会社再生のプロであり、
いくつもつぶれそうな会社に入り立て直してきた人である。
何冊か、その実績をドラマ調にした本も出版されている。
上司の勧めで本を読む・・・というと、何となくオモネテイルような感じで、
少し気が進まなかったのだが、同僚が「面白かった」というので読んでみた。
ら、
とても強い刺激がした。

簡単に言えば、生きるか死ぬかの戦いである。
それまでの会社運営を観察し、悪いところを見つけ出し、メスを入れ、
立て直していく。
もちろん、血が流れないわけがない。
多くの人が解雇したり、辞職する場合もあるのである。


私の会社は、組合が強く、簡単に解雇されることはない。
だからそれに安心して、みんな余裕な顔をして働いている。
会社の規模も大きくて、誰もが”倒産する”なんて考えたことが無い。
(ただ、昨今の日本経済の状態を考えると、倒産しない会社なんて無いと思うのだが)
多くの人が定時に出社して、定時に退社する。
(今の働き方改革ならば、定時勤務が当たり前になったが)
大きい組織にあぐらをかいて、慢心しているというのが、客観的に見た我が社の社風だろう。

ところが、
最近は、小さな変革が起きはじめている。
そしてその変革に対応する動きも始動し始めている。
現在はまだ小さな振動だが、将来的に大きく会社を揺らす課題が起きていて、
それを乗り越えるための策を考えているのである。
「マネジメント」の著者、P.F.ドラッカーの名言である「すでに起こった未来」
つまり、
「将来確実に起こり得る事は、既に目の前に(予兆が)ある」
状態なのだ。

そんな状態にあるので、
前述の本の話がとても身に染みる。
安穏として緊張感無くデスクに座って働いている会社の仲間を見ると、
不安と怒りで暴れそうになってしまうのである。
・・・私は、キチガイなのだろうか?

この予期は、暖かい夏の日に、”豪雪になります!”と声をかけるのに似ていて、
誰もが「そんなバカな!」と思うのである。
信じてもらえないのである。

ただ、
私も、豪雪になるという予期を、直接的にしているのではない。
上司の上司、会社の偉い人の話を聞いて動いているので、
万が一でも「なーんちゃって!」というウソだったら、、、、と思う事も無いわけではないのだ。
そういう意味では、軍隊にも似ている。
上司の言葉と信念を信じて、
大きな改革につながる小さな改革に着手している。


いやいや、そんなことを書きたいのでは無かった。
話を戻そう。


手元に、ある本を読んだ時のメモがある。
「孫正義 危機克服の極意」(光文社新書)
今や日本を代表する経営者であり、リーダーでもある孫正義さん。
彼に関連する本は無数に出版されている。
そのうちの一つである。
私の会社でも多くの人が耳を傾けている。

その中で、参考になった記述をメモに落としている。
・高次元の批判は成果を高め、低次元の批判は忍耐力を高めてくれる。
・ナンバー1を唱え続ける事に意義がある。(そうじゃなくても)
・「なぜ出来ないか」をいう者はリーダーになってはならない。

熱狂的な信者もいれば、とても反感を持つ人もいる。
松下幸之助も「みんなが賛同するようなものは、改革にはならない」と言っている。
正しいかどうかは、後世の人が判断すればよい。
今は前を向いて進んでいくだけ。

そうだったね。
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羽田空港の鉄塔(おそらく航空機のレーダとかだろうと思われる)
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成長の兆し? [どうでもいいこと]

連休最終日に台風が通過するらしい。
連休初日は、まだ九州に上陸する前なのに、この横浜ではずっと雨が降っている。
こんな日に、次女の学校では、文化祭が開催されている。
次女の出番が明日らしいので、今日は行かなかったが、話によれば今日はガラガラだったらしい。
文化祭を楽しみにしていた人には、少し残念な天気である。

今日は、朝から雨だったので、ずっと書斎にいる。
持ち家の強みというか、、メリットというか、
空きスペースを活用した、マイ書斎である。
したがって、広々とした書斎・・・ではなくて、2畳ほどの広さしかない。
ただ、玄関の吹き抜けにつながっているので、割と広い空間でもある。

その書斎。
本棚や物入れがいくつかあったりするので、椅子が動き回れるのはほとんどない。
狭いなー、、、と入居して10年目に改めて、見回せば、もう使わないモノで溢れている。
断捨離を繰り返してきたつもりだが、、、
いざとなると、もったいないお化けがいて、捨てさせてくれないのである。
(人のせいにするな、自分が捨てないのだ)
で、
少しかき回してみたら、古い自己啓発系の書類が、どっさり出てきた。
・・・
自己啓発、、、主に会社の研修で受講させていただいたヤツである。
あらためて、こんなに受講しているのに、
成長が無いな…と思ってしまう。
研修資料をあらためて読めば、
今でも習っているコーチングの事がほとんどである。
10年から20年前に書き連ねたメモを見ると、
今書いていることと、さほど変わらない…

なんだか嫌になっちゃうよな。
と、思った。

もう少し深いところまで掘り下げてみると、
なんと、新入社員の時の日記とか、業務成果発表資料等が出てきた。
いやー、懐かしいなー、、、なんて思えない。
日記は、今と変わらず汚い字であり、書いてある内容が恥ずかしい。
飛ばし飛ばし見てみたが、まぁ、今と変わらないのである。
(このブログそのまま)

あらためて、
全く成長が無い自分を見ているようで、
なんだか嫌になっちゃうよな。
と、思った。

さらに、発表資料等は、
こんなに素朴なの?こんなに装飾が無いの?と驚くばかり。
今の若い人たちのきらびやかで見やすい資料と見比べると、
文字が並んでいるだけのつまらない資料であり、
見てくれだけではなくて、中身もたいしたことが書いていなかったりする。

ああ、
今の若者は、なんて優秀なんだ。
そんな優秀な若者に、無能な私が指導するなんて、
なんておこがましいんだ・・・と自信を無くす。

その資料の近くに、
上司や研修センタからのフィードバックや評価があった。
最初に目にしたのは、VCATとかいうペーパーで
「たぐいまれなるメンタル力を有し・・・」
みたいなことが書いてあった。
若い頃には、比較の対照が無いので、よく分からなかったが、
管理者になった今は、その記述の意味がちょっとは分かる。
「ああ、俺って、実は優秀だったんだな…」と、
天狗になる瞬間であった。

ところが、
次に見た、別の時に受けた研修のメンタルヘルスのシートには、
「意志が固く、他人の意見を聞く柔軟性が無い。
自分の意見に固執し、他人の意見を聞いて発展させる力に乏しい」
等と、ボロボロに書いてあり、
かつ、そっちの方が、若い時の自分を確実に表現していた。
他にもいつも書類が出てきたが、ほとんど同じような評価であり、
視野が狭く、頑固であり、協調性に欠ける
そんな自分の欠点をズバズバと指摘されていたのである。

ダメな自分は、何年も前からダメであって、
全く成長していない。
本当に、本当に嫌になっちゃうよな。
と、思った。


と、同時にではあるが、
わずかではあるが、
「今はそうじゃないな。」
「昔はそうだったけど、今はこう行動できる。」
と、思える点もいくつかあるのだ。
成長した面も、自覚出来た。


無駄な研修を何回も繰り返して受けてきた。
同じような内容で何回も受けてきた。
繰り返し、繰り返し、頭の中に叩き込んできた。
全部を理解して、全部を受け入れられたわけではないが、
わずかであるが、自分自身が変化してきた。

そして、今も変化している。
年を取ってから、少しずつ変わってきている。
そんな気がする。

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野島公園から見た八景島シーパラダイス
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オーダー通りのアウトプット [どうでもいいこと]

突然、寒くなり、もう夏が終わったんだな…秋になったんだなと実感する。
そんな日こそ、今年はあまり着なかった半そでシャツを着て会社に行く。。。
流行おくれ+出し惜しみする人の私の傾向が如実に表れている。。。

客観的に自分を見る事が出来ると、
実に残念な事が多くて、悲しい気持ちになる。
後ろ向きだったり、リーダーシップ力が無かったり、協調性が無かったり。。。
でも、もっと客観的に見ると、自分にも良いところがあるんじゃないかと思って、
一瞬、ドキッとするのだが、
いやいや、自惚れてはいけない、慎みたまえ!という気持ちが先行し、
そういう気持ちは埋め殺してしまうので、
 客観的に見る=つらい気持ちになる
だけの構図になるので、あまり好きではない。


今週の仕事は、
「よく分からない事」で忙しかった。
振り返ると、、、何をしたのか、ぼやっとしてしたままだ。
新しい仕事、、、に任命された、ではなくて、トラブル系の仕事であるが、
新しい仕事が発生した時に、どこの部署がそれを扱うか?という事で揉めている。
その仕事自体は、8月に発生したのだが、みんなの協力で何とか収まった。
ところが、
似たような事が起きたらどうする?という課題があり、
そして、それと同じことが10月に起きる事が判明したのである。
だから、
前回の二の舞にならないように、整理しようとしているのであるが、
新しい事で、いろいろな部署が関連するので、あっちでやれ、そっちでやれ!と
組織間で小突きあっているのである。
(客観的になると、情けない話だな)
来週、決着をつける事になっているのだが、決まるのかな?


先週は、それと似たような、別の突発的な仕事が入ってきた。
そっちの突発仕事は、前例もあるので、いろいろなチームを役割分担して、
「あとよろしく~!」と、任せて次の仕事に取り掛かったのだが、
全然関係ない組織にいる同期の奴から
「任せてよろしくは無いだろう!」と、
口出しをしてきて口論になった。
最終的に、任せたはずのチームで欠員が出て、
私が行くことになったのだが(欠員が出た場合には自分が出て補充するつもりだったから)
結果的に、横から口出してきた同期の言うとおりになったように見えて腹が立ってならない。
自分で仕事をするのではなくて、人に指示を出す仕事って面白いか?と思うのだ。
(えぇ、随分と小さい事に腹立てたんですよ)


今週は、いくつかの仕事を並行で進めていたので、
混乱して、「えっと、今どっちの話をしているんだっけ?」という事が何回かあった。
また、お昼を取ることが出来ずに、あちこち飛び回っていてシンドイ一週間だった。
あ、そんな私を見て、「リゲインのCMですね。24時間働けますか~?」と
声をかけてくれる人がいたが、
若い人たちはキョトンとしていた。
一時期は一世風靡したCMソングであったが、若い人は知らないようである。
サラリーマンは皆知っていて、みんな歌っていると思ったので、びっくりである。
(そんなわけないのか)


話は飛んで、今日の話。
今週末は3連休であるが、日本列島を台風が横断する。
せっかく自転車で走ろうかと思ったが、走る事もママならないらしい。
初日はまだ雨が降らないから、すこしでも走っておこうと、
朝、着替えて外に出ると、雨が降り始める。
ちゃんと冷静な判断が出来る人ならば、そのまま180度振り向いて家に戻るのだが、
決断力に乏しく、慣性のまま動いてしまう自分は、そのまま自転車で走りに出た。
(ここも、直さないといけないところなのである・・・)

走り始めると、雨脚が強くなり、走り始めたことを後悔する。
ところが、しばらく走っていると、雨が上がり、普通に走る事が出来た。
まぐれであるが、ラッキーだった。

自転車に乗っていて、坂道やスピードによってギアを変えるのだが、
ディレイラーを交換したことにより、
重いギアも、軽いギアも、思い通りに設定されるようになった。
オーダー通りに従ってくれるのである。
非常に快適である!

えっ?当たり前?
それまでは、軽いギアに入らなかったり、
走っている間にギアが変わってしまったりと、随分と気分屋のギアであったのである。
そんな自転車で数年走っていたのである。

オーダーに対して、正しいアウトプットが出る。
それが一番快適なのかもしれないが、
仕事でもそうだが、、、、なかなかそうはいかないモノであり、
それが人生を楽しくさせている。。
そんな気持ちにもさせるのである。

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横浜ベイブリッジ
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夏休み3回目が始まる [どうでもいいこと]

最近、ちょくちょく仕事を休んでいる。
でも、家で仕事をしている。
・・・
少し矛盾を感じるが、通勤してオフィスで仕事をするばかりが仕事ではない。
・・・
と、思うのだ。

7月中旬に仕事の山場があり、その後、その仕事の続きの2回目の山場を昨日迎えた。
その準備で大忙しだった。
年休を取って家で仕事をするぐらいならば、
会社に行って、涼しいオフィスで仕事をすればいいとも考えたが、
でも、片道1時間半かけて通勤する時間。3時間を何かに使えると考えると、
それはそれでもいいんじゃないかと思ったりする。
(といっても、たいして有効な事をするのに時間を費やせなかったが)

なんか、家で仕事をする事を、堂々とブログに書くのも、
解釈によっては、自慢話に聞こえるだろう。
または、「俺って悲劇~!かわいそ~!」と自分を貶めて楽しんでいると捉えられてしまうのではないか?
まぁ、、
人がどう思っても良いのだが。

で、仕事の話に戻って(もどるのか?)
金曜日は、全国の”そこそこ偉い人”を集めた会議を実施した。
世にいう中間管理職、ミドルマネージャー、
仕事をしながら、部下も育成する人達。
バリバリのプレイングマネージャーもいれば、本格的なマネージャーもいる。
いそがしい中、集まってくださった偉い人には申し訳ないけど、
いろいろな話が聞けてとても楽しかった。


会議が終わった後は、しばらくハイテンションの状態が続いたのだが、
時間が終わって落ち着いてくると、だんだんと疲れが出て来てしまった。
毎朝、5時台の電車に乗って会社に行く事もあり、
(そういえば、最近は日が短くなり、出社途中に朝日が上がるようになった…)
少し睡眠不足だったという事もある。

その日の夜は、昔同じ担当だった人との飲み会があり、
疲れた状態のまま、テーブルの隅っこで、ニコニコしながら静かに飲んでいた。
その飲み会は、今度は若者が中心で私が一番の年寄である。
あまり一人はしゃいで、場を乱してはいけないのである。
尊敬する同僚から「飲み会ほど、孤独を感じて静かにしているべき」と諭されたこともあり、
そうする事が自分の哲学のような気もするのである。
(・・・自分は、めんどくさい部類の男ですね。。。)

翌、土曜日は、いつまでも死んだように寝ているつもりだったが、
そうはいかず、朝からまた仕事である。
昨日の議事録(部下がまとめてくれたもののチェック)や、
その次の打ち合わせの会議の準備もあり、なかなかクロージング出来ないのである。

ただ、土曜日から土日も含めて4年休みである。
ようやく、湿度の高い夏が過ぎ去り、”ああ夏だ!”という夏を体感できるのである。
心ゆくまで、心身共にリフレッシュしたい。
そんな気分なのである。
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城ケ島からの風景
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勢いをつける [どうでもいいこと]

普段やらないような何かをする時、勢いをつける必要がある。
腰を上げる時の「どっこいしょ」という掛け声に似ている。

え?
今時、「どっこいしょ」の人いない?
(「どっこいしょって」いう人はいない、略して「どっこいしょの人」である)
まぁ、こまなかな事は置いておこう。。。

ウサイン・ボルドも、レースの前に体調づくりをする。
長距離ランナーもそうだし、ボクサーもそうだ。
体を作ることもあるのだが、
気持ちを少しずつ高めていくのも必要なのだ。

私も、東京湾一周の自転車旅に出よう!と思ったのは2年前。
ところが、昨年度はようやくフェリーに自転車を乗せて東京湾を渡るという、
一番ハードルが高い事をやってのけた!
・・・
やってのけた!というが、
窓口でチケットを買って、列に並んで、フェリーに乗り込むだけである。
普段、同じことしかしていない人間なので、
ちょっとしたことでも随分とドキドキして、ハードルが高いモノなのだ。

あ、人間は新しいものに果敢に挑戦する人と、
その対極の絶対に動かない人、
そしてその中間も3段階に分けられるそうだ。
私は、どちらかということ、腰が重い方なので、
いわゆる”抵抗勢力”になりやすいタイプだ。
こういう人は、世の中からもめんどくさい人だって言われるらしい。。
http://naruhiko1111.com/1662.html

さて、前述した、東京湾一周。
この3連休にやってしまおう!と心に決めて、準備を進めた。
3連休で中日を走れば、翌日に休めるし!
子供達もいないのでちょうど良い!

ハズなのだが、
3連休初日から雨、、、、
しかも、2日目は雨なうえに、仕事が入り、急きょ会社に行くことになった。
会社に行って、それなりに働ければ良いのだが、残念ながら、
チンタラチンタラ仕事をしてしまい、お昼を買っていなかったのにもかかわらず、
気がついたら16時になっていた。

3日目に走ろうか?悩んでいるが、
疲れ切っても、休めない。。。
良いのか?
来週末にまた夏休み(2回目)があるから、そこに延期しても良いけど、
気持ち的に今週走っておきたいなーという気持ちもある。

が、
ふと、「わんいち」でググってみると、
あまり良いことが書いていない。
千葉県側の国道16号は車両通行も多く、道も悪い。
しかも明日は天気は良いが熱中症の警報まで出ている。
こんな時に、自己にあってけがをしてしまったらどうしようとか、
死んでしまったら、子供たちはかわいそうだな。。と、
マイナスの事を沢山考えてしまうようになった。

思いをくじかれるような状況ではあるが。。。

帰宅中の電車から、ふと窓の外を見れば、綺麗な夏の夕暮れだった。
そう、
不安な気持ちが先行するのではなくて、
楽しく、楽しみに、そしてゆっくりと走ればよいのである。
と、自分を励ました。

まず、明日の朝4時半に起きれるか。。
そこからである。
170812.jpg
最初のフェリーに間に合うか?から。
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欠けている能力 [どうでもいいこと]

私は万能ではない。

・・・いきなり、自分でも何を書きだすんだと思う。
万能ではない…という言葉の裏には、”ちょっとは得意分野がある”という事を指すのだろう。
果たして、、得意分野や、溢れんばかりの才能があるのか。

・・・いきなり、反省してしまう。
が、いちいち、それらを反省すると、ブログには何も書けない。
ので、一切反省しないで、今日のブログは書き進める。
傲慢な男だと思ってください。


我が社には、いろいろなタイプの人が働いている。
人事は良かれと思って、いろいろなタイプを採用する傾向だ。
マメに働く人、口だけの人、統率力のある人、そして稀にいる天才な人。
天才な人ばかり採用すればよいと思うのだが、
現実的に、そういう人ばかり採用されているわけではない。
私みたいな人も採用する年もあれば、
優秀な人ばかりの年もある。
いろいろな世代の、いろいろな人がまじりあって構成されている。

いきなり話は飛ぶが、
”グレシャムの法則”というものをご存じだろうか?
「悪貨は良貨を駆逐する」
という諺(ことわざ)になっているようで、
日本の庶民文化で言うところの
「腐ったみかん」
なのである。

簡単いえば、真面目の人が駆逐されて、
偉そうに人を指示している人、陰口を叩いてテキトウに手を抜いた人が
何故か良いポジションに行ったり、昇進してしまう。

たぶん、能力の無い私の僻み(ひがみ)の部分が多いとは思うのだが、
事実として、真面目にコツコツやる、才能にあふれる人が、
全然出世していないという事実が存在しているのである。

こういうのは、大企業病の症状の一つであって、
簡単に治る話ではないらしい。
我が社の先行きは、ずっと不安が付きまとうのである。


さて、経営者でもないのに、大それたことを考えてしまった。
現実の私の話である。
ある大掛かりなプロジェクトの始動のために、1か月かかりきりになり資料を作った。
いろいろな人の意見を聞きながら、なんとか”まとまった”資料になり、
大いに主張出来たものだと自分でも思っている。

ただし、その資料は、あくまでプロジェクトの”のろし”を上げただけにすぎず、
実際には、ここから、そのプロジェクトをどのように動かしていくのかという
詳細検討に入らないといけないのである。
が、
その詳細検討が進まない。
もう、2週間も経ってしまっていて、次のアクションに動き出せていないのである。
焦る気持ちが大きいし、毎日出社して、いろいろ考えているのだが、
なかなかプランがまとまらず、アウトプットが出せないのである。

私は、一つの事を掘り下げて考えて、
それを分かりやすく伝える事は出来る。
また、誰かにお願いする事よりも、その時間に自分でその仕事をやり遂げてしまうスピードもある。
だから、これまで携わってきた仕事は、基本的には自分一人で何とかしてきた。
という自負がある。

逆に言うと、
”人に仕事をお願いして、複数のチームで業務を進めるという統率力”に欠けている。
自分のチームを率いる力はある。
(たぶん)
だが、他の人のチームも含めて牽引する、
大きなプロジェクトを成し遂げるため、いくつもチームを動かすという事が、
今まで経験してこなかったし、そういうスキルが足りないのだと思う。

これは、オブジェクト指向とでもいうのだろうか?
小さなチームを率いる能力じゃなくて、
チームを率いるリーダーに号令をかける力が必要なのである。

軍隊で言えば、これまでは軍曹の役割でよかったが、
いきなり少尉に抜擢された、、、そんなイメージなのだろうか?
(ちなみに、役職や報酬は何も変わらない。そのままである)

自分のチームのモチベーションを上げて仕事を進める事については、
いろいろと学んできた。
いろいろな本も出ていて、やれリーダー論だの、
モチベーション論だの、マネージメント論だのと、
世の中にはノウハウが溢れている。
が、
対等な(はず)の隣のチームを使って、仕事をする。
これは意外と難しい。


全く経験が無かったと前述で書いたが、
今思い出したが、経験はしてきた。
2001年頃だから、今から16年も前の話になるが、
会社の中のあるワーキンググループ(WG)の事務局として、
開発部門や建設部門、支店、支社を束ねて業務を行う事を実施した。
その時には、主査という立場だったので、ボスから指示された方向に案件を整理すればよかった。
結果的には大きな結果を上げたWGで、一躍有名人にさせていただいたが、
今から考えると、流れに乗っただけである。
よくよく考えると、その時から、詳細な業務内容の検討から、
会議招集、資料印刷、TV会議の準備等、何から何まで自分一人でやっていて、
人に頼ることが少なかったように思う。

今も14年前とそんなに変わらない立場ではあるが、
今は、方向性を示して、自分のチームも、人のチームも動かして行かないといけない。
分かっている、分かっているのだが、
人に仕事を頼んでいる時間があるならば、自分でやってしまおう!という癖が抜けきらず、
莫大な業務を抱えて、うんうん唸っているのである。

こういう状態に陥るのも、自分の能力に見合わない仕事を抱えてしまうマネージメント能力が欠けている
というあらわれである。

そんなクリンチ状態だったので、
今週末は、仕事を離れて、ゆっくりとリラックスすることにした。
来週からまた業務にまい進するために、今週は心身ともにリフレッシュしたいと思ったのである。
土曜日は気楽に自転車に乗り、日曜日も軽くランニングしただけである。
体力を疲弊して自分を追い込むのも良いのだが、適度な運動・・・もたまにはよいかなと。
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日曜日、次女が水泳大会に行くと、5時に起きて出かけて行きました。
駅まで送って、パパは11時過ぎまで爆睡したなんて…言えない。
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洗濯機が壊れる [どうでもいいこと]

最近、洗濯機の調子が良くないなぁ・・と思っていたら、
ついに、壊れて動かなくなってしまった。
アラームの表示が出て、”カスタマーセンターに連絡を”とあるのだが、
今回に始まったことでは無く、これまでも何回かおかしくなってきたこともあり、
使い始めて10年以上経つので、そろそろ壊れてもおかしくないな・・という感じであった。

2,3年ほど前に、奥さんが困って修理に来てもらって直したものもあり、
3万近く取られた!と憤慨していた。
また、2年ほど前にお風呂からの給水が出来なくなって、水道料が膨れ上がったり、
選択の途中で何回も止まっていることもあり、いよいよ寿命かなと思ったりする。

そういえば、
掃除機もあちこち壊れ始め、そろそろ換え時なのではないかと思われる。
結婚した時に家電製品を買え揃えて、一定の年月が経つと一斉に壊れるのは運命なのかなと。
そういえば、小さい頃(小学生の時)、
TVは10年で壊れる!という話を聞いた友人がとても憤慨していたが、
正しく言えば、「10年は壊れないように作られている」というのを誤解して、
「10年後に壊れるように作られている」と捉えて憤慨したようだ。
小学生とはいえ、誤解というのは恐いなぁと思った記憶が薄っすらと。


さて、洗濯機が壊れたのは、月曜日の海の日。
朝起きて、今日の準備をしていると、奥様が・・・・

あ、
ここからは、愚痴ワールド全開ですから、
後ろ向きな記事が嫌いな方、退場してください。

さて、、、
奥様が、洗濯機の前で金切り声をあげて怒っていらっしゃる。。。
夫婦の会話は一切ないので、無視をしていると、
どうやらその声は、「おい、お前、ここに来い!」と命じられているようだ。
寝起きだったので、何も考えずふらっと行ってしまったら、
「洗濯機が壊れた。私がテニスから帰って来るまでに直しておけ」
と、命ぜられた。
そろそろ壊れてもおかしくない時期だし、ボタンを押しても電源抜き差ししても事象は変わらないので、
「直りません」
と、告げたところ、
「明日までに、洗濯機が届くように、買っておけ!」
と、命ぜられて、テニスに出かけて行かれました。

取り急ぎ、目の前の洗濯物を何とかしなくてはいけない。
コインランドリーを探す前に、
北陸単身赴任時(3年前)に使っていた洗濯機が、
庭に放置されている(一応ビニールがかかっている)のを思い出し、
家の洗濯機と入れ替える。

・・・簡単に書いたが、とても大変だった。
今の洗濯機の給水ホースとか、排水路をつなぎかえたり、
古い洗濯機を設置しなくてはいけない。
とても重い洗濯機を持ち上げた拍子に、ぎっくり腰になってしまったのである。
無理はいけない…

冷静に考えると、私が洗濯しなくてはいけないことは無いのだが、、、
奥様はテニスに行かれたので、私が自転車に乗れないなんて些細な事は言っていられない。(フン!)
古い洗濯機が3年ぶりに無事に動き、
何とか洗濯出来たのを確認し、(洗濯できるまでが束の間の休憩時間)
洗濯をしてから、電気屋さんまで自転車で走って行った。
(車で行けばよかった)

私の家の周りには、家電量販店が2つしかない。
まずは遠い方を先に行って、近い方で良いのがあったらそれで買おう!と
遠い方の店まで自転車で走る。
店内では、販売員が通路ごとに立っていて圧迫感があるが、
いくつか値段をチェックしてから、もう一店舗に向かった。

しかし、、
今の洗濯機は、なんて高いモノだろう。
最新機種は20万もするのである。
とてもとても下々の私には手が出ない。
さらに言うと、壊れた洗濯機には乾燥機がついていたが、
この機能は、1回も使ったことが無い。。。
すなわち、我が家にいらない機能なのだ。
さらに言うと、我が家には”バス乾燥”機能も風呂についているのだが、
こちらも使ったことが無い。
梅雨の時にも、家の中で何とか干している。。。。
宝の持ち腐れである。

さて、近くの家電量販店に行くと、
ビックリするぐらいに、品数が少ない。
普段は洗濯機なんか見向きもしないのだが、こうして見てみると、
ラインナップと値段の差が明らかになってしまう。
仕方なく、さっきの遠い方の家電量販店に戻って行って洗濯機を買う事にする。
(自転車で25km程走ってしまった)

さっきはあんなに沢山いた販売員が、
ちょうど12時を過ぎてしまったためだろうか、誰もいない。。。
下を向いて書類を書いている人が、頭が上がった時に声を掛けたら、
「すみません、今接客中なので、お待ちください」
と、随分と待たされる。
別に待つことに腹を立てる事も無いが、自分のタイミングの悪いなぁ。。。と思う。

ようやく販売員が来たので、「これください」とお願いすると、
販売員も「○○円ですが、○○円にします!」と即答してくれる。
値下げ交渉をしたわけではないので、一瞬ポカンとしてしまったが、
値段を下げてくれるので、怒る事も無いだろう。
「あ、はい。ありがとうございます。」
と、お礼を言う。
(もう少し喜んでも良かったと思う)
その代り、張り紙に記載していた、「1万円で下取り!」というのは無く、
「なんで無いんですか?」と聞くと、「7年前までの家電品までなので無い!」とのこと。
じゃぁ、書いておいてほしいなぁ。と思いつつつも、
数千円値下げをしてもらった手前、なぜか納得する。
(朝三暮四作戦だよな・・・)

ただ、その洗濯機が届くのは、在庫の関係で、1週間後になるそうだ。
北陸から持ってきた洗濯機(昔のモノを取っといて役だったのはこれくらい?)は
1週間は有効活用できそうなのである。
(でも本当の目的は、長野の実家に置いておくためだったのだが・・)

洗濯機が”来週の月曜日”に届く旨を奥様にメールしておく。
話が飛んで、翌日の”火曜日”に、仕事をしていると、
奥様から「洗濯機がまだ届かない」とタイトルだけのメールが来た。
そう、昨日は海の日の”月曜日”で、届くのはその一週間後の”月曜日”なのに、
奥様は、翌日が月曜日だと勘違いされてしまったらしい。

その旨をメールで返信すると。
「しね」
という2文字のメールだけが返信されてきた。

なお、上記の出来事は、一切脚色しておりません。
時々、人生を振り返りそうになりますが、
それをすると悲しい結果にしかならないので、前だけを見て進んでいきます。
壊れるのは洗濯機だけで十分なのです。
人生が壊れたわけではありません(涙)

前述の通り、
洗濯機は、長野の実家に持って行くために、庭に転がしておいたのだが、
「いざ!」という時のために使えるもの・・・と考えると、
なかなかモノを捨てられなくなってしまう。
「こんなこともあるかと思って、取っておきましたよ!」
と言って出せるとカッコいいのだが、
ストックとモノを持たない自由さは、相反するのである。

マージャンの「キール、クールの法則」(あきらめて牌を捨てると、待っていた牌が来る。切ると来るの略)
ではないが、捨てると直ちに、「あー、捨てちゃいけなかったー」というのは、
頻繁に起こるのだが、
それに備えてしまうと、ゴミ屋敷が出来上がってしまうのである。
バランスが難しい。。

あと、
洗濯機、、、、ひらがなにすると”せんたくき”であるが、
私は”せんたっき”と呼んでいる。
当然、日本語変換されない。。。。と思ったら、、、
あれ?日本語変換された。。。IME賢い。。

ただ、それだけ。
今日のつまらないブログ、終了します。
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三浦半島の黒崎の鼻。
隠れた秘境だけど、あまりに辺鄙過ぎて、あまり行きたいと思わない場所だったりする。

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足が止まる・・・ [どうでもいいこと]

もー、どうでもいい。
どうでもいいのだ。

今日のブログは、愚痴ばかりである。
負のオーラ全開だ。
読んでも、身にも為にもならない。
このまま次のページに行ってください。
マイナスのパワーを吐き出すためだけに記載しています。


ここ数日、資料作成にかかりきりになっている。
何もないところから、夢を描いて、会社の偉い人たちに見てもらうモノである。
ただ、
それは、実際に何かを生み出すものではない。
単なる夢を語るだけだ。
こうしたい!という、思いを描くだけで、実態は何もないのだ。

そんな事をして意味があるのか?
給料もらっているんだろ?
時間の無駄じゃないのか?
私の中でも葛藤がある。

でも、問題はそこではない。
この業務については、それなりに覚悟と熱意を持って進めてきた。
誰になんて批判されても、弁明することなく、自分の道を進むことを決心している。

ただし、
その進める道が、一人では無かった。
チームとして、メンバーと議論を重ねて、アイディアを出しながら進めてきた。
その進め方は、トップがいて、上司の気持ちを推し量って進めるのではなく、
チームメンバーがアイディアを出して、どうすればいいか考え、
時には意見を戦わせて、より良い方向を考えてきたのだ。
チームと言いながらも、実質は、
私と同僚、そして2人の上司の3人である。
3人が平等な立場で意見を言い、話し合いながら進めてきた。

私の同僚。
これまでのブログにも何回か登場した、尊敬すべき人物である。
昔からの付き合いで、2年前に同じ職場の同僚となった時には、この上なく嬉しかった。
入社は一つ下、年は三つ下であるが、才能とやる気と行動力ははるかに私より上回り、
当然ながら、同僚と言いながら、職級はとっくの昔にはるかに上である。
彼が一番すごいと思うのが、
・異なる意見を持つ人を、いつの間にか、同じ方向性にしてしまう。
事である。
後ろ向きで攻撃的な人は、どこにでもいる。
私の場合には、撃退するか、逃げるかしか選択肢が無いが、
彼の場合には、友達になって方向性を変えてあげる。しかも、相手も大満足の状態で。。。
なのである。

もちろん、憧れるし、真似したい。
が、真似できないのだ。
なんて言うのかな、強い意志。鋼の意志を持ちながら、
ぶつかることなく、巧みにコントロールする策士。
いや、心にやましいことは無いので、天使?神?
そんな存在なのである。

もしかしたら、私自身が、コントロールされてきたのかもしれない。
かなり時間をかけて、沢山の事を教わってきた。
彼は家に小さな子供も、奥さんもいながら、早く家に帰りたいだろうに、
遅くまでオフィスで懇々と問題に対する解決策を教えてくれた。
会社のスポーツイベントの帰り道で、
川の土手沿いを二人で歩きながら、30分以上懇々と教えてくれた。
そんな、思いやりのある人物なのだ。

そんな彼が、異動してしまった。
もちろん、栄典である。
支社の幹部の一員として、地元に戻って行ったのである。

彼は人望が厚いので、送別会は大変だった。
毎夜毎夜の送別会に入らないので、ランチ送別会もやっていたようだ。
しかも、送別会のあとに、家に帰って仕事をしているほど、
要職についている彼は多忙を極めていた。
そんな忙しい彼に対して、私はわがままいっぱいだった。
チームの送別会を催し、部門の送別会も実施させていただいた。
それぞれにプレゼントを送っているのだが、最終日にも、彼を慕う人から、
プレゼントの嵐であった。(持って帰るのが大変そうだった)

そして、最終日のプレミアムフライデーに「早めに帰る!」と言っていた彼は、
定時にようやくオフィスを離れる事が出来たのである。


で、
だ、残された私の現実が待っている。
冒頭の会議資料。夢を語る話。
・・・・
手がつくはず無いじゃないか!
職場では、あまり感傷的になってはいけない。
しかも、同性の同僚が異動して悲嘆していると、「ホモだったのか?」と疑われてしまうじゃないか。
(50近いオッサンに、その疑惑が向けられるかどうかわからないが…)

作るべき資料を目の前にして、
その日は何も出来ず、資料を持って家に帰る。

次の土曜日の日。
朝から資料作りを続ける。
もちろん、モチベーションが落ちている。脳みそも動かない。

コーヒーを飲んだり、環境音楽を掛けたり、
一生懸命集中しようと努力する。
エンジンがかかるまで4時間もかかってしまう。

資料の案件を沢山練っていくと、いくつも課題にぶつかる。
しかし、その課題は、それまでに異動した彼が指示した方向が一番的確だったという事にたどり着く。
やはりそうか、
彼の掌の中で踊っていただけなのか。
ダンシング・イン・ザ・パーム(palm)なのである。
(ネットで調べたが、そんな言葉は無かった)(オンなのか、インなのか・・・イメージはインである)
彼の思考の奥深さをあらためて感じるばかりである。
諸葛孔明の後事を託された蜀の役人のようである。。

エンジンをかけるのに4時間かかったのに、
燃え尽きるのは、もっと短かった。(30分も無かった)
こんな私では、このまま仕事を続けるのは難しい。。
放棄してしまいたい。
投げ出してしまいたい。
泣いてしまいたい。

ただ、彼にこの仕事はやり遂げると宣言した。
彼が再び、本社に戻ってくるまでに、それを完成して定着させなくてはいけないのだ。
それが今まで指導してくれた彼の恩に対する成果・・(?報い?)なのである。


仕事のピークは再来週の金曜日である。
それまでにも、事前の打ち合わせ等含めて、大波小波がやってくる。
周りを見渡せば、仕事の問題ばかり転がっているが、ほっとくしかないのである。
一つの事に集中出来ない私が、
心の支えを失って、やり遂げられるのだろうか?

いろいろな考えが被ってきていて、
ノイローゼのような状態である。
・・・大丈夫、大丈夫、それを自覚しているだけ、自覚出来ているという事なので、
まだまだ余裕という証拠なのだ。

人間、心が弱っている時で、前に進めない時がある。
人間だから、たまにはそういう時があってもいいのだと思う。
オフィスで夕焼けを見ながら泣いても良いのである。(いや、いかんだろう)
誰かに頼りたいと思っていいのである。
何も手に着かず、ボーーーとしても良いのである。
足が止まってもいいのである。
そんな時を、認める自分がいるのである。
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気分は夕焼けのたそがれ。。。
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送別会 [どうでもいいこと]

私の会社は、異動の季節が年に2回ある。
正確に言うと、365日、人事の発令を出することが出来るのであるが、
一斉に異動するのは、春の定期人事異動と、株主総会後の偉い人の人事異動である。

株主総会では、新たな役員人事が承認され、
その日のうちに、新旧の役員が入れ替わる。
トップだけが入れ替われば良いのだが、
トップに昇進するという事は、その人の前のポストが空き、
そのポストに新しい人が座るので、偉い人が次々とつながったトレイン人事が発生するのだ。

もちろん、私みたいなペーペーには関係ない話であるが、
私の職場でも、尊敬している人が地方の支社の部長として御栄転していくのである。
その人からは、まだまだ学び取りたいことが山ほどある。
非常に尊敬に値しする人で、この人だけは絶対かなわないと思える人であり、
相当に人格者でもあり、人望もあるのに、どういう事か偉ぶる様子も無い。
遠い将来、きっと彼が本社に戻ってきて、
会社を動かしているだろうことを信じて止まない。

ただ、私の会社は、必ずしも出来る人、真面目な人、スキルを持った人が偉くなると限らない。
なんでこの人がまだここなの?という方が多い。

それだとしても、彼の才能は、遙かに凡人の尺度を飛び越えていくだろう。
今後のマスマスのご活躍を心からお祈りするばかりである。

ささやかな送別会を実施した翌日、
午前中だけ休みを取って、自転車で走りに行った。
仕事は沢山あるのだが、、、、どうしても休みたいという、出社拒否的な思いもあったりする。
(尊敬する人がいなくなってしまう、精神的ダメージだろう)
で、午前中だけちょっと走れるところ…ということで、横浜市内を走った。
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普段は赤レンガ倉庫は人の混雑で溢れているが、
平日の午前中は、美しい景色を見る事が出来た。

仕事に行く前に、軽く自転車で汗を流せるなんて、
いいなー、いつもこうしようかな…
北陸時代は、20~30kmは走れたよな。。
と、軽快に自転車で走っていたが、途中で
”カラン、カラン”と、異音がするので、止まってみると、
自転車のタイヤのスポークが1本折れていたのである。

先日、羽田空港でパンクした際、前輪に大きな衝撃を受けたのだが、
どうやらその時にスポークにひびが入り、、その後もなんとか走っていたのだが、
たまたま今日、折れてしまったらしい。

スポークが折れても走る事が出来る。
ただ、私の自転車は、普通の自転車よりもスポークが少ないタイプなので、
走っている間に、タイヤがぶれ始めてきて、安全走行が危ぶまれる状態に陥ってしまった。
幸いにも、家から10km程の場所だったので、ゆっくりと家に帰り、
スポークを修理する。
スポークの修理に思いのほか時間がかかってしまったが、
何とか無事に午後からの出社に間に合ったのである。


ただ、
自転車で走って、体力が疲弊したのみならず、疲労でキレが無くなってきたためか、
夕方からの仕事の効率が随分と落ちていた。
単なる調査結果報告書の作成であったが、あーでもない、こーでもない…と、
作ってはやり直し、つけ加え、、、そぎ落とし。。。
夜10時を過ぎても終わりが見えなかったので、仕方なくオフィスを後にする。
働き方改革が叫ばれる中、おれ、何やってんだよー。。。という感じであった。

その日は、そんな、”ダメな自分”にすごく嫌気がさして、
いつも以上に疲れて帰る。
自転車で走らない方が良かったのだろうか?とも思ってしまう。
(結果的にそうだったんだろうね)
翌日、目が覚めたら家に誰もいず、随分と深い眠りにいたことに気がつく。
連日の飲み会や出張で疲れと睡眠不足で効率が悪くなっていたのだと、
自分のせいではないという結論にしておく。
(ああ、ワガママな…でも、気持ちが楽だ)

自転車に乗るには、、、子供の帰って来る時間まであまりない。
じゃぁ、、、という事で、裏山を散歩がてらトレイルランニングをする。
先日、仕事で都内の高級マンションに行ったのだが、そのマンションの人から、
”マンションにある森が美しく、自慢である”と聞いた。
私の家は、都心部から随分と離れているが、森(林?)があり、
自然豊かである。
高級マンションとは、いろいろ、、、ほんとうにいろいろ違うが、
ここも住むのには快適な場所だと思えば、良いのではないか、
人間の満足ってそんなところなのじゃないかと思うのである。

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トレイルランニングで道に迷い、見知らぬ池に出くわす。
なんだかんだ言っても、住宅の合間にある自然公園なので、
道に迷っても、結局のところ、目的の道にたどり着けるのである。

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今日は良い天気だった。
明日はどうかな??
走りに行けるかな・・
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お金のやりくり [どうでもいいこと]

後悔先に立たず・・・

相変わらず、失敗が続く・・・
出張時の飲み会で新幹線に乗り遅れた!という、失敗のネタを、
もう一度ブログに書いてしまう程に、耄碌してしまっている。

耄碌

難しい漢字じゃないか。
絶対に書けないぞ。
ワープロ変換て、便利だな。。(しみじみ・・・)
いや、そんなこと言っている場合ではない。

先日、高松まで電車で出張に行ったことは書いた。
その出張までに、JR東海のエクスプレスカードを申し込んだ。
これがあれば、出張費が抑えられる!と思っていたが、
清算してみると、ほとんど、抑えられていなかった。
よくよく説明書を見れば、
・割引電車は指定されている便のみ
・長距離移動の場合には、エクスプレスカードで指定席だけ取り、乗車券は往復切符の方が有利
って、書いてあった。

知らないこととは言え、残念な話であった。
この失敗を、次に活かせればよいのだが、
次に高松に行くよりも、私が現職を異動してしまう方が先だと思われる。

お金関係で思い出したが、
長女の学校には、寄付金を(強制的に?)取られる。
その寄付金は、確定申告により還付金を受けられるのだが、
何回か忘れてしまった事がある。
税金を払わないと、地獄の底まで追いかけれれるが、
還付金は請求しなかったら、一生戻ってくることが無い。
・・・
請求しなかった方が悪いと言われればその通りだが、なんかこう、
情弱の人が損をする世の中だよな。。。と思うと、
公平な福祉の観点で異なる気もする。

え?そもそも強制的な寄付金がいけない?
・・・確かにな。

長女が、「私立学校の通学に対する支援制度」の紙を学校から持ってきた。
だんだんと対象となる人たちが広がって、
ある程度の収入がある人でも、支援をいただけるらしい。
嬉しい事じゃないか。
ところが、ちょうど私の年収では、補助を受けられない最低の値だった。

子供達には、「パパは高額収入だから、こういうのはいらないのだよ!」と、
強がって見せたのだが、
あと少し年収が少なくなれば、多くのお金が”対価無く”いただけたと思と、
心の中では涙の嵐であった。

そう、
私立学校に通う、二人の娘を抱える私は、
毎年、4月からボーナスまでがとても苦しい時期になる。
ほぼ毎日、通帳を持ってATMに行き、何度も「記帳する内容がありません」という画面を見ながら、
お金のやりくりをしているのである。
来週は、給料支給日とボーナス支給日のダブルの週である。
1年で1回だけのバラ色の一週間である。

お金と言えば。。。
私の働く会社は、株式会社であり、(強制的に?)
自社株への出資をさせられている。
会社の勤務年数が20年にもなるので、そうとうな(?)株数になると思うのだが、
分割したり統合したりしているので、正確に何株あるのか知らない。
また、その株を引き出す方法すら知らない。
さらに、その株を引き出したら、どうしたら良いのかも知らない。
ああ、
情弱は、ここにもいたのか。

前述の4~6月の金欠時に、どこの貯金を切り崩そうかと考えたが、
この自社株だけは、手を付ける事すら考えなかった。
今引き出すのが良いのか、悪いのか、どうやったら引き出すのか、
自社株を勝手に引き出すと、何とかサイダーに引っかかるのかどうか。。
ああ、
情弱ここに極まれり。。


お金が無い、無い!と夫婦で騒いでいると、
子供たちがとても心配する。
情緒豊かな子供になってほしいので、あまりお金の心配をさせたくはないのだが、
ついつい、日々の生活の不安から、お金の話になってしまうのである。
もちろん、
その多くが、妻の無駄使いである。
ビックリするぐらい、無駄使いなのである。
今日、家の掃除をしていたら、ごみ箱から、妻のテニスのグローブを見つけた。
まだまだ十分使えるグルローブなのに、
もう片方は、妻の寝室に転がっているのに…
私の自転車のグローブは、ボロボロでも使っているのに、、、
妻は、いらなくなったり、片方が見つからないと、さっと捨ててしまうようである。
だから、喧嘩になるのだが、
一向に反省したり、改善したりする様子が無い。
# 時々、衣服が詰められた大きなゴミ袋が廊下に転がっているのも目撃する。

そんな夫婦のやり取りを見ているのか、
二人の娘たちはとても質素である。
少し可哀そうだなんと思いながらも、
いやいや、質素に生きていれば、将来を見誤る事はあるまいと思うのである。

少し、今日のブログはお金の事に意地汚くなってしまった。
(ええ、私は常に意地汚い人間です)
武士はくわねど高楊枝、、、、と行きたいが、先立つものが必要である。
今週、一週間が楽しみである。


今日の内容と関係ありませが、、
170618.JPG
讃岐の高松城
別名玉藻城というそうですね。
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