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覗く人生? [近況]

最近、何をしているか、自分でもよく分からないことが多い。
健忘症のことではない。
認知症のことでもない。
人生に対する迷いの方である。

こんな事を言うと、あれなのだが、
良い人生だったと思う。

長野の片田舎で、さらに貧困の中で生まれ育ち、
気がつけば、横浜で一家を構えている。
沢山努力してきたが、それなりのモノも手にしてきた。
家族は誰も口をきいてくれないが、
欲を言えば限りない、高望みすればまだまだだ。

中島みゆきさんの歌に
「一番欲しいものは手に入らない」
「好きなモノや欲しいモノは次から次にあるけれど、必要なモノはそんなに多くは無い」
という教えがある。
そこから考えると、十分なような気がする。

でも、もし仮に、今のままで死んでしまっても、
後悔はせず、良い人生だったと思うのだろう。


縁起でもない?
申し訳ない。


良く、ハリウッド映画を見るが、
ストーリーが”物語”のモノが多い。
タイミング良く何かを入手すると、それが活用されたり、
慌てて何とか揃えた銃をぶっ放すと、敵が倒れたり、
遠くから友人が来ると、その縁故をつかってチャンスが到来したり。
右から来たものが、左にどんどん展開される、流れるストーリーだ。
「そんな都合の良いタイミングで、次々に話が続くわけないじゃん!」と良く思うのだが、
そこまでスケールが大きくないが、
連鎖反応のように好都合なチャンスが訪れる事はある。

いつぞや、作っていた資料を、印刷した途端に、社長報告になったことがあった。
何とか苦労して作り上げたプロジェクトが、まったく別のところで、大いに成果を上げた。
すごく苦心した経験が、その次に訪れる試練の心の準備状況になった。
同期に比べて出世が遅れたが、気がつけば同じランクに据えられた。
自社株で大損していたのにその株が高値で買い取られた。

余計な事も書いたが、
人生万事塞翁が馬というか、
まるで、自分のために、平凡だけど良い人生が回っているように思う時が、今なのである。

この後、間違いなく、その逆も来るだろう。
だから、今この瞬間で終わってしまえば、ラッキーのまま終われる気がする。

いやいや、
最近、自分で人生を終わらせてしまう芸能人が多いが、
そういうのではないし、そういうのは反対だ。
いろいろ理由があるが、人生は浮き沈みを経験しながら生きていくことに意味があると思うのだ。

そう言えば10年も前に、そんなブログを書いたが、今でも同じ思いである。
https://tsucch.blog.ss-blog.jp/2009-10-10

人生が浮き沈みを必ずする。
沈んだ時に、人生を放棄してしまえば、その後の浮いた時間を楽しむ事が出来ない。
上ったり、下ったりする人生、
必ず生きていれば、必ず何かがやってくる。
それが悲劇でも、幸運でも、それを受け止めるのが人生だと思う。

もちろん、人生の悲しみを理解していないから、そういう平気な事が言えるのかもしれない。
前述の様に、良い人生だったと言えるから、そんなのんきな事を言うのかもしれない。
このブログを読んで心を痛めた人がいたらお詫びいたします。


先ほど、いろいろな映画をよく見ると言ったが、
平日の昼間に、テレビ東京が映画を放映してくれる。(もちろん録画して見る)
一週間の終わりに、自転車やランニングで疲れた体を休めながら見るのが日課になってきた。
ところが、
映画は、当たりはずれが多い。
有名な俳優が出ている作品は、割と外れが少ないが、それでも
「なんだこりゃ?」とか「何が言いたかったんだ?」という作品もある。
早送りしながら見ているが、2時間を返してくれ!というモノもある。
最近は、あまりに筋が悪い映画は、途中で、エンドロールまで飛ばしてしまう事もある。

もちろん、本来の深い味わいをしっかりと時間をかけて見ないと分からないモノもあるが、
バンバン銃で撃ちまくって、バタバタと倒れている作品を見ても、心が躍るわけではない。
映画の趣向が変わって来てしまったのかもしれないが。

一時期、お気に入りの映画をDVDに焼き落としていた時期もある。
ただ、
何年も前の作品は、今見ると、稚拙で粗雑なモノも多い。
CG等のテクニックや、音楽のレベルが上がったので、
ちょっとやそっとの事ではびっくりしなくなったのだが、
昔は心から感動していた作品であったのは間違いない。

そういう作品は、記憶にだけ留めておくべきなのかもしれない。

似た様な話で、
自分の部屋にいる時間が長くなり、
身の回りに置いてあるマンガを手にすることが多くなった。
(いや、仕事中は仕事していますよ)

浦沢直樹さんがNHKの「漫勉」という番組で、
作家が作品を作っているのを見ながらトークするものがある。
1シーンに込められた思いや熱意を一生懸命解説してくれる。
そんな事があるからだろうか?
それとも、歳をとっていろいろな感受性が変わったせいなのだろうか?
マンガを読んだ時の味わい方が随分と変わってきたように思う。

小さい頃は、貧乏だったので、マンガはほとんど買えなかった。
大学になって、バイトしたお金でいくつかマンガを買った。
働きだしたら、沢山マンガを買うようになった。

昔から思えば、沢山のマンガを買ったが、新規開拓のマンガはほとんど無くて、
昔から読んでいる作家のマンガしかなかった。
そして、それもいつからか買わなくなってしまった。


マンガじゃなくて、本も沢山読んだ。
通勤時間帯は、会社とプライベートを切り離す時間と決めて、
半分無理して本を読んでいた時期もある。
歴史小説が多かったが、最近は東野圭吾さんのような軽快な小説を読む。
コロナ禍になり、読書量があからさまに減った。
家の中で本を読むような勤勉家ではないから、全然読まないのである。


在宅勤務だと、朝起きて最初にやるのはPCの立ち上げとログインである。
ログインが遅いと、たまにログイン上限制限でシンクライアントPC接続できない事がある。
(いいのか!そんな事で)
最近は、改善しているようだが、怖くて仕方ないため、
起きたらすぐにログインしてからご飯を食べている。

せっかく在宅勤務なので、本来であれば、ランニングとかの運動したり、
勉強したり、本を読んだり、掃除などの家のことをしたりすればよいのだが、
朝、二畳しかない書斎に入ったら、夜寝るまでほとんど書斎に入りっぱなしである。

最近、視力が落ちているのは、近くしか見ていないためであろう。。。

在宅勤務の生活パターンを変えるのが、
目下の取り組み課題かもしれない。


さて、本来書きたかったブログの本題にたどり着けない。
そろそろ、合意にに本題に入る。
先日見た映画で、「サークル」というエマワトソン主演映画を見た。
エマワトソン・・・ハリーポッターのハーマイオニーと言えば分るだろうか?
非常にかわいい魅力的な女性である。

簡単に言うと、世界No.1のIT企業に入って、
自分の生活を世界に公開する、その中でいろいろなトラブルに見舞われるというモノだ。
おとぎ話ではあるが、現実に近い話でもある。
おとぎ話というのは、映像を給電無く、高画質で伝送することは、現時点ではできない。
衛星回線を使っていれば映像の伝送レートは数kbpsが限界だ。
また、地上から衛星に電波を送るためには、とてつもないパワー(出力)を必要とする。
が、
映画の主旨はそこではない。
世界中のあらゆる人が、一般人の誰かを見つめて、ツイートし続けるというモノだ。

これはあり得るかもしれない。

良く、Youtube登録何万人とか、視聴回数何百万回というのがある。
ボクシングやサッカーのゴールシーンならばそんなことが分からないでもない。
でも、Youtuberが、日常な事、ちょっとしたことにどうしてみんなそんなに関心があるのだろう?
というのが、私には理解できない。

”人の人生を覗いているよりも、自分の人生を描くのが優先ではないか?”

というのが、私の主張である。
このブログを読んでくれた方は申し訳ない。
よほど私に関心があるのだと思うが、私は貴方に関心が無い。
なぜならば、ブログを書いている私は、あなたのことを全く知らない。
(誰が読んでいるか分からない。カウント数だけ上がっている)

私も、ある有名人のブログを読む。
ある、、、なんて言わなくていいな。
石丸謙二郎さん。毎日ショートなブログで、くすっと笑わせてくれる。
読む時間は1分もかからない。

私のこのブログ。書き始めてもう1時間も経っている。
たぶん、誤字脱字、文書も紆余曲折、あちこちに飛びまくる。
こんなものを読むぐらいならば、
清廉された作家の小説や詩を朗読いただきたいところだ。


映画でもいい。
出来れば、良い映画に出会えることをお祈りしておきます。
くだらない映画…などと、先ほど暴言を吐いてしまいましたが、
数億のお金を投じて作った映画だ、きっと主義主張があり、何らかのメッセージが込められているに違いない。

いやいや、見たり聞いたりする人生よりも、
貴方自身が、自分の歴史を刻む行為をして欲しいと切に思って止まないです。

それが何か?
何でしょうね?

今日のブログ?
何なんでしょうね?

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フカイヤミです。
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3連休 [近況]

秋の3連休である。
しかも冬の訪れを感じさせない程温かい気候である。
コロナが無ければ、日本中大いに賑わった連休になっただろう。
GoToトラベルも部分的に中止になったようだ。
・・・
分からないでもないが、ちょっと遅すぎる感じがする。
こういうのは、パッと止めて、パッと再開すればよいと思う。
日本国民の機動力、判断力が試される時だ。

私の3連休。
仕事はある。
厄介な事に、厄介な仕事ばかり残っている。

あまり考えずに進められる仕事は、平日に行ってしまって、
じっくり考えないと生み出せない仕事だ。

で、
初日は、ブログに書いたように、5万キロ達成のために、
サイクリングを優先した。
結局、135kmほど走った。
6時間も走っていたのである。
帰ってきたら、疲れて何も出来なくなった。
座椅子に座って、映画を見てクツログ時間が最高である。
夜にちょっと仕事をする。短時間でも集中度が高い。

翌日、
仕事が終わらない事に焦りを覚えたので、自転車ではなくて
短時間でエネルギーを発散するランニングに出かけた。
朝、走ってしまえば、午後に仕事が出来る!
と、朝ご飯を食べてから、ランニングに行く。

天気も良いし、調子もいいな・・・と、普段はいかないコースを遠回りする。
横浜の市内に、突然大きな市民の森が表れる。
私の家の近くの市民の森よりも、横浜都心部の方なので、
人出が多い。
野球場や、広場、遊歩道で休日を楽しむ人で溢れかえっていた。

ランニングは調子良く走っていたが、
突然、右足のひざが痛みだす。
山道を歩いたためだろうか?
家から一番遠い場所で走れなくなってしまった。

それまでは、普通にランニングすることは、何も苦では無かったが、
そこからは、歩いたり、走ったり、ストレッチを繰り返す。
ああ、体は健康が良いなと、改めて思うのである。

歩行で歩くと痛みは無い。
ランニングの着地の時に痛むのである。
痛みをこらえて、どこまで走れるか?というのもやってみた。
(マゾヒストなのかもしれない)
いつぞやのように、全く走れないのでは無く、
涙を流しながら、堪えて走り続けると、
痛みが薄れたり、痛みが増したりを繰り返す。

家に通じる最後の山道は歩いてしまったが、26km程走れた。

家に帰ったら、仕事どころではなくて、
疲労と痛みで休むしかなかった。

それでも、夜中に仕事をする。短時間集中とはこのことだろう。


3連休の最終日。
今日は、”会社に行こう”と決めていた。
なんで?
自転車で!
いやいや、なんで?どうして?
在宅勤務をしていると、シンクライアントシステムでログインするのだが、
特定のアプリケーションがインストールが出来ない。
(処理能力や安全性の為だろう)
会社に行って、そのアプリケーションを使ってデータ作業をするためである。

平日に会社に行ったら、コロナの危険性がある。
誰もいない休日ならば、自由に仕事が出来る!
と、自転車で会社まで行く。

途中、横浜駅までで30kmもかかってしまった。
わざわざ遠回りをしてしまったのだ。
ここから都内まで行けるのか不安になる。。

いくつもの信号や、いくつもの川、いくつもの危険な車を乗り越えて、
都心に到達して、皇居一周する。

いやいや、皇居一周しなくてもいいのだが、都心にきたら皇居を走るでしょ!
紅葉が綺麗だし、青空も美しい!
多くの人がランニングに集まるのが頷ける。
私もランニングできたらいいなーと思う。

そうそう、ランニングで痛めた足は、
1日経ったら悪化していた。
階段で下りがつらい。
上りは平気。(不思議だ)
自転車に乗るのも平気だ。(不思議だ)

そう言えば、初めてフルマラソンに出た時もそうだった。
その時は初出場で3時間50分ぐらいで走ったが、
翌日、サイクリング部の秋合宿があった。
箱根のサイクリングである。
自転車を輪行袋にいれて電車で運ぶのだが、
階段の下りがとても辛かった。
階段の上りは全くの平気で、自転車に乗るのも平気だ。
痛め方によると思うのだが、あの時と同じ症状である。


話は現在に戻る。
皇居一周を追えて、国会周辺を素通りして会社に到達する。
そう言えば、首相官邸周辺は、検問が多かった。近寄ってはいけないらしい。

会社でアプリケーションを操作して、データを取る。
そして、、、家路に着く。
なんだよ…1時間もいなかった。
そういうモノなのか?

昔は、休日出社する人が多くて、
みんな仕事が好きなんだーと思ったが、
この働き方改革+コロナのご時世もあり、会社には誰もいなかった。
・・・
良い事じゃないですか。

あんなに天気が良かったのに、
会社を出たら、雲に覆われて、寒くなっていた。
ビル内のコンビニも閉まっていたので、補給なく家路に向かう。

どこかの食堂に入って、温かい食べ物を食べればよいのだが、
走り出したら止まれない性格と、
一人で外食をする気になれない性格から、
お腹がすきながらも走り続ける。

糖分が無くなり、目の前が真っ暗になって事故に遭ってはいけないので、
(いわゆる、ハンガーノックという状態だ)
長めの交差点に止まった時に、ウエストバックにあった
カロリーメイトを補給する。
うまい!
疲れている時の食べ物が一番おいしいと思う。

何とか無事に家に着く。
3連休で自転車250km、ランニング26km
若かりし頃はもっと運動していた気がするが
まぁ、このくらいで良いのではないかと思われる。

あとは、
家の掃除と、仕事をしなくては。。。。
家の掃除…
いつやろう?
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葉山から見る江の島と富士山


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5万キロ [近況]

今日はちょっとした記録の達成の日である。
自転車のメーターが5万キロに到達したのである。

自転車のメーターを付け替えてから、累積の距離を刻んできた。
一度、トラブルがあって、ゼロクリアしてしまったが、
2011年頃からは着実に記録していたのである。

1度は、スピードメータの電池交換をした。
電池交換の後に、それまでの距離を入れたので、そこは引き継がれている。

この間に、自転車も交換した。
https://tsucch.blog.ss-blog.jp/2018-09-02
新しい自転車にもう何年も乗っているかと思ったが、
まだ2年しか経っていない。

その2年の間に事故に遭ってしまった。
しかも、2回も。
https://tsucch.blog.ss-blog.jp/2019-07-27
これは軽傷ですんだ。
https://tsucch.blog.ss-blog.jp/2020-02-03
まさか自分が入院するとは思わなんだ。

自転車のせいというか、自分の注意力が低くなってきたせいかもしれない。
反射神経が衰えて、制動力が無いのに、
力任せに走るのは危ないな。


さて、、、
メーターの記録を振り返れば、最初に1万キロに達したのは、金沢時代だった。
https://tsucch.blog.ss-blog.jp/2013-09-11
1万になる!ゼロクリアする!と、ワクワクしていたのに、
1桁増えてしまった時の、あの虚脱感。。。今でも思い出せる。

そして2万キロになったのは、割と早かった。
https://tsucch.blog.ss-blog.jp/2015-12-06
単身赴任を終えていて、横浜生活2年目である。
自分の時間を持てるようになり、自転車ばかり乗り始めたころである。

そして今日・・・
出走時にメーターを見るとあと100kmちょっとで5万キロに到達することが分かった。
走るしかない!
三浦半島をゆっくりと1周する。
しかし、それだけだと、まだまだ到達しない。
鎌倉~江の島まで走り、家路に着く。
その時はやってきた。
201121_1.jpg
からの
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である。

この調子だと、10万キロの達成は、60歳よりも前になるが、
果たして何歳まで元気に走られるのだろうか?
という、心配もある。
走れなくなるまでは、走るのだろうけど。。。

その頃の私は?
予想するのが怖い心境である。

最近思うのは、
”時間よ止まれ”
という気持ちが強い。
今のまま、このままでいいから、安住の状態でいたい。
家族との会話が無いから、幸せとは言えないかもしれないが、
一つ屋根の下で、それぞれが活動していて、
廊下を歩く音や、扉を開け閉めする音を聞いているだけでも、
ああ、家族が一緒にいるんだなと思うのである。

病んでいるのかもしれないが、
会話や接触が無くても、それが家族なんだなと思うこのごろである。


さて、話は自転車に戻る。
異音がする話を書いた。
SPDの音だったと書いた。
あれは、間違いだった。
SPDをはめなくても、異音がする事があった。
今日のところ、判明したのは、
”ボトルケージのネジが緩んでいて、ボトルが衝撃を与える度に、きしむ音がする”
だった。

我ながら、ショウも無い事で、悩んでしまった。
ボトルケージのネジを閉めたら、異音が止まった。。。

そんなものである。
5万キロの経験は、さして役に立たない、、、のかもしれない。
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今日は温かかった。
そして、富士山も美しかった。

3連休。
明日は、久々にランニングかな?
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シンクライアントシステムが重い… [近況]

シンクライアントPCと言うのをご存じだろうか?
(バカにしているのか?)
いやいや、そんなつもりはない。。。
名前は知らなくても使っている人は多い。

世の中、セキュリティ重視、情報管理の徹底の時代であるから、
会社の情報を外に漏らさないための工夫があちこちに張り巡らされている。

印刷物は会社から持ち出さない。
USBやDVDやハードディスクでデータを持ち出さない。
PCにデータを入れて持ち出さない。

一昔前は、ありとあらゆる方法で、これらのルールを乗り越えて、
情報を持ち出して、自宅で効率的に仕事をするか!?!が
求められる技になっていたが、
コンプライアンスやらガバナンスやらが厳しくなったこのご時世は、
”今日ちょっと、飲みに行かない?”もパワハラになる世の中なので、
情報の持ち出しは厳格化していった。

そんな状況であるが、
どうしても、社外からデータにアクセスして仕事をしないといけない。
さらに、追い打ちをかけるように、コロナ禍が蔓延して、在宅勤務をしないといけない。

その両方を解決するには、
自宅にあるパソコンを使って、
会社にあるデータを操作する、シンクライアントシステムが重要になるのである。

自宅で使うパソコンの性能は全然いらない。
自宅で使うパソコンに、記録情報は保存されない。
自宅のパソコンは、あくまで、会社のシステムに入る道具であり、
会社のシステムの中の”仮想のパソコン”上で仕事をするのである。

思えば恐ろしいことが当たり前になった時代である。

ただ、
皆が一斉にシンクライアントシステムを使って仕事をしているので、
会社のシステムは相当な高負荷状態になっている。
このシステムで使う容量を削ることが求められているが、
仕事で使うデータファイルが高容量化しているために、
あっという間に容量を使い切ってしまうのである。


前置きが長くなったが、
システム容量が足りなくなって、仕事に支障が出ているのである。

メールを書いている途中でフリーズする。
会議資料を作っている途中で、消えてしまう。
Web会議中に、画面や音声がカクカクする。


これが、会社全体の問題であれば、情けない!何とかしろ!で済む。
が、
どうやら私が最も顕著な状況らしい。
他の人はちゃんと動いているが、私のシステムだけが異常な状況なのである。


会社には、システム管理をする専門の舞台がいる。
問い合わせをしなくても、困った人を見つけて直してくれればよいものだが、
在宅勤務ベースの業務になり、問い合わせが非常に多いらしい。
積極的に問い合わせをしないと、解決しないのである。

で、
問いあわせをした。
インターネットのQAよりもはるかに多い、対応方法を教えてくれて、
会議の合間を縫って、システム容量の拡大をすべく、
あらゆるファイルを消していった。

結果として10GB程のファイルを削除して、
今のところ、正常に動き出すことが出来た。
(一説によると、個人あたりの容量は30GBしかないらしいので、1/3が空いた感じ?)

ちょっと前までは、メール容量だけで30GB使っていた。
シンクライアントシステムは、そもそもの実態に合っていない…


さて、どうでもいいことを熱く語ってしまった。
こんなことをしていて、給料を貰っていいのだろうか?と悩む。
仕事の効率のために、タクシーに乗ったり、
外部コンサルに出したり、業務委託したりするが、
この仕事環境を整えてくれれば、もっと仕事できるのに…ととても思うのである。


ふと、今のわが身を見渡せば、
家が汚い。
汚い理由の一つは、不要なものをいつまでも大切に取っておいているせいである。
シンクライアントシステムの容量と同じで、
後生大切に取っておくもののほとんどが不要なものなのである。

が、
であるが、
取っておいてある思い出の品は、
愛おしく、かわいらしい。

手元に、お気に入りの本を何冊も置いてある。
(もちろん、漫画の方が多い)
これらを捨てる日が来るのだろうか?
決断する日が来るのだろうか?

ブルブルブルブル・・・・
いやいや、もったいない。
そんなことは、今の私にはできない。

まだまだ青二才である。


こういうものを乗り越えたら、
成長するのだろう。
と、
同時に、
人生も希薄になっていくのであろうか?

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富士山が雪の帽子をかぶりました。
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気が付けば、もうすぐ12月ですね。

1年が早い。
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自転車に乗る時の心の描写 [近況]

先週は2日連続で自転車に乗れた。
やや寒くなったが、まだ手袋無しで走れる気候だ。
天気が良ければ、楽しい自転車乗りとなる。

土曜日は、三浦半島を一周回った。
1周するのに100km程かかるので、4時間から5時間の間で走る。
三浦半島は、最高峰でも200m程度しかないので、ほぼ平坦であるが、
それでもいくつかの上り下りは存在する。
わずかな標高差で、上っている時間も1-2分も無いのだが、
その登り坂が時には苦痛になり、時には快楽になる。
夏の暑い時期は、総じて苦痛だ。
汗をかきながら走っているが、更に汗がしたたり落ちる。

ところが、時々、その坂道を飛ぶように走れる時もある。
時速15kmぐらいで登る坂道だが、苦しいと13kmまで落ちる。
しかし、飛ぶように走る時には時速20kmで登り続ける。
なぜか?
分からない。
体調がいい時だけなのかもしれない。
前後に人がいて、自分を鼓舞している時なのかもしれない。
・・・
でも、よく分からないのが正直なところである。

走り始めて50kmを越える頃になると、
お腹が減ったり、脂肪が燃焼し始めているのを感じる事がある。
逆に、50km以下だと、あまり走った気がしない。
50kmは2時間かかるので、2時間でもいい運動だと思うのだが、
体的に物足りなさがあるのだ。
不思議である。

80kmを越えると、疲れてくる。
夏場だと、休憩を取ってエネルギー補給・水分補給をしないと走れない。
冬場になると、不思議とそんなに体力は消耗しないのだが、スピードは落ちる。
遠回りでも早く走れるコースと、近道で混雑したコースがあると、
近道混雑コースでゆっくり走る方を選んでしまう。
自分には甘いのである。

先週の2日目は、少し軽いコースを走ろうと、
葉山~鎌倉~江の島~湘南~大磯
の海岸線を往復するコースを選んだ。
ほぼフルフラットである。

道幅もあって、舗装面も綺麗で、実に走りやすい。
葉山~江の島までは観光地なので、車も混雑しているが、走るのは楽しい区間である。
湘南~大磯は、両脇が防風林に囲まれたふらっとな道なので、
景色を楽しむことは無く、割と飽きてしまう。
ところが、「懸命にペダルを漕ぐ」事に集中出来る。
早い人には抜かれるが、遅い人は抜いていく。
ずっとマイペースで走れる道である。

大磯あたりは、車道から外れて、
自転車専用道路をゆっくり走る。
海しか見られないが、満点の海が広がっている。
左は三浦半島、右は伊豆半島、その間の相模湾がドーンと広がっているのである。

残念な事に、止まって景色を眺め続けられる風流人ではない。
要は無いのだが、早く折り返して帰らなくちゃ、、、と走り続ける。

本道に入ろうと、信号待ちをしていると、2分ぐらい待たされる。
その間、目の前を、綺麗なかっこをしたライダーが沢山通り過ぎていく。
待ってろよー!と、闘志を持って見詰めているわけではないが、
信号が変わったら、立ち漕ぎをして加速して走り続ける。

ところが、なかなか追いつかない。
2分のアドバンテージは意外と大きい。
しかも、さっきの人達も、割と良いスピードで走っているのである。

いくつもの信号をすぎたところで、ようやく自転車集団に追いつく。
それなりのスピードで走っているが、
追い越しても、追い越し返されることもなさそうだ…
という見極めをしてから、追い越しにかかる。

(見極めを失敗すると、抜きツ、抜かれつのバトル状態になってしまう)

ふと、抜き去る時に、その人たちの自転車とかをチラ見する。
なんと、ビンディングをしていない人もいる。
(ビンディングとは、ペダルとシューズをくっつける道具だ。スピードが上がる)
しかも女性が混じっている。

いやいや、女性蔑視ではない、一般的には、チャリダーは男性が多いのである。
ただ、アニメの影響で、鎌倉界隈は、女性ライダーが多くなってきたのも事実である。


そんなことを思いながら、ペダルに力を入れて、グイグイと抜いていく。
集団で走っていても、健脚自慢の人がいると、後ろをついてくる人もいる。
私は後ろを振り返るのは、ちょっと嫌いな人なので、
走っている最中も、信号で止まった時に、決して振り返らない。
「あなたは、あなたのペースで走ればいいので、私は全く気にしていませんよー」
という姿勢の表れのつもりである。

が、
やはり、後ろに人がついていると、気になるのは事実である。
(小心者である)
ただ、半分は安全上の問題。
すなわち、方向変更や、急ブレーキ、落下物等の危険予知であり、
後ろを走る人に手信号で伝えないといけないのだ。

今回は、追い越して、ぐんぐんスピードを上げたせいだろうか、
いくつかの信号で止まった時に、後ろの気配を感じると、
もう誰もいなくなっていた。
逃げ切り成功である。

あとでスピードメーターで見ると、1kmの平均が37km/hなので割と早いと思うのである。
頑張って走ったな。
その反動もあり、
家に着くころにはヘトヘトになっている。
最後に65mの標高差を登らないと家にたどり着けない。
一番最後の急坂は、心身共に鍛えられる坂道である。

月から金まで仕事して、
金曜日の今日は、午後に年休を取って自転車で走る。
三浦半島のショートコースであるが、
交通量も少なく、チャリダーもいず、ゆっくり走る事が出来た。
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日が短くなり、最後は真っ暗だったけど。


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歴史小説読んでないなー [近況]

コロナが再び猛威を広げていますね。
当初の危機感が薄れた中での第二波なので、
1日当たりの感染者が増えているのは事実なのかと。
GoToなんとかとかやめるべきだと思うのは、コンサバな考えか?

会社の仕事は、出社しなくてもいい会議のスタイルになった。
いろいろなスタイルで仕事が出来るのは良い事だ。
ただ、
私のように、引っ込み思案なやつは、極力、会社に行きたくない。
そうすると、自分のしたい仕事しかしてく無くなり、
話したい相手に電話やメールをする事しかしなくなる。

また、
電話も、相手が会議中だと電話に出てくれない事もあり、
私も電話に出られない。
そうしているうちに、折り返しの電話も忘れてしまい、
結果として、電話をしても、出なかったり、出られなかったりする。

聞きたいことだけを聞き、
言いたいことだけを言うのは、
楽ではあるが、仕事ではないと思うのである。

思い通りに行かない事を、
上手く進めていくのが仕事であり、社会なのだと思う。

いやいや、
そんな話を書こうとしたのではない。
そんな社会性のあるブログじゃない。

社会性と言えば、、、
アメリカ大統領選挙がはじまったが、
開票率が途中で止まってしまった。

選挙は寝て起きると、結果が出るものだと思っていたが、
世界のリーダーたるアメリカの大統領だから、
いろいろ難航するのであるのだな。。。

これが、戦国時代であれば、
この混乱した状況を攻め入るのが最も良い戦略である。
攻め込まれた方は、混乱に混乱を生じて、
もろく崩れ去ること間違いなし!
と、歴史小説に書いてある。

歴史小説と言えば、
司馬遼太郎さんの本が、日本を代表する歴史小説だと思われる。
読みやすいし、小説としての面白さもあり、かつ、史実に基づく描写もあるので説得力もある。
一番好きな小説は、項羽と劉邦 ではないかと思われる。
個人的に好きな歴史小説家は、海音寺潮五郎さんと
陳舜臣さん、吉川英治さんである。
吉川英治さんの三国志は、「吉川三国志」と呼ばれ、日本文化の金字塔を作ったと言っても過言ではない。

何れの作家さんも鬼籍に入られてしまっている。
新作が読めないのが残念である。
歴史専門ではないが、新田次郎さん、井上靖さんも面白い。
遠藤周作さんも歴史小説がいくつかあるが、これまた非常に面白い。

非常に好きな作家に、宮城谷昌光さんがいる。
まだご存命である(失礼な?)
みずみずしい文書で、読んでいて喜びが生まれる。
まだまだ新しい歴史を広げていただきたいし、未読の本も沢山ある。
楽しみである。
一番のおすすめは、「孟嘗君」である。
中国の戦国時代の君子と呼ばれた一人である。
が、面白い事に、孟嘗君の父上の代から話が始まるが、この父上(養父)の話だけで盛り上がる。
もう、本は、「孟嘗君の父」という本で良いんじゃないかと思うぐらいである。
連載しながら書いた本のようなので、終わってから直そうとしても直せなかったのだと思われる。

歴史小説が大好きであるが、
この1年、読んでいるのは、東野圭吾の本ばかりである。
(ん?先日も同じブログを書いたな)
東野圭吾さんの話はいずれ。

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三浦半島の名物。マーロウのプリン。
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ひらめき [近況]

突然、ひらめく!ということがある。

最近、東野圭吾の本ばかり読んでいるが、
この東野圭吾のお茶目な所は、自分の小説の解説本を出したり、
近況のエッセイを出版していることころである。

東野圭吾の解説本の中で、「容疑者Xの献身」について、
ひらめくものがあって書いていたら、次々にうまくいって、自信作が完成した。
という記述があった。
本を読まれている方は、ご存知かもしれないが、
シリーズものとは思えない、完全無比な作品であって、
直木賞受賞をした作品にふさわしいミステリー小説であり、
かつ、人生の悲哀を感じさせる物語であると思う。

ひらめきの裏には、複雑な思考や経験、体験、体感、感じる力がひそめているから、
まぐれで偶然に拾った話ではないとは理解している。
ただ、神がかったような、すばらしい作品まで上り詰めた内容であるのは間違いが無く、
15年前の作品であるにもかかわらず、色あせないし、いまだに東野圭吾の代表作と言える。

東野圭吾の話は、また別の時として、今日はひらめきだけで記載する。


私の、明確なひらめきとの遭遇は、高校3年の夏から秋の頃だった。
いわゆる進学校で受験勉強をしていた。
今ではその学校は理数科が設立されているが、当時はそんなものは無く、
みんな一緒に机を並べて勉強していたが、そんな事ではとても大学入試に対応が出来ず、
数学だけは、特別講義が設定されて、小難しい問題をひたすら解いていた。
(公立であったが、そんな学校と先生に改めて感謝である)
数学の問題は、なかなか解けない問題もあった。
答えを見れば、そうか、そうだよな、となるのだが、答えを見ずにどうしたらたどり着けるか?
というのをひたすら考える課題があり、その課題には答えは添付されていなかった。
1つの問題を数時間考えるとう体験はめったになかったが、
その時は悶々と、エンエンと考え続け、
分からぬままに、気力体力が尽きて、
ベッドに入ってうつらうつらしていた。
すると、1時間もうつらうつら半寝状態で経った頃だろうか、その問題の解答が頭の中にめぐってきて、
目が覚めた。
そのまま机に座って、鉛筆を走らせた。
そして何とか、その問題を解く事が出来た。
翌日、プリントを提出した時には、私以外に2人しか正解出来ていなかった。
(いや、、、2人も正解出来たというべきか)

突然のヒラメキが、私を救った?記憶である。


その次に明確に覚えているひらめきは、
大学入試の2次試験だった。
当時は、田舎の大学の教育学部を受けて、合格は間違いなかった。
だから、私の人生は、地元で生まれ育って、その後の後進を育てる人生だったはずだが、
ふとしたことから、大学の後期試験を、ランクが高い関東の大学に願書を出してみた。

2次試験は、小論文と面接だった。
(、、、ように思う。大学院の面接と少し似ているので記憶が混乱している)
明確に覚えているのは、小論文で、その時、私が”ひらめいた”ことを書き連ねた。
どうしてそのネタを書き連ねたか分からないが、席に座って鉛筆を取って、
小論文を書こうとしたら、”ひらめいた”のである。

小論文に書いた内容の主旨は、
・一つの科学が延々と進化を遂げる事はとても大切であるが、
二つの文化が接点を持ち、融合することで、新しい文化・科学・法則を生み出し、
さらなる成長を遂げていく。
・私はそういう事を主体的にやりたい。
という、内容だった。
生意気だ。
18歳の青年が、何が出来るんだ!偉そうに夢を語りやがって。
なんて、試験官は思わず、私を合格させてくれた。
感謝である。

Mixing Culture なんて言葉は、もう普通の思想である。
ただ、当時は何も知らない高校生で、30年以上前の話である。
あの時のヒラメキが無かったら、今頃、田舎で教師をしていたのだろうと思われる。
(そして、トラブルを起こして、退職していたかもしれない…)


まだ、人生の転換期のヒラメキの話が続く。
無事に大学生活を送り、就職活動をしていたころの話。
大学院の理系の学生だから、学校推薦をもらえれば、就職活動なんていらない時代だった。
ところが、当時の研究室の先輩に、社会人をやめて大学に戻った人がいて、
就職活動の楽しさ、重要さを教えてくれた。
その影響を受けて、いくつかの企業を訪問し、いくつもの企業から内定を頂いた。
(今から思うと、辞退した会社に申し訳ない)
その時、今の会社のライバル会社を受けた時に、英語の話になった。

私は、英語の力が極めて弱い。
先日のブログに書いたように、英会話に全くついていけない。
ところが、その時、何を思ったのか、就職活動の中で発した私の言葉は、
「英語を学問として扱う事に興味はありません。大切なのは人と人のコミュニケーションだと思います」
という内容だった。
・・・・
その後、英語を通じてコミュニケーションをしたか?
心と心で話したことがあるか?
おい、自分、どうなんだ?
内定をくれたその会社、その面接してくれた人に、深く謝罪したい。
ひらめいたのに、無駄になった言葉である。


時間は流れて、最近の話をする。
会社の中では、役職のシステムの他に、役級というモノがある。
(役職は、部長、課長、係長、担当等で、役級は、クラスともよばれ、一般一級、二級、エキスパート1級、2級、、、と細かくランキングされているステージクラスで、課長の中にも4つぐらいランクがあったり、課長だけど部長よりもえらかったりと複雑である)
役職は、組織別の階級になるが、
役級は、全社の中のランキングのクラスとみて良い。

その役級を上がる際には、アセスメント研修というモノを受ける。
いわゆる昇格試験というやつだ。

私の立場的(年齢)では、もう偉くならる必要が無い。
いや、もう偉くなってはいけない。
これ以上偉くなると、早く会社を退職しなくてはいけなくなるのである。
ところが、結果として、昇級してしまった。

アセスメント研修の前に、事前課題を渡された。
「あなたは〇〇の支店長でした、〇〇という状況かで××になっています。さらに△△があって、◆◆というトラブルも発生しています。あなたはどうしますか?」
という、ヤツである。
最近流行の?インバスケットは、それが2時間ぐらいの試験室でプリントを配られて、時間内にレポートする必要がある。
(こういう課題の場合には、時間内に終わらない量なので、メリハリ付ける事が大切。でも、過去に私が受けた時には終わったけどね…)
今回の研修は事前に渡されていて、1週間ほど考える時間があった。

沢山考えた、いろいろ考えた。ランニングしながら考えて、自転車に乗りながら考えた。
そして、
ひらめいてしまった。
レポートを作っていて、「これは受かるわ!」と自信があった。

昨今のコロナ禍の状況も私に有利に働いた。
Web研修だったので、耳の悪い私だが、音量を最大にして研修を受けた。
そして前述のレポートを報告(スピーチ)した。
5人が同時にWeb研修に参加していたが、私の目から見たら、私のレポートが圧勝だった。
これは、
実力でもなんでもなく、単なるひらめきだ。
普段から、こんなひらめきは無い。

そして、その結果として、そのアセスメント研修はパスした。
だが、
前述の様に、これは良いかとかどうかというと、分からない。
若い人であったならば、更に高みに向かって鋭意努力するところであるが、
もう老い先短い私が頑張ったところで、、、という事なのだ。

数々のヒラメキは私を助けてきたが、
一番最後のヒラメキは、結果として窮地に追い込んでしまった。

もしかしたら、本当に必要なヒラメキは、その時にブレーキをかける力だったのかもしれない。


少し後ろ向きな事を言ってしまったが、
人生万事塞翁が馬である。その後どうなるのかは、死んでから出ないと分からない。
そして、死んでしまえば、それまでの人生がどうだったかだなんて関係ない。
だから、生きたいように生きていけばよいのだと、改めて思い直す。


ひらめきは、突然やってくる。
ひらめきは、新しい考えが生まれる事だが、
それまでの人生経験の積み重ねの先に出てくるもの、
それまでに考えた思考の先に表れてくるもの、
そして、それまでこうありたいと考えつめたものが生み出されるもの。
だと考える。
時間は連続している。
人生も連続している。
そして、思考も連続している。

積み重ねた先には、深い色合いになり、味が出てくる。
それが人生の楽しみでもあり、苦悩でもあるなと。

何かいているんだろ、おれ・・・
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昨日に引き続き、つけ麺シリーズ。
品川駅内の一蘭
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椅子職人の話 [近況]

ブログに書き留めておきたいネタが2つほどある。
どちらも、教訓・うんちく系のお堅いネタである。

どちらから書こうか。。。

椅子職人の話をしよう。
(偉そうだな…)

椅子職人は、
椅子を作る人である。
・・・
・・・
まて、待ってくれ。
最後まで聞いてくれ。

椅子職人は、ひとりで椅子を作る。
だから、自分で椅子の座り心地を確かめながら作る。
完成した椅子の座り心地が悪かったり、
気に食わなかったら修理して、納得のいく仕上がりになるまで工夫をするだろう。
特に、
プロと言われる人は、こだわりを持って椅子を作る。
ちょっとしたカーブ、ちょっとした傾斜に、
異常なまでにこだわりを持ち、感性を研ぎ澄ませて椅子を作り上げる。

自分自身のフィードバックや、お客さんのフィードバックを大切にするのだ。


今度は、工場で椅子を作る事を考えよう。
一人で椅子を作るわけではない。
大量な椅子を次々につくるのである。
椅子の、、、、例えば、足のパーツを作っている人は、
座り心地がどうだとか、
丈夫さがどうかとかは、あまり気にならない。
それを考えるのは設計者であって、作業者はそこに想いをめぐらせる必要は無く、
決められた通りに作ることが重要視され、
正確さが求められる。

まちがっても、独特の個性を発揮してはいけない。
「オレはこう思う」という、自己主張もいらない。
自分勝手に作ると、椅子が組み上げられなくなってしまう。

何重ものルールや決められた手順があり、その決まり通りに実施するのである。
正確無比に、来る日も来る日も同じ事が出来れば、
上司からほめられ、会社からも褒められるのである。


さて、
自分の仕事を見てみよう。
私の仕事は技術職の部分が多い。
そして、技術職は、工場のようなルーチンの仕事が多い。
大きな仕事になればなるほど、個人の役割は、あくまで1つのパズルのピースであり、
1つのネジであり、正確無比が求められる椅子の一部分である。

こういう仕事は、やはり、個性を発揮する事が求められない。
時間的な制約の中で、決められたアウトプットが求められる。


じゃぁ、没個性かというと、
必ずしもそういうわけではない。

来る日も来る日も同じことをやっていると、作業員は飽きてしまう。
だから、仲間同士で声を掛け合って楽しく仕事したり、
同じことをやるにしても、もっと効率を上げるために工夫をしたり、
ミスをなくすためにいろいろな工夫をする。
そういう、改善の気持ちや仲間を思いやる気持ちが、
単なる作業の繰り返しの上で求められるのである。

また、レンガ職人の話が有名だ。
ある人が作業している男に「何をしているのか?」と話しかけた時、
ある男は、「うるさいな!レンガを積んでいるんだ」
また、ある男は、「オレは腕利き職人で、良い給料になるんだ。」
また、ある男は、「教会を作っている。人が集まるのが楽しみだな」
と、答えたという。
作業をしたとしても、どういうマインドで臨んだのかで、生き方が変わると教わった。



話は椅子職人に戻る。
工場の作業員として飼いならされてしまうと、
あるべき姿を思う描く力を失ってしまう。
「設計通りに作ればよいのだから、設計図をくれ」
「指示してくれ。責任は俺に無い」
という姿勢なのである。
割と大企業に多い傾向と言われる。
私の会社自身も、そういう傾向にあり、
そして、私がお付き合いしている大きな会社も、時々その傾向がみられる。



ただ、またその一方で、極端な話もしよう。

椅子職人のこだわりが求められる業務では、
いつまでもこだわっていては、生産性が上がらない事が多い。
そんなディテールにこだわっていても、結果は変わらないという事もあるし、
職人同士でこだわり合いの戦いを続けていても、前には進まない。
どこかで妥協点をみつけて、その先の課題に着手しなくてはいけないのである。
また、ひとりでやる仕事には、限界がある。
多くの人が協力して実施する仕事の方が、よりボリュームが大きいのも事実だ。

何が良くて、何がいけないか。


んー、、、こんな話では無かったな。
本当は、工場の作業員になってはいけないよという話だったが、
あっちこっち思いやり、思いを巡らすうちに、何の話か分からなくなってしまった。
話がグルグルして収拾がつかない。。。

私らしいじゃないか。
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つけ麺はおいしい。
(スカイツリーの六車鈴)
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