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デス・エデュケーション [近況]

ふと、6月の活動記録を振り返ると、
毎週末に100km以上自転車に乗っていた。
土日は8回あったので、合計で900km以上走っているのだが、
なんと、6月は1日もランニングしていなかった。

1週間で2日以上通勤していて、
朝一番にオフィスに行き、夜11時ごろに家に戻るので、
翌日は在宅勤務でも、早朝ランニングが出来ない。
寝ていたいから。
「僕は、在宅勤務は、ランニングしています!」
という、自慢話が全く出来ない生活だった。。

ということで、今、1か月ぶりの夕方ランニングしてきました。
やはり、ランニングは気持ちが良い。
しかも、自転車で4-5時間走るのと違って、
短時間で適度な疲労になるので、効率的である。
7月は早朝ランニングをしたいものだ。


話は本題に。
NHKの連続ドラマの「鎌倉殿の13人」を見ている。
さすが三谷幸喜、おもしろい。
ところが、鎌倉時代の数十年を、ドラマの中で飛ばしていくので、
次々に登場人物が亡くなっていってしまう。
先週末は、影の主人公ともいえる源頼朝の最期が放送された。
軽妙で重層で、それでいてコミカルだった。。
さすが、三谷幸喜の演出だ。

主役級の登場人物が亡くなるので、
視聴者が痛々しいショックを受けてはいけない。。
という配慮もあるのだろう。
番組の冒頭でも、「源頼朝の死が近づいている」ということをアナウンスするし、
おっと、ここで亡くなるのか?というシーンもあったり、
死に対する恐れ、覚悟を映し出すシーンが沢山出ていた。
そういう”準備運動”もあり、
番組の最後に、源頼朝の命が燃え尽きる瞬間を、
しっかりと受け止める事が出来た、、、そういうように、番組が作られていた。
と思うのである。

ここは、非常に重要だ。

人はいずれ亡くなる。
しかし、それを意識して、覚悟しておかないと、
いざその時が来たときには、残された人々は、戸惑い混乱し再生できない可能性もある。
いわゆる”心の準備”を、身近な人の死に対して持っている必要があるのだ。

遠藤周作の本の中で、
そのことを、「デス・エデュケーション」(death education)と表現していた。
まず、自分自身の死に対する心構えをすることと、
近親者のその人の死に対する心の準備、遺書とか資産とかの分配の準備も含めた配慮・対応をさす。

親しい人が亡くなると、
とても悲しいだろう。
でも、生きているときから、「俺が亡くなったら、こうしなさい」と言っておけば、
心の準備ができるのではないか。
というものだ。

私も、自分の母が高齢出産だったこともあり、
常日頃、「私が死んだときは」という話を聞かされた。
幼心に、死んでしまったら困ってしまう!と苦しんだが、
大学生になって親元を離れるまで亡くなることは無かったので、
子供をそんなに苦しめることは無かったのに・・・と思うこともない。

一方で、
私の箱入り娘たち。
のほほーんと生きている。
上の子は口もきいてくれず、何とか自立して生きていきたいらしく
お小遣いもなかなか手を付けないが
(妻や次女がかっさらっているのではないだろうか?)
次女の方は、ありがたく何不自由なく過ごしているので、
私が突然死んだら困るだろうなと思うのである。

私に依存度が高い、口も利かない家庭内別居の妻は、
経済的にはもっと困るだろうなと思うのである。
ここは、、、
ざまぁみろである。


さて、
心を入れ替える。(書き直しはしないけど)
明日、26年務めていた会社から、追い出される。
明後日、新しい会社に入る。
勤務地は変わらないし、仕事も変わらない。
会社という器が変わるだけである。
・・・
そんなことあるのか?
と、自分でも思うのだが、
そんなことになってしまったのである。
不思議な事だ。

しかし、何とかなるだろう。

そして、これもまた、そのうち、本当に会社を追われる(定年になる)前の、
デス・エデュケーションなのかもしれないと思うのである。

こういう輩が、
なかなかいなくならないのである、、、気がするが。

220629.jpg
逗子の海



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聞いてない~ [近況]

聞いてないよ~…は、どこかの芸人の鉄板ギャグであるが、
その話ではない。

人がコミュニケーションをはかる時、
伝えたい人の意図・意志・目的が、
伝えたい人に伝わるのは、その一部でしかないと言われる。


伝えたい人が、何とかして伝えたい!と、
躍起になって、丁寧な説明をしようとすればするほど、
説明が長くなり、
聞いている人は退屈になり、集中力が落ちる。
結果、伝わらないことになる。


先週、久しぶりに対面のミーティングで、
私の会社の業務について、少し長い説明をした。
「少し長いので、飽きてしまうかもしれませんが、
今日は顔が見れるので、飽きられたら切り上げますね」
と、半分冗談で話をしたが、
結果的に、資料の後半は切り上げた。
Webミーティングではなくて、対面の打ち合わせはやはり必要だなと思うのである。


いや、だから、私の説明がへたくそなのを、
まずは反省しないといけない。


都合が悪くなったので、話をそらすが、、、、
1週間で3日も出社したので、とても疲れた。
コロナが落ち着いてきたからだろうか?
来客が多くなり、数時間の為に出社しなくてはいけない。
3日出社しただけなのに、とても疲れた。。
コロナが空けても、リモートワークを推進したいと、固く心に刻む。
(あれ、冒頭ということが違う・・・)


7月がやってくる。
25年以上働いていた会社が変わる。
えらいこっちゃ・・・
新しい会社の新しい部署で、ひとこと言うのだが、
あれこれ考えいるのだが、
「どうせ誰も聞いていないだろうから」
という、僻み(ひがみ)の気持ちを持ってしまう。

人は、3つの事ならば覚えていられるという。
3つ書き出し、それぞれに項目を書いたら、
3×3=9項目にもなってしまった。
・・・
これでは、やはり聞いてくれないだろう。

勇気をもって言わない事

実は、これが雄弁となるキーポイントだよなと、
改めて思うのである。
哲学だな・・ふっっっっ  ←自分に酔いしれる=うぬぼれ野郎である

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富士山の雪はもう融けたのでしょうね。(写真は5月のモノ)
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壊れているもの [近況]

SDGsというのか、
ケチというのか、
貧乏性というのか、
野放図というのか、、

よく分からないが、
モノを捨てられないタチである。

壊れたら、さすがに、買い換えなおさないとけない。
にもかかわらず、
使い続けているものがある。

思い切って、買いなおせば、そんなに執着も無く入れ替えられるが、
使っているものが、
壊れていても使い続けられるならば、
どうしても使ってしまうのである。

ケチなのか、
貧乏性なのか、
めんどくさがりなのか。

220624.jpg

今、目の前にあるものを、机の上に並べてみた。
左上のコーヒーカップ。
何の思い出も無い、普通のマグカップである。
取っ手が割れて持てなくなってしまったが、
陶器用の接着剤でつなげて使い続けている。
ずっと使い続けていると、接着効果が無くなり、
また取っ手が取れてしまうのだが、もう一度接着すると、使えるので使っている。

食器棚には、使われていないマグカップが出番を待っている。
中には思い入れのあるマグカップもあるので、
そっちを使ってあげたい気持ちもするのだが、
何故か、今使っているマグカップを、直しながら使い続ける。。。


前述の写真の右上のヘッドホン。
社会人になって、初めて”高級”なモノを買ったものだ。
1万円を超えるヘッドホンは、学生時代には考えられなかった。
オーディオ人気の時代は、1万を超えるものはざらにあるが…
今から25年前の1万円を超えるヘッドホンは、自分にとっても超高級品だった。
が、
音が違った。
とてもクリアだった。
30万もするコンポも買ったので、(2回目のボーナスで)
それとセットで聞いていたが、
コンポは家族が出来てから使わなくなり、錆びて雑音だらけになって使わなくなってしまった。

ヘッドホンは、そのまま使い続け、
イヤーパッドが破れてむき出しになったり、
それでも使い続けていたら、へたれて弾力が無くなってりしてしまったが、
音が聞こえるので、使い続けていた。
たまたまネットで、イヤーパットを調べると、2000円ぐらいで交換できることが分かったので、
ネット注文してイヤーパットを交換したら、
さすがに新品とは言わないまでも、快適に使えるようになった。
・・・
これは、セーフだろう(?)

冒頭の写真に、
ノートパソコンとキーボードが写っているが、
10年以上前のノートパソコンである。
そして、キーボードが壊れ始め、押しても反応しない文字が出て、
そして、反応しない文字が増え始めた。。
もう、買い替えだよな、、、と思ったが、
キーボードだけ買い直し、使い続けている。
・・・
10年前のノートパソコンなので、反応が悪かったり(起動に5分かかる)するのだが、
仕事のリモートログインで、会社のシステムに入るだけであれば、
ノートPCのスペックには依存しないため、これで十分なのだ。
画面も大きいので、”アリ”ではないかと思われる。
なお、
会社からも、リモートワーク用のPCを借りている。
そちらは全く問題ないが、画面が小さいので使っていない。
それだけである。


冒頭の写真の真ん中に、メガネが写っている。
いつ買ったのか覚えていないほど古いメガネで、
メガネの表面の膜がはがれてボロボロである。
遠目に見ても”汚い”メガネである。
しかも、何度も踏みつけて曲がっているフレームレスのメガネであるので、
これを顔に掛けていていいのだろうか?と首をかしげる。

ところが、不思議なもので、
こんなに表面も汚いメガネなのに、かけてしまうとちゃんと見られる。
(焦点が合うという意味)
しかも、フレームレスで軽量なメガネなので、
鼻や耳が痛くならない。
そんなこともあり、使い続けているのである。

このメガネで普通の生活もしているが、
外出するときには、さすがに掛け替える。
見た目を気にしないタイプだが、さすがにボロボロすぎて、恥ずかしい。
また、
テレワーク中も、顔出しをする場合には、メガネを掛け替える。
替えたメガネは、ボロボロのメガネよりもクリアに見えて、
外から見ても問題ないのだが、
やはり重いので、鼻や耳が痛くなるのである。

・・・
いやいや、買いなおせばいいでしょ?
軽量なメガネで、お安いモノなんていくらでもあるのだから。
と、思うでしょ?
わたしも、思います。
ところが、
お店に行くと、
どうしても、「まだいらないよな・・つかえるよな・・・」と、二の足を踏んでしまうのである。

これは、、、アウトな気がする。


あと、写真に無いが、
靴は買い換えたい。
革靴とスニーカーの中間の靴が欲しいと思っていて、
お気に入りのメーカーの靴を買ったのだが、つま先とかかとがすり減ってしまい、
お客様先にそれを履いて出かけるのは、さすがにためらってしまう。
となると、
やはり買いなおすべきなのだが、
今日も、仕事が早く終わったので、お店に行ったのだが、
モノを手に取ると、
「いやいや、まだつかえるからなぁ・・・」
と、優柔不断さが出てきて、今日も買えなかったのである。

壊れているものを大切に使うことは、
悪いことではないと思うのだが、
TPOというか、条件や環境によるから、買いなおす必要性もあるのだけど、
何か引っかかるんだよね。

あ、
家庭も、精神状態もこわれているけど、
そちらも放置しています。

そうか、全てをひっくるめて、決断できない男なのだなぁと。


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羽田空港周辺ライド [近況]

月日が流れるのが早い。
体感スピードの2-3倍の速さで流れている気がしてならない。
歳を取ったからだろうか?

この週末、天気が崩れるのか持つのかが、、、微妙な天気予報だった。
結論としては、日中は2日とも持ちこたえ、自転車日和であった。
もっとロングドライブしておけばと、毎週のように思うのだが、
いやいや、この駆り立てられる気持ち、
切迫観念というのだろうか?
負荷を感じる気持ちは良くないなと、
誰のせいでもなく、自分のせいなのだが、、、思い直す。

平日の勤務時間帯は、集中して資料作成が出来ないので、
(資料作成に集中しすぎて、打ち合わせを欠席ばかりしてしまったので)
平日の夜か、土日にやるしかない。
自転車乗りと仕事を同居すると、それ以外の事が出来なくなるので、
(それ以外があるのだろうか?)
なるべく避けたいし、在宅2年目にして、
「休日は、仕事から離れて、ゆっくり休もう!」
という気持ちにしっかりと切り替わった。

通勤していて、仕事が忙しいときには、
睡眠時間を削って、電車の中でウトウトしながら仕事して、
自律神経を失調したこともあったが、
在宅勤務で睡眠時間がたっぷりとれると、ちょっとは無理が出来る。
ありがたい。

いや、そんなつまらないことを書いてどうする。
(いや、常につまらないぞ)

今日は、平坦な道だけ走ろう!と、羽田空港まで走りに行く。
220619_1.jpg
家から湾岸沿いを走り、ずっと平地を走り続ける。上り坂が存在しないコースである。
羽田空港といいながら、空港敷地内には入れない。
開通したばかりの多摩川スカイブリッジで折り返す。

昨日、今日と、自転車乗りが少ない気がした。
どこか遠方に行ってしまったのだろうか?
そして、神奈川県のパスポート施設の前には、若者が長蛇の列を作っていた。
そうか、夏休みに備えて、パスポートを作っているのだなぁ、、、と、
季節の?絵図らを捉えられてニンマリする。

ところが、気持ちが緩んだせいか、またパンクした。
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今年に入って4回目のパンクである。
他の人がどうかわからないが、ちょっとパンクが多いのではないか?
私は学生時代から、パンクが多かった。
学生時代の原因は、空気圧力が足りなく、段差や悪路面に耐えられなかったからだと思う。
現在は、ちゃんとした?空気入れでしっかりと所定の圧力で入れている。
今日、パンクした原因は、「タイヤに金属片が刺さっていた」ためなのを発見した。
どうやら、結構前から刺さっていたんじゃないかとと思われて、
今日はちょっと空気圧を高めに入れたので、とどめを刺した感がある。
・・・
自業自得だが、情けない。

パンクしないタイヤがあるらしい。
タイヤの部分がゴムで出来ていて、空気の部分が無いそうだ。
だからパンクは出来ないのだが、空気が無いので振動が直撃するらしい。
つまり、快適ではないそうだ。
快適さと、パンクによる挫折感+疲労を無くす、、、どちらがいいか?

分からずに、決められないままに、
これからも走り続けるのだろう。
つまり、パンクする方を選ぶのだろう。

人間は変化を嫌うから、惰性を選択する。
私の特性だろうね。
220619_3.jpg
羽田空港のA滑走路とB滑走路から同時に飛び立つ飛行機。
かっこいいなぁと思いながら、ぶつからないんだなと感心する。

飛行機か、、しばらく、全く乗っていないなぁ。。。
コロナで出張も減ったこともあるけど。
空を飛ぶ夢のような時間は大好きなのだけど。
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在宅勤務と出社 [近況]

世界の事業家で大富豪のイーロンマスク氏は、
社員に週40時間の出社と勤務を命じていることが話題・ニュースになった。
経営者としては、どのように会社運営するかで、
営業利益が変わっていくから、打ち出す方針は、とても重要であり、
その会社の方針や事業運営が良く表れている。

コロナの蔓延により、在宅勤務が一気に広がった。
私の勤める会社も、在宅勤務を試行的に実施していたし、
月に1-2日ぐらいは、在宅勤務をして多様な世の中に順応しようとしていたが、
コロナ禍によって、月に1-2日ぐらいしか出社しない文化になってしまった。

いろいろな事が起きた。
悪いことと言えば、同じ担当・チームのメンバーの顔が分からない。
声しか知らない親密な人も出来た。
社内だけではなくて、会社対会社でも一緒で、ビジネス・商談をするにもかかわらず、
あったこともない人も沢山いるし、
1年後に「はじめまして…ですよね?」ということも沢山ある。
それでも、コミュニケーションは実施される。
社内でミーティングをしていても、特定の人ばかり発言するので、
存在感が無い人もいる。
彼が、何をしているのか、正直に言うと分からない。
仕事でテンパっているのか、手抜きをして楽をしているのかもわからない。
仕事を押し付けられる、ある部署の人が
「俺たち、朝から晩まで漫画でも読んでいると思っているのか?」
と、ブチ切れていたが、
そもそもそういう発言が飛び出すということは、
仕事中に、漫画を読んでいる人もいるのだろうか?
・・・
もし、そうだったとしても、正直に言って分からないのである。

そして、これは、仕事の評価にも適用されてしまう。
私は、両方の立場、、評価する側と、評価される側になる。
評価される側としては、「評価されることに不満も希望もいただかない」ので
どんな点数がつけられて、どんな給料やボーナスになっても、あまり気にしない。
だが、
評価する側になると、正当に、公平に評価しているだろうか?ということは、
悩みであり、気になることである。
その人の人生を左右するかもしれないし、
その評価が次のモチベーションや行動につながるということも考えられる。
私のように、アピールしなかったり、やったことを正しく伝えないと、
「何していたの?何もしなかったの?」
ということになってしまうのである。

6月は夏のボーナスの季節であるので、なおさら、その重要さを感じる。


話は戻り、
在宅勤務による恩恵を上げるならば、
最も大きいのが、時間に余裕が生まれる事だ。
通勤時間が劇的に減るので、私のように3時間以上通勤に時間を割いていた人は、
それが仕事の時間や、プライベートの時間になれる。
1日3時間が生み出されること自体に、ビックリする。

私の場合、睡眠時間に充てることも多い。
バカみたいな話だが、夜10時に帰ってきて、朝5時半に家を出ている生活をしていた。
睡眠時間が足りなくなり、体調だけではなくて、精神的な不調もあった。
いわゆる、自律神経失調症というやつだ。

今は、疲れたら寝る。
疲れていたら、起きない。仕事ぎりぎりまで起きない。
疲れていなかったら、ランニングをしてから仕事をする。
というように、かなり自由度が増えた。
つまり、健康になった。
その結果、
土日に自転車に一日中乗ることができるようになり、
1年で1万キロ走るようになった。
単純計算をすると、毎週200km走ることになる。
雨で走れない日や、自転車以外のイベントで走れない日もあるのに、
平均200km走っているという計算は、、、、恐ろしい。
というか、バカだよなと思う。
ただ、
だんだんと、体力の衰えを自覚するようになったので、
自転車で走らなくなったら、一気に加齢がやってくる・・・老け込むというのが
自覚症状として表れているから、
足を止められないのである。

ブログを書いている今は、夜も更けているが外は雨が降っている。
雨が降れば、自転車で走れない。
残念だけど、実はホッとしたりもしている。
そんなに嫌なら、走らなくていいのにと思うのだけど。

220611.jpg

来月、会社が変わる。
転職ではなく、グループ会社の再編により、母体の会社から子会社に行く。
不安はある。
このタイミングで、辞めてしまう人も多いらしい。
在宅勤務の方針は、親会社の社長方針でもあるため、
原則としてリモートワークになっていくようだ。
つまり、
この状態のまま、コロナが空けても継続される予定である。

顔も知らないメンバー構成で、新しい会社。
不安が募らないわけがないのだが、
現在の仕事や組織がそのまま子会社に行くので、
不安の中の安心感もあったりする。

在宅勤務になじんでしまい、
出社したくない症状があるのは、正直な気持ちだ。
新しい会社での立ち上げ時期は、しばらく出社した方が良い気がするのである。

些細な事ではあるが、、、ちょっとした悩みである。
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カナカナ [近況]

言わずと知れた、NHKの夜の連続ドラマである。
・・・
・・・
???
なにそれ?
言わずと知れた?
知らんがな?

連続ドラマ?
NHKが?
しかも、夜?

アニメを原作にした、コメディードラマである。
眞栄田郷敦が主演のドラマで、
・・
と、調べたら、主人公は”佳奈花(加藤柚凪 演)だった。

たまたま、大学の同期がLINEで「面白い漫画がある」と、
短編?漫画を送ってきたのが漫画の「カナカナ」だった。
それを見た翌日、TV番組を見ていたら、
「カナカナ」という文字を見つけ、
しかも、初回からの振り返り放送だったので、
全部予約録画してみたら、
まぁ、面白かったのである。

どんな出会いで、作品を見るものなのか、、、
不思議なモノだ。

ふと、出てくる映像に見覚えがある。
・・・
といっても、
私が出演しているわけではない。
(いや、当たり前だ)
設定されている舞台が、
三浦半島の城ケ島・三崎口で、ドラマの中では
”二浦”という地名になっていた。

そして、いつも自転車で通り過ぎる鄙びた旅館が
ドラマのメイン舞台である居酒屋になっていたのである。
(さすがに、中で撮影ではないとおもうが)

そういえば、数か月前。。。
そのあたりに、不釣り合いなリムジンが止まっていた。
真っ白な、長ーーーい、バスのように長さがあるリムジンだが、
そのリムジンを使った話の会も映っていた。

ああ、あの時に撮影していたのだなぁ、と、
もう少し、うろうろしていたら、
役者さん等を見れたのかもしれないなぁと思ったりもする。
(確か、平日だったように思う)

ドラマの中には、いくつかのお店や、
背景映像が流れるが、
あ、ここ知っている!
あ、ここはいつも通る!
という、喜びもある。

いや、もちろん、ドラマ自体も面白いのだが、
知っている場所が出てくると、なぜかしらテンションが上がるのである。

ドラマの話は、、、うまく書けないが、
NHKらしく、きわどい表現や極端な話は一切なく、
ほわっと、ほのぼのしたギャグドラマである。
安心感をもって見ていられる。
6月30日まで続くようだが、月~木まで15分ずつ流れるので、
毎日、15分時間を消費する。
・・・
悩ましいところである。


話は少しずれるが、小栗旬主演の、NHK大河ドラマである”鎌倉殿の13人”も
毎週欠かさず見ている。
おもしろい。
もちろん、悲しい話も苦しい話もあるのだが、
さすがは三谷幸喜と言われる趣向を凝らした大河ドラマだ。

この鎌倉殿の13人も、鎌倉が舞台になることが多い。
ここから海を見た設定、、、や、
ここから鶴岡八幡宮を見ればこうなる・・・等、
良く知っている場所だけに、ちょっとうれしい気持ちになるのも事実である。
残念なことに、
ドラマが終わった後に、プチ紀行番組で、沢山の寺社仏閣が出てくるが、
ほとんど行ったこともなく、しらない事ばかりである。
なんて罰当たりな、、、と思うのだが、
近くに住んでいるので、ブームが終わったら、そのうち散歩しようと思うのである。

今日も、自転車で、三浦半島や鎌倉を走り回る。
カナカナ出てくる店や、風景を眺めて、、、、一瞬で通り過ぎる。(そんなものだ)
鶴岡八幡宮も、コロナ開け?ということもあり、
非常に多くの観光客で、断蔓(盛り土の歩道)のある若宮大通りは、大いににぎわっていた。
古都を静かに訪れるタイミングは、、、もう少し後じゃないかなと思う。


私が生まれ育った、長野の田舎は、TVで報じられることが無い。
一度もない。
歴史もないし、産業もないし、観光もない。
そんなところでも、良いところもあるのだが、
日本一海から遠い場所なので、
TV等のメディアは、その手前の場所で、良い内容を見つけて報じていくのだろう。

そういえば、時々、テレ東のアド街ック天国という番組を見る。
一つの地区を掘り下げて、順々に街の魅力を伝えてくれる良い番組だ。
良い番組なのだが、
毎週見ているか?というと、、、実は見ていない。
(申し訳ない)
やはり、知った街、行ったことがある街だと、興味を持ってみるのだが、
行ったことが無いと、「知らんがな」になってしまうのである。

寂しいものである。

そういう意味で、私は、冒頭の夜ドラマの「カナカナ」を楽しく見ているのだが、
客観的に見たら、どうなのか?分からない。
まぁ、難しいこと抜きに、気楽に見ればいいのだが。

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昨日の夜、次女に声をかけたら、夕食に一緒に行ってくれた。
一緒に食事に行ってくれるなんて、、、何かあったのかと、不安になったが、
特に悩みとかは無かったようだ。
ちょっと会話出来て良かった。
(途中から「良くしゃべるな、うるさい」と怒られたが)

220605_2.jpg
三浦の海はきれいだ。
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