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史記を読み始める(まだ2巻) [歴史の話]

さて、、、何から書こう?

ネット通販で、買い物に失敗ばかりしている事を書いた。
一番最後の買い物は、レーサーシューズ。
時間限定の特売で、1万を切る値段だったので、慌てて買った。
もう一足、新品を持っていたが、サイズが微妙に合わないことは、先日書いた通り。
そして、
時間内・在庫の1つを購入し、手元に無事に届いた!
足にはぴったり、良い感じだ。
履き心地も良い。
・・・
だが、
持っているペダルと合わなかった。

SPDとSPD-SL
2つ穴と3つ穴、、、
ペダルも買うならば、さらに1万円の出費になる。
やっちまったなー。
(ネット通販を失敗して上塗りしていく失敗の旅はまだまだ続く)


話は変わる。
横山光輝さんの漫画の史記を購入して、
読む時間が無かったと書いたが、
仕事の合間を縫って、少しずつ読み始めた。
(いや、仕事しろよ)
面白いし、味わい深い。
第一巻を3回ぐらい読み直せるほど面白い。
第二巻を1回目読んだが、あと10回ぐらい読めるんじゃないかというぐらいに面白い。
ただ、
何百年の話を一気に駆け抜けて書かれる話なので、
人の人生を俯瞰してみてしまう。

ある国の王様が、戦に敗れて、
何とか殺されずに、低い身分で雌伏する話。
何年も何年も耐え忍び、最後は王様に復帰するのだが、
結論だけ見れば、王様に返り咲くのだが、
その耐え忍ぶ月日が、5年、10年、15年も続くと、
もうそれだけで、人生は満了してしまうんじゃないかと思うのである。

また、逆に、栄華を極める横暴な王様が、
最終的に、誅殺されてしまうのだが、
その横暴な王様が、横暴さを振りまく期間が10年も20年もあれば、
最終的に殺されてしまったとしても、
その人生は十分に楽しめたのじゃないかと思うのである。

最後の立ち位置が大切なのか、
それまでのプロセス・期間を過ごした時間が大切なのか、
どっちを重要視するか?だけの違いな気がする。

戦国時代の重耳、戦国の覇者だが、
逃亡生活を20年以上続けて、
いろいろな苦渋を飲んだ挙句に、自国に戻り覇者になった。
覇者になった年齢が62歳、亡くなったのが69歳。
たった7年しか、王様になれた時間は無かったのである。
幸せだったのか。。
(何をもって幸せかは、、、いろいろありそうだが)

臥薪嘗胆で知られる
呉の夫差は、越王勾践に滅ぼされてしまうのだが、
滅ぼされるまでは在位23年である。
十分に栄華を誇ったのではないかと思われるのだが。
(栄華の前に苦渋ももちろんあるし、在位期間が常にHappyだったとは言えないようだが)


もう一つ、中国の歴史の話では、
有能な人を推挙して、要職につけるというのが良く出てくる。
そして、
あっちの国の宰相をやった人が、
別の国の宰相をやったりする。
日本人が好みそうな忠誠心というよりは、より活躍する場を求めるアメリカビジネスマンの気質に近いだろうか?

そして、有能な人材を推薦する時に、君主に対して、
「もし、あなた(君主)が、彼を採用しないならば、彼を殺してしまいなさい」
と、薦める。
恐ろしいほど、ドライである。
たしかに、その国で採用されず、敵対する他の国に行って活躍したら不利になる。
かといって、「殺してしまえ」は、数値の損得ではわからないでないが、
やはりひどいよな、、、と思うのである。
漢の韓信の話もそうだった気がする。


ところが、中国の英雄は、さらにその上を行く。
「もし、君主が、私を採用しないならば、意見を聞かない君主は、
あなたの殺してしまえ!というアドバイスも聞かないだろう」と、平然とする。
秦に仕えた商鞅がそうらしい。
商鞅も、最後は、国内にライバルを沢山作ってしまい、殺されてしまう。
魏の呉起もそうだ。
改革者は反感を買い、そして、滅亡をしてしまうケースが多い。
反感を買うくらいじゃないと、新しいことは出来ない。
木下幸之助も「みんなが賛成するアイディアは失敗だ」という。
ただ、
反対を押し切ってすすめると、憂き目にあう。
・・・
ああ、今の私の仕事にいているな。
ふと、本から目を離して、仕事に、、現実に戻ってしまう。
(いや、、、、
、、、仕事しろよ)

中国4000年の深い歴史は、いろいろと面白い。
もちろん、小説だったり漫画だったり
脚色もあると思うが、
時代の、、歴史のうねりの面白さは、
現実のこの私の小さな仕事の悩みなんて、チャンチャラおかしいわ!って言ってくれる。

こういう事もあろうがな。
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陳宮 [歴史の話]

陳宮とは、三国志に登場する後漢時代の人である。
三国志は、正史と三国志演義で少し話は違うし、
日本に入ってさらに脚色された吉川英治の三国志とかでも大いに違う。

が、真実か脚色か、ややこしい話を抜きにして、
大雑把に言えば、
・後漢の役人→曹操に仕える→張邈に仕える→呂布に仕える
 →呂布と一緒に曹操に処罰される
のである。

三国志にはいろいろな人のドラマが織なされるが、
陳宮は、智謀の長けて、志を持って行きぬいた、悲劇の人と言えるのではないかと思う。

もう少しばっくり言うと、
後漢の役人をやっていて、当時の逃亡犯(政治犯)であった曹操を捕まえるが、
志に共鳴して一緒に逃亡する。
ところが、道中で曹操の残忍非道な面(言い方を変えれば、大胆な行動力)にびっくりして
袂を分かれて別の道を進む。
その後、張邈に仕えて曹操に反乱を起こし、呂布と共に戦うが、
曹操の軍団に追い詰められ、
最終的には、下邳という城に籠城するが、味方の武将にだまされて突き出されるのである。

策略等をめぐらす頭がとても良かったのだと思う。
張邈や呂布に献策を行い、城を取ったり、勢力を拡大したりと成果を上げている。
ただ、人を見る目が無かったのか、
逸材であった曹操を見限って離れてしまうし、
粗暴で浅慮と言われた呂布に最後まで付き添っている。
一度こうだ!と決めたこと(曹操に反抗する事)を決めたら、
人生をかけて徹底しているところを見ると、一途に思う気持ちがあるのだなと思うのである。

そんな風に、生涯をかけて曹操に反抗したにもかかわらず、
最期に、捉えられて曹操の前に引き出された時のやり取りが次のようになる。

曹操:「お前は、もともと、オレの下にいたのに、どうして今はこうやって敵になって首をさらしている?」
陳宮:「邪心のお前を離れて、呂布の仕えたからだ」
曹操:「智謀に長けたお前が、どうしてこんな風に負けた!?」
陳宮:「私の”曹操を負かせる”献策を、呂布が採用しなかったからだ」
(周辺の部下、ざわつく・・・)
曹操:「お前の老母や子供たちはどうするつもりだ?」
陳宮:「母の生死は、あなたの手にあり、私の知る処ではない」
陳宮はそう言って、自ら刑場に下がって行いった。
曹操は「陳宮の老母や子供たちは手厚くもてなすように」と声をかけたが、
陳宮は振り返ることなく去って行き、首を討たれたのである。

と。
もう一度、俺に仕えないか?と聞きたかったであろう曹操。
それは、陳宮の答えが絶対にNo!であり、それ以外の答えを言うようでは、
陳宮ではないからなのである。

涙ながらに、運命の道を分かれていく。
それが歴史であり、武将の道でもあるのだなと、
切なく、そしてどこか誇らしい気持ちもあったりするのである。

三国志には沢山の武将が登場して、
そして次々に去っていく。
戦いの長い歴史なので、ほとんどが悲劇で終わる。
私が三国志で一番好きなのは、趙雲という蜀の武将で、
そんなには有名では無いモノの、日本においては人気の武将である。
吉川英治のおかげか、ゲーム文化のおかげか。。
趙雲の話はまたいつか。。

今の季節にそぐわない(秋に撮った)山梨側から見た八ヶ岳
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