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走った距離 [近況]

去年の11月と12月は何故か自転車でいっぱい走っていた。
コロナ禍で、外出自粛、出社制限もあり、体力が有り余っていたのだと思う。
今の体力で去年の11-12月と同じだけ走れる体力とモチベーションが無い。

という事もあり、去年の11月から今年の10月末までの1年間を、
人生の自転車走行距離のロングレコードとして、
自己表彰を行う!
おめでとう。ありがとう。
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なぜ、12月末の1年間を目指さないか?
→ 辛いからである。

何かに追い立てられて自転車に乗るのは本意ではない。
ましてや、距離を稼ぐために乗り続けていたわけではない。
気分転換や、体力維持、素敵な三浦半島の景色を見るために乗っていたのだ。
だから、
急かされたのでは、目的達成にならない。

今日(10/31)も、自転車乗ったが、上記の1年分のレコード更新のために無理やり乗った
という、負い目もあり、
さらに、今日の後半は、雨の中を凍えながら走る事にもなり、安全でも無かった。
やっぱりだめだよね。。。と思うのである。

そう言いながら、1年間を振り返る。
一番走ったのは、5月で、ゴールデンウイークもあり、東京湾一周(200km)も走った。
GWはほぼ毎日走ったが、GW後の週末は悪天候で距離が伸びなかったようだ。

距離が伸びないのは3月6月だが、
雨の影響で1週に1回走れるかどうかという日だったようだ。
例年は8月に、夏休みもあり距離が伸びるが、お盆が長雨になり、更にワクチン注射で走れなかった。
行ったコースに、神奈川県の大山の麓の阿夫利林道が追加されたのは良かった。
適度な登り坂の道は嬉しい。
あと、東京湾一周を2回回れたのも良かった。そんなにつらくなかった。
今年は、三浦半島を一周回って、更に、鎌倉・江の島を追加する観光地シリーズ走りが多かった。
江の島に着く時にはヘトヘトになるのだが、
もともと観光地なので渋滞しているので、ちょうど良いのである。
楽しかったのは、オリンピック会場の周りをブラブラしたのと、
フェリーで渡って南房総をぐるっと回った事だろうか。


距離の話に戻ると、
だいたい一月800kmぐらいとすると、100kmで8日。
週末の土日を自転車で走り続ける感じである。
やはり、通勤をしていたら難しいな。
月曜日の朝は、ゆっくり寝ている日にしているので。


ランニングを見てみると、
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朝のランニングを始めたのは1月から。
それまでは20km以上を走っていたけど、早朝ランニングは10kmほど。
短い距離でも刻んで走れば、距離が伸びるのは一目瞭然。
自転車の距離が伸びなかった、3月、6月の距離が伸びているのは、
ランニングは雨でも出来るからだろうね。

ランニングの方も、1年間で1000kmを越えるのは初めてである。

朝、走っていると気持ちは良いし、午前中は快調である。
ただ、
起きれない。
ついつい、「あと、1時間」と、眠ってしまう日もあるし、
早朝ランニングは、雨の日は走らないとしているので、気合を入れて起きて、そのまま寝たことは何度もある。
10kmぐらいならば、膝も壊れないので、ここがちょうど良い気がする。
本当は5kmぐらいでも良いのだ。
が、5kmだと、あんまり走った気がしない。
ちょっと散歩に行ったぐらい。体も暖まらない。

ランニングは、音楽を聞きながら走れるという特権がある。
自転車は危ないから聞かない(道路交通法違反でもある)
ランニング中に音楽を聞いてしまうと、迷走状態にならないのだが
疲れた自分を奮い立たせるには、BGMで気に入った音楽が流れると楽しいものだ。

骨伝導イヤホンと称する4000円位の安いBluetoothイヤホンだが、
ガサツな私には、十分である。
(これは、骨伝導じゃない!と、ユーザレビューに書かれているが、聞こえるからいいじゃない・・)

ただ、あまりにも乱暴に扱っていたので、
片方がもげてしまった。
接着剤でくっつけたが、いつまで使い続けられるか。。
耳がふさがれない点が、一番のお気に入りである。
(安全である)

さて、
明日から11月だ。
のんびりと自転車に乗り、ゆっくりとランニングしたい。

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60000km(6万キロ) [近況]

自転車に乗っている場合ではない。
世の中の信頼回復のために一生懸命仕事をしないといけない状態にある。
やるべきことは沢山ある。

であるが、
申し訳ない事に、今日も自転車に乗ってしまった。
ただ、今日は自転車に乗るべきかどうか、
かなり悩んだ。
仕事もある、課題は山積みだ。来週からも忙しい。
一方で、
いい天気だ。しかも、サイクルメータの積算距離が6万キロに近い。

・・・
6万キロ?
1回で100km走ったとしたら、600日分である。
1回で70km走ったとしたら、857日分である。
いつからサイクルメータをスタートしたか覚えていないが、
最初の1万キロは、北陸単身赴任時代だった。
ブログにある。
https://tsucch.blog.ss-blog.jp/2013-09-11
そうか、、2013年だったか。。
そして、5万キロ達成もブログに書いた。
https://tsucch.blog.ss-blog.jp/2020-11-21
なんと、去年の11月21日だった。
つまり、
1年経たず、1万キロ走ったことになる。

これまで、1年でだいたい4000~6000kmを走ってきた。
もう、50歳を越えたのに、これまでの最長不倒である。
・・・
こんなことがあるのだろうか?
(サイクルメータを交換した際に、間違えて細工したのか?
いや、スマフォの累積距離の記録でも1万キロである)

思い返すと、
・コロナ禍のために、在宅勤務になったので、通勤が無くなり、土日が元気である
・資格勉強などを一切していないので、休日は自転車にかけられる
・ランニングは平日早朝か、雨の日なので、晴れた休日は自転車に乗れる
・三浦半島1週が多いが、100kmかかる(距離が伸びる)
・自転車が軽い(アルミだから)
等の環境がそろったから、距離が伸びたのだと思われる。

さて、土曜日にメータを見ると、あと300km程で6万キロになる見込みだった。
これならば、来週末には6万キロに到達しそうだよな。。と、またも三浦半島に走りに行く。
天気が良いし、ストレス発散のために、鎌倉~江の島まで走りに行って140kmを越えた。

翌日、疲れていたし、仕事もあるので、どうしようかと悩んだが、
走っているうちに体調が良くなってきて、沢山走ろうと心に決める。
宮ヶ瀬湖まで行けば、6万キロに達するなと計算して、
神奈川県の秋の森の中を走って行く。
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コロナの影響が少ないからだけではなく、自転車ライダーは非常に多かった。
宮ヶ瀬湖から、ランドマークタワーや、遠く千葉の丘陵地帯も見る事が出来る。
湖の周りは、アップダウンが激しく、さらに日陰はかなり寒い。
どうしてこんなにみんな、ここまで走りに来るのか、意味が分からない。。

疲れて朦朧としながらも、安全運転で帰路を急ぐ。
補給時に休憩すればいいのだが、何故か10分も休めない体質?気質?である。

そして、葉山の海沿いを走っている時に、その時は来た。
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からの
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である。

自己満足でしかないのだが、何となく、やったぞー!という、雄たけび声を上げたい。
その反面で
「だからどうした?もっと、普通の生活を大切にしようよ」
という、自分自身の意見も声がどこからともなく聞こえる。

この調子で行けば、10万キロは達成可能であるが、
やはり、10万キロは目指してはいけない気持ちもある。

夜な夜な、植村直己さんの冒険記を読んでいるが、
五大陸最高峰踏破、グリーンランド縦断、北極海1.2万キロの冒険、アマゾン川のイカダ下りなど、
心躍る偉業ばかりであるが、
それを支える苦労や困難への対応は、
部屋で暖かいコーヒーを飲んでいると、「そんなことしなくても」とも思える。

もっとも、達成感とは、誰かに与えられるモノではなくて、
自分自身が作ったものを自分自身で感じ取るものだろう。
それが他人にどう評価されるなんて関係ないはずだ。

という、考えに基づき、
6万キロの達成を祝いたい。
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今日も良い天気でした。
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トラブル発生 [近況]

先々週、事件が起きてしまった。
ニュースになり、新聞やテレビ、インターネットを騒がせてしまったので、
察していただける人もいるだろう。
世の中のあらゆる人に、お詫びをします。
申し訳ございません。


世の中の仕組みは当たり前のように動いている。
私もそう信じている。
でも、当たり前の世の中でも、足場が弱いと崩れてしまう事もあるのだ。
絶対に大丈夫と思っていた神話と自信が崩れる事もある。


世の中は巨大なシステムで構築されている。
1つのシステムではなくて、複数のシステムが関連して連携しながら動いている。
そう、独立のシステムなのに、ありとあらゆるシステム関連して、積み重なって社会が出来ている。
積み木の様に、その一つを抜いてしまうと、社会が崩れてしまうのだ。

最後に残るのは何だろう?
人は、水を飲み、食物を食べれば生きていけると思うのだが、
いわゆる一次産業に携わる人は、この国の中ではわずかであり、
多くの人が、サービスという実態の無いモノを生業としている。

その実体のない虚像は、
あらゆる、社会の支えが無いと成立しない。
例えば、電気が無かったら動かない。これは分かりやすい。
その電気を作る会社も、社員が水を飲み、食物を食べないと、仕事にならない。

一番強くて大切なのは、一次産業じゃないかと思うのは、
ずっと昔からの思いである。

そして、我が家の庭に、いくつか作物を作ってきた。
結果的には、1勝9敗という感じで、ほとんど育たなかった。
頼みの綱の、手間がかからないトマトですら、、育たなかった。

人類が食糧難で苦しむ時が来ても、
私は何にも役立たないのだと思うのである。

私が子供の頃、
庭には畑があり、四季折々に野菜が出来た。
近くに狭いながら田んぼもあり、家族4人が食べるには十分な収穫が得られた。
・・・
その技術は残念ながら引き継ぐ才能が無かったのである。

・・・
何の話だ?

あ、大変だったという話である。

こんな大変な時には、
自転車に乗ったり、ランニングをしている場合ではない。
まずは、
いろいろなトラブルを解決するために、
汗水たらして働いて、社会にお詫びをしないといけないのだ。

今日は、いい天気でした。
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・・・もうしわけない。
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最近のハマりモノ [近況]

最近は、通勤することが少なくなり読書の時間が随分と減ってしまった。
読書量は、コロナ前に比べると、1/10ぐらいだろうか?
そんな状況だけども、細々と読書はする。
寝る前のわずかな時間、本を開いて眠りに落ちるまでの時間だ。
・・・数分なのか、数秒なのか分からないが、至福の時間である。

ちょっと前までは、「容疑者xの献身」で有名な東野圭吾さんの本ばかり読んでいた。
今は、「マスカレードホテル」で有名・・・なのかもしれない。
ガリレオシリーズが秀逸作品だが、私は加賀恭一郎シリーズが好きだな。
逆に白夜行などは大嫌いである。

最近は、
植村直己さんの本をよく読む。
植村さんの冒険の話は、ネットにゴマンと記録されているが、
植村さんが書いた本を読むと、
その苦労や苦難、喜びが手に取るようによく分かる。
私は行ったことが無いが、
グリーンランドの氷と雪に閉ざされた大地とエスキモーの暮らしの話、
酸素が薄く雪崩などの気候の影響を受けるエベレストの麓のベースキャンプの話
等が、現地の、その当時の話が、
綺麗な映像になって目の前に表れてくるようだ。
読書ならではの恩恵であろうか。

ただ、今は、北極1.2万キロの旅の話を読んでいるが、
極寒の中でそりが進まずに難航する話や、
犬を鞭や棒でぶち続ける話、食料が尽きて死にそうになる話を
ページをめくるたびに繰り返し、繰り返し書かれていると、
読んでいて、とても疲れてしまう。
そして、
暖かな部屋で、ゴロゴロ横になって読んでいる自分とのギャップに
なにか違和感を覚えずにはいられない。

何でそんなに苦労して、厳しい環境に飛び込むのか?
生命の危機を冒してまで、そんな事をするのか?
は、
私には理解が、一生かかっても出来ないと思う。

ただ、
私も山で遭難したことは無いが、
自転車の一人旅で、相当苦労した経験はあるし、
ちょっとばかり生命に危機を感じたこともある。
あの経験は、
自分を強くし、そして今の自分がある、、
様な気がして、
嵐の日に、外を眺めながら暖かいコーヒーを飲むのが非常なまでの至福な時になった。
という経験がある。

・・・
いやいや、そんな無しじゃない。
ハマったものだ。


TVに移そう。
映画は、最近は見ない。
テレ東の映画頼りだったが、”アクションスター特集”と銘打って、
過去に何度も放送された、有名な作品ばかり放送される。
視聴率は良いだろうな。
そして、
けっこう、私自身が、忘却力が激しいから、
その映画を見ると、初めて見たように楽しめる。。。と思うのだ。
(実際に、オーシャンズ12は、何度も見たのだが、初めて見たように次の展開を忘れていて、楽しかった)

TVドラマでは、
松重豊が演じる「孤独のグルメ」にハマった。
約30-40分の番組だが、
松重豊が、飲食店に行って、いくつかの食べ物を、
心のつぶやきをナレーションにして、軽快なBGMに合わせて食べる”だけ”の番組である。
ツウな人は、喜ぶと思うのだが、
実に単調な番組である。

そんな番組だけど、Season9が先日終わった。
(終わってしまって残念だ)
1seasonで10話ぐらいあるから、90店舗ぐらいが紹介されている。
私の家から(自転車で)行動する範囲内のお店もいくつも紹介されている。
放送直後は、行列になっている店もあったが、
その後、久々に通ったら、元通りの閑散としたお店に戻っているものもある。
(人気は長続きするわけではない…)
そんなお店に一度ぐらい入りたいのだが、入るタイミグが分からない。

その代り、TVでは紹介されないけど、
飲食店に入る勇気がもらえた?
しかも、チェーン店ではない、行き当たりばったりのお店だ。
そして、そのお店の食べ物を、ゆっくりと味わう事が出来るようになったから、
”孤独のグルメ”さまさまである。
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寿司と言っても、高級店にはまだいけない。いや、一生いかないだろう。

松重豊という役者も、知ってはいたが、このドラマで非常に好感を持つようになった。
そして、彼が出演する番組も気にしてみるようになった。
バイプレーヤーズという作品が大ヒットしたのはご存じの人も多いだろう。

松重豊に似ている会社の後輩がいる。
私は好意(?)で、「松重豊に似ているよね」と告げたのだが、
本人は、あまり喜んでいなかった。
(松重豊さん自身も、そんなに喜怒哀楽を表す人ではない)
彼は、松重豊さんの作品をあまり知らなかったし、
彼が住む北陸では、テレビ東京の放送が少ないため、
私と同じような出会いが無かったようである。

インターネットで見る松重豊さんは、強面で良いイメージが無いようだ。
彼には好意を持って呼んだのだが、、、
残念である。


ハマっているもの。。
ランニングは、、、下火になっている。
なんと、9月は、早朝ランニングは2回しか走っていない。
(多くのブログ読者をだましてしまったようで申し訳ない)
出社とか、ワクチン後の高熱とか、雨とか、言い訳はいっぱい考えられるが、
”朝起きた時に、睡魔に勝てない”
というのが、実際の理由だ。

出社して時には、起きるしかない!(または、満員電車に乗るしかない)のだが、
在宅勤務は、”2時間余計に眠れる”ため、
ついつい、睡眠を選んでしまうのである。

先週は2日、早朝ランをしてきたが、やはり、朝走るのは気持ちが良い。
また、ハマって欲しいものである。


最後に、
柿 を食べ続けている。
家の庭になっている柿だ。
一人で食べきれないのだが、黒ずんだり割れたりしているため
人に上げる事も出来ない。
腐って捨てるか、腹を壊しながら食べ続けるかの2択である。

道路に落ちる落ち葉の量が半端ないため、
今年で柿の木を伐り落とすことにした。
(ご近所迷惑の目が怖い)
来年は食べられないのだが、
今年は存分に味わう前に、、、腹が痛い。
ある意味、”ハマり”モノである。

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対話の相手 [近況]

私は、仕事でも、家でも一人である。
客観的に見たら寂しいと思うが、
もう、半世紀、一人で生きているので、それが普通になった。
良かった、、と思う。

次女の通う、中高一貫の私立高は、
前の校長先生の時の、学校方針が
「一人でいても、普通にいられる」
という(ような)キーワードだった。
(ごめんなさい、正確に覚えてないです)
意図としては、
誰かとつるんだり、集団で群れているのではなくて、
一人でいる事に、自信と安心と誇りを持つ。
自律した人間を目指していく。
という、実にすばらしい目標であると思う。

残念な事に、校長先生が変わり、別のスローガンになってしまったが、
次女には、その気質を理解して、欲しいなと思うのである。


そんな、孤独な状態は、コロナ禍でますます発揮される。
たまに出社すると、やはり、人とのコミュニケーションは、会って話をする事!と思うのだが、
会社に行くのがめんどくさく、そして、目的のために仕事に没頭することを考えると、
リモートワーク・在宅勤務も捨てがたい。
会社方針で、コロナが明けても、在宅勤務を推奨すると言っている。
(嬉しいが、、そうじゃないよなと思う)
ますます、孤独感が募っていく。
(繰り返しますが、嫌いじゃないです)

そんな私は、土日は自転車に乗ったり、ランニングをする。
わりと長時間。
今日も、午後からお休みを取って、自転車乗りに出たが、
走っていた時間は6時間だった。

ランニングは音楽を聞いたりすることもできるが、
自転車乗りは、音楽は聞けない。
イヤホンは法律で禁止されているし、法律以前にやはり危ないと思う。

安全に配慮しながら、パンクしないように走りながら、
綺麗な景色を楽しみながら、
自転車に乗るが、
それでも、6時間ぐらい走っていると、飽きは来る。
・・・
はずだ。
が、
そんなに飽きない。

平日の仕事のことや、過去の記憶が去来してくる。
安全走行の合間に、想いをめぐらすので、いろいろと忙しい。

そして、頑張って走っている時に、
一生懸命、話しかけてくれる”モノ”がある。
それが、
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スピードメーターである。

スピードメーターは、様々に、孤独に走る私に話しかけてくれる。
「今、いいスピードだよ」
とか
「ちょっと、いつもより遅いよ、もう少し頑張れ」
とか
「あともうちょっとで、100kmだ、頑張れ、頑張れ!」
とか・・・

最近は、9.99から0.00に桁が上がるタイミングを楽しみにしていた。
(いや、メータばかり見てたら、危ない)
99.99kmから100.00kmになる瞬間は大喜びである。
・・・
暗いよな。

そんなスピードメーター、、、
電池が切れて、交換するだけじゃなくて、
本体も壊れてしまった。

累積距離を、どうしても記録しておきたいので、
さっそく、新しいスピードメーターを購入した。
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(メーカのサイトから画像拝借)

約2000円のモノであるが、購入するのには、かなり悩んでしまった。
そして、交換した後、
捨てられずに困っている。

自転車に乗っている時の孤独な自分の、唯一の?対話の相手である。
情が移ったとしても、不思議ではない。
そんな、
思いが詰まるスピードメーターを捨てられるのか。。。
(いや、壊れているよ…)


話は、微妙にそれるが、
アイディアや発想や新しい行動は、対話から生まれる。
客観的な意見や、異なる意見から、
新しい考えを、脳の中に育てるのである。

対話の相手が自分自身である場合もある。
モノである場合もある。
(スピードメーターである場合もある)

コロナ禍の中、如何に新しいものを生み出すか。
コミュニケーションが難しい中、対話を継続するか。
・・・
悩ましい世の中であるなと。
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トラブルの対応 [近況]

仕事でトラブルが発生している。
小さなイベントであるが、上手くいかない要素が山積みだ。
これまでなかったぐらいに、ありとあらゆる事項がトラブルになり、
何とかクリアしたと思った先に、さらにトラブルが重なった。
こんなことがあるのか?というぐらいに、
何か憑りつかれているのじゃないか?というくらいに、
トラブルが続いている。
先週末の週末もつぶれたが、今週の日曜日もつぶれる。
ただ、今日の土曜日だけは、自転車に乗れた。

会社でトラブルが起きている時に、
リモートで在宅勤務だと厳しい。
やはり、こういう時には、出社していないと問題解決が出来ない。
臨機応変に状況が変わるし、どこでどういう対応が必要かわずかな人々の反応と連携が必要だ。

会社は、コロナが明けても、在宅勤務を推奨するそうだ。
在宅勤務、リモート勤務は、良い事もあるが、
やはり、コミュニケーションが一番難しい。
良く言われるコミュニケーションは言語情報は7%しか伝えておらず、
残りは口調や表情、身振り手振りだとのこと。
難しい。。。


あと、トラブルに際して、毎回思うのが、
「トラブルの時に行動出来る人は素晴らしい」
という事である。
例えば、めちゃめちゃ怒っている人がいる。
そんな怒っている人に、何を言っても怒り返されるだけであるが、
話を聞いて、なだめて、しっかりと意見を言うという行動。
なかなか出来ないものだ。

また、トラブルは、”これまで起きていない事”だから
前例になぞらえる事が出来ない。
不確定な状態であっても、判断力と信念と強い意志を持って進める力、
そういうモノが必要なのだなと思う。

半世紀生きてきたが、この能力は、やはり足りていない。
これから成長出来るだろうか?


そんな、鬱々とした気持ちがあったが、
今日の土曜日は、全てを忘れて自転車で三浦半島を走ってきた。
台風の爪痕・・・・と、言うほどには、被害が無かったので、
道路に葉っぱや枝が散乱しているぐらいだった。

そして、綺麗な空気になったからだろうか?
遠くまで眺望が開けて、なかなか綺麗な海だった。
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対岸の房総半島の、陸地の出入り状態がくっきりと見え、
ああ、あの海岸線をまた走りたいなぁという気持ちにさせてくれる。

三浦半島にあった、油壺マリンパークという水族館が9月末に閉鎖してしまった。
最後の2か月は、土日は道路が大渋滞で大盛況だった。
愛され惜しまれて閉鎖してしまう。
残念至極である。

家に帰ると、靴が大量にゴミ袋にいれられていた。
ほとんどが妻の靴だった。
履かない靴もあるだろうが、テニスで使うスニーカーがいくつも捨てられており、
とても複雑な思いである。
私が使っているランニングシューズは、10年近くなるが、
靴の裏のソールが剥がれて来ても、ボンドで張り付けて走り続けている。
右の後方は、そのソールが丸々無くなっているのだが、
それでも走り続けている。
(単にケチクサイだけだ)

ちなみに、レーサーシューズも、ボロボロである。
人前にはいけない程に外形は汚いのだが、
まだペダルを回せるので履き続けている。

私はそういう意味では、ケチくさい。
が、
それでいいんじゃないかと思うのである。
価値観、判断が難しい。

先日、大量に箸が捨てられてしまった。
在宅勤務をしていると、皿や箸を洗う間も無い時もあるので、
3脚必要になるのだが、私の箸も捨てられてしまい、何かと不便である。
いや、過ぎに洗いなさいよ!とか、
買い置きしてある未使用の箸もあるのだが、
もう何十年も使っている箸を使い続けていたのである。

あ、
電子レンジも調子が悪くなって、
温め中に止まったりしていた。
だましだまし使っていたが、さすがに不便なので買いなおした。
動かなくなった、使えなくなった。。。なら、買い替え時はよく分かる。

服とかも同じで、捨てるタイミングが分からず困っている。
ずっと、嫌いな服を着続けていて、
早くこの服が切れて捨てる状態になって欲しいのだが、
家族からは、この服が好きで着続けているのだと思われるだろう。
そう考えると、
思い切って、捨ててしまった方が良い気もする。

・・・
小心者のケチですから。

人間、なかなか成長しないモノである。

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