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湾イチ 2022 [近況]

夏だ!
自転車の季節だ!
コロナ?
まったく人と接触していないので、許していただこう。

先週は、ヤビツ峠に登ってきたが、
何となく釈然としない気持ちが残っていた。
もちろん、ヤビツ峠は素敵な峠だ。
都会からアクセスしやすくて、そこそこの標高があり、ヒルクライムを楽しめる。
(オジサンは、緩斜面側からしか登れない事を付記しておく)

釈然としないのは、今年走ろうと決めている、ワンイチが走れていないからである。
ワンイチ、、、湾イチ、東京湾を一周する自転車の旅である。

コースは簡単である、久里浜~金谷港にフェリーが走っている。
後は、東京湾に沿って、一周するだけだ。
ただ、
1周で200kmほどあるので、日の短い冬には向かない。
走りはじめたら、途中で帰ってくることも出来ないので、走るしかないのである。

前日、140kmほど走って、疲れた体を労わるべく、20時に布団に入る。
ところが、
ご近所や家族の騒音でなかなか寝付けず、
ヘルスケアバンドの記録によると、夜の1時にやっと眠れたようである。

朝4時半、目覚ましの音で、瞬間的に全身にスイッチが入り、
準備をする。
朝6時20分のフェリーに乗るためだ。
東京湾フェリーのHPを見たら、船乗員がコロナにかかり、減便しているため、
6時20分の次は、8時20分になってしまうそうだ。
8時20分に乗ったら、、、家に帰ってくるのが、夜になってしまうので、
是が非でも始発の船に乗るしかない。

全力で走る・・・
ということが、希望であったが、
最近の脚力の無さから、普通のスピードで走っていった。
5時に家を出て、フェリーターミナルに6時に着く。予定通りだった。

フェリーの上から、東京湾を眺めるのは、非常に楽しいのだが、
フェリーもそこそこのスピードで走るので、風が冷たい。
船上で景色を楽しむ人も、適度に楽しんだら、船内に戻っていっていた。
今日は風速2-4m/secなので、波も穏やかで40分の船旅を楽しむ。

フェリーが金谷港に到着すると、
自転車が先に降りて良いので、1番乗りになる。
そこから東京湾沿いを、反時計回りに一周していくのである。

途中、富津岬(ふっつみさき)という、東京湾の真ん中に突き出た半島による。
毎回立ち寄っている。
高さ20mぐらいある展望台があるためだ。
ここは絶景ポイントである。
220731_1.jpg
ここから西方向を見ると、富士山がうっすら見える。
撮影時には、雲がかかってしまったが、フェリーの船上からは綺麗な円錐形が見えていた。
代わりに、東京湾第一海堡、第二海堡が良く見えた。

東京方面に目を向けると、
浅瀬の先に、横浜ベイブリッジと海ほたるが良く見える。
時間の制約が無ければ、この景色をずっと見ていたかったところである。
220731_2.jpg

なお、これから走っていく千葉側を見ると、
工場地帯のいくつもの煙突の先に、
アクアラインの橋げたが見られたが、
その先までは見通すことが出来なかった。
地球が丸いのと、東京湾がでかいのを改めて実感した。
220731_3.jpg

家からここまでは、まだ50kmしか走っていない。
これからまだまだ150kmもあるのだ。
ゆっくり見物も出来ないのがつらいところ。

千葉の沿岸は、さっき見えた大きな工場が並んでいる。
その工場と、住宅地の間の道を北上していく。
風は強くないが、追い風なので、楽しく走ることができる。
ただし、ここで足(体力)を使ってしまうと、後半ばててしまうので、
ほどほどに走り込んでいく。

千葉を回り、船橋、市川を経て、東京都に走っていく。
今回は、自転車禁止区間は、一回も走らなかった。
(いや、当たり前なのだが)
一番最初にワンイチを走った時には、
市川の高速道路わきの自動車専用道路も、
葛西臨海公園付近の自転車専用道路も、
何も知らない状態で自転車で走り抜けてしまい、
ドライバーをびっくりさせてしまったが、
(いや、それ以上に、自分が恐怖でした)
もう何回も走っているので、さすがに道は覚えたのである。

浦安からは真西に進む道で東京駅まで走る。
いたるところにコンビニや食べ物屋があるので安心して走るが、
今回も3回の補給で、
おにぎり2個、パン1個、1リットルのジュース4本、アイス3つ
で走りぬいた。
たぶん、自転車で消費したカロリーの半分ぐらいしか補給していないので、
さぞかし痩せたのだろうと思われる。
(個人的な感想である)

東京駅からは、皇居をぐるりと回り、
走り慣れた道を南下する。
もう、目をつむっても家に帰れる道である。
(いや、実際に目はつむれない)

今回は、並走したり、追い抜いて行くチャリダーはほとんどいなかった。
暑いからなのか、何なのかよく分からない。
ただ、
信号無視をして走っていくライダーがいて、
ああいう人がいるから、事故が減らないし、自転車へのバッシングになるのだよな。
と思うのであった。

へとへとになりながらも、無事に家にたどり着く。
走った距離は205km、走った時間は9時間、
休憩やフェリーを入れた時間は11時間だった。

とても疲れたのだが、
テンションが高いためか、疲れすぎたためか、
なかなか体が落ち着いて眠るモードにならない。
明日の仕事、在宅勤務でよかった。。。
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ヤビツ峠にのぼる [近況]

今日は早く起きた。
もう1時間早く起きたら、東京湾一周の旅に出れるのだが、
太陽が昇ってから起きたので、そこは断念である。

先週、志賀高原合宿で、渋峠にのぼったが、
山腹からの峠道だったので、もう少し峠を登ってみたいなという気持ちが起き、
ヤビツ峠を上りに行った。

220724_2.jpg
ヤビツ峠は、台風等の影響で、長らく裏ヤビツと言われる、北側から県道70号線を南下するなだらかな道が22年3月末に復旧・開通したので、1度走ってみた。
思った以上に”なだらかな道”だったので、標高761mでも余裕で登れるのである。

ただし、峠道に至るまでが長い。
自宅から50kmほど走って、ようやく裏ヤビツの林道に入るので、
今日の炎天下の中では、そこに行くまででばててしまう。

朝早く起きてお昼ごろに峠道だったので、
割と涼しいプランであったが、
峠道を追えて、下界に戻ると、灼熱の太陽にさらされて、
何度も水分補給が必要な状況だった。
ヤビツ峠のある、大山は、別名「阿夫利山」と呼ばれ、
阿夫利=雨降り という名がつくほどに、雨が降りやすい地形である。
今日も、峠道を上っているときには、ほとんど曇っていた。

関東平野は、ピーカンの夏空なのに、
大山・阿夫利山は、太平洋からの上昇気流の影響か、
よく雨が降るそうだ。
雨が良く降るので、森も喜んでいるに違いない。

ちなみに、ヤビツ峠とは、漢字で書くと、
矢櫃峠となるそうで、
峠道に矢の入った櫃が発掘されてその名がついたとか、つかなかったとか。。。

峠からは眺望が開けないが、
峠道から降りてくる途中に、絶景が広がる。
220724_1.jpg
自転車・バイク・自動車、そして登山客でにぎわっていた。

朝早く出かけたので、
割と早く戻ってこれた。

明るい時間から、昨晩放送された、
「コードブルー・ドクターヘリ」
の映画を見た。
ドラマ含めて見たことが無かったが、ひとことで言うと良かったなと思う。
ドクターヘリは、映画にしなくても、非常にドキュメンタリー性が高く、
一度、TV番組で放送されたが、非常に印象的な仕事であると思った。

人命を救う、医者の仕事。
特に、ドクターヘリだと、救急対応の出番になり、
瞬間的な判断、冷静な判断が求められる。
このお仕事をしている人は、とてもストレスになり、
そして、多くの人から感謝される仕事だなと思うのである。

そういえば、南木圭士さんの本を何冊か借りて読んでいる。
長野の佐久のお医者さんで、ダイヤモンドダストという本で芥川賞を取った方である。
独特の文書スタイル、独特の価値観で書かれているが、
私の故郷の長野の田舎を舞台にすることが多いためか、
私は読んでいて、とても心が落ち着く。
お医者さんなので、診療の話等が多く、医師の苦悩も伺える。

私は頭が足りないので、お医者さんにはなれなかったが、
仕事に対する充実感・責任感を考えれば、
お医者さん以上の仕事は無いのではないかと思われる。

ということを、考えていると、夏の夜がやってきた。
今日は、疲れたので、ぐっすり眠れそうだ。
明日はまた、在宅勤務。
平日に、ゆっくりと疲れを取ろう。。
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使い始めるタイミング [近況]

今、私は、未使用の靴を3足持っている。
古い靴が、壊れたり、穴が開いたり、擦り減ったりしているので、
履き替えたいのであるが、
いざ、新しい靴を買ってみたら、
「前の靴、まだまだ、つかえるじゃん・・・」
ということになり、
未使用な状態で今日にいたるのである。

1つは、レーサーシューズ。
もう、10年以上になるだろう。
踵とか、つま先とか、擦り減って、ボンドでくっつけている。
220722.jpg
自転車に乗ると、ペダルに乗せて、回すだけなので、
余り靴が擦り減る要素は無いのだが、
自転車を降りて歩いたり、座って休憩するときには、
靴が路面にあたるので、擦り減っていくのである。

このレーサーシューズは1万円もするので、
なかなか思い切って買えない。
ある日、”特価”で、やや小さいサイズのレーサーシューズを買ったのだが、
小さいということも相まって、2年ぐらいたつが下していない。
(下す=使い始めるということ)

上記の写真を見て、大学の同期が
「ボロボロやなぁ~」と、つぶやいたが、
そうか、このタイミングで下すのだったなぁと反省した。

ちなみに、自転車のブレーキシューも、いつ交換したらいいか迷った。
雨の渋峠を降りていくと、ブレーキが利かなくて、
ブレーキシューを見ると、溝が無くなり、利きが悪くなっていた。
もったいないというよりも、危なかった。。。
ケチな事はしてはいけないものだ。

靴の話に戻る。

トレッキングで履ける靴も買った。
靴は安いので十分だ!と思っても、
ゴアテックの靴は、やはり1万円以上する。
清水の舞台から飛び降りるつもりで、ネットでポチットしたが、
買ってから半年、まだ下していない。

今回の志賀高原の山歩きで、使ってみようと、枕元に置いていたが、
出かける瞬間に、
「今回は、今までの靴の、最後の旅!」
として、家に置いて出かけてしまった。
そして、
山歩きをする時に、古い靴を見ると、
大きく亀裂が入っていて、穴が開いていた。

これも、登山の事故につながる。
危なかった。。。


最後の靴は、通勤に使う靴である。
革靴っぽい、歩けるソフトシューズである。
安物は沢山試したが、すぐに壊れる。
家から駅まで1kmちょっとであるが、走っていくだけなのだが、
衝撃に耐えられないようである。
かといって、ランニングが出来るビジネスシューズという、ストライクなモノを買うと
数万もかかってしまうので、
1万ぐらいのHawkingのビジネスシューズである。
先日、ネットでぽちった。

この程度であれば、ある程度は長持ちしてくれるし、
この靴を履いたままでお客様先に言っても、そんなに違和感はない(と思う)

届いて、枕元に置いていて、出番を待っている。
使い始めるのは、いつだろう。。
もったいなくて、なかなか使えない。

ちなみに先代のHawkingのシューズは、かかととつま先がすり減って
分離して歩くたびにパカパカいっていたが、
接着剤でくっつけてまだ使っている。
ただ、これは良く見ると、壊れた靴であることが一目瞭然なので、
お客様先には履いていけないモノである。

コロナが急増したので、お客様訪問が無くなってしまった。
せっかくのチャンスだったのにねぇ。


あと、下していないもの。
服も何種類か。
急いで買わなくてよかったのに、、、、あの時は、”ヤバイ、早く買わなくちゃ”だったなぁ。

自転車のビンディング(SPD)
ペダルレンチも含めて買ったのに、
未だに下すタイミングが無く、時々ペダルをこいでいて、外れてしまう。
(危ないじゃないか)

そんな状況なのに、使い始めるタイミングがわからない。。


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志賀高原合宿 [近況]

先週の大学同期との話の続きである。

続き?
前のブログとは、あまり関係ない話をする。
前のブログは、自転車の話はほとんどしなかったので、自転車の話だ。

自転車と言えば、
今はツールドフランスが開催されている。
若い新星のポガチャルが、何年王者として君臨するかが、注目されている。
つまるところ、ツールドフランスの勝者は、ポガチャルに間違いないと、
あまり詳しくない私ですら思っている。

さて、
ツールドフランスでなくても、
東京都のレインボーブリッジ(の一部を)自転車で走れるというイベントが
11月に開催されるらしく、今、エントリー期間になっている。
こういう事を書くと、エントリーが多くなり、抽選に外れる可能性も高くなるが、
まぁ、この歳になると、
「みんなが等しく応募して、公平な抽選で、走者を決めて欲しい」
と思うようになる。
いくつかコースがあって、参加費が1万円なので、そこがふるいに掛けられるポイントだが、
抽選で当選する数百人に入れるかどうか。


ん?
志賀高原の話ではないな。

志賀高原には、「国道最高地点」がある。
標高2,172mである。
自転車でここを上るのは、とても体力・気力が必要とする。
・・・
ただし、
山の下から登った場合である。
我々の合宿は、”大人” な合宿である。

合宿地に車で集合して、そこから自転車で峠まで走るだけである。
合宿地は、標高1,550m・・・
え?
1,500mをすでに越えているの?
そう、越えているのです。
なので、
600mしか登らないのです。
・・・
普段の、阿夫利神社の林道の道と、さほど変わらないのです。
楽勝なのです。
それなのに、
”国道最高地点”に達成できるのです。
・・・
”大人” な、走りなのです。

初日、車で、ふもとの町の湯田中から、
アクセルをふかして”自動車”で、坂道を登って行った。
いやー、こんな坂道を走るのは、めちゃめちゃ大変だよなー。。。
と思ったら、
どこかのオジサンが薄ら笑いを浮かべながら、峠道を一生懸命に登っていた。
・・・
笑っているよ、、、上っているよ、、、
彼は、この苦行を、楽しみながら登っているのだなぁ、、、、
と、感慨深い印象を受けながらも、
安心して、自動車のアクセルを踏み込んで坂道を登って行った。

初日、合宿所で友達と合流し、
近所の観光地を自転車でブラブラする。
車もほとんど来ないので、横並びで話ながらブラブラと20kmほど走る。
20kmも走ったのか?と思うほどに、楽な走りだった。

翌日、さらに大学の同期の夫婦が駆けつけて、
4人で渋峠を目指す。

一人でガシガシと、休みもなく走り続けると、
着いた時には、へとへとになり、楽しくもなく、峠道をそそくさと降りていくのだが、
4人で話したり、休憩したりしながら登っていくと、
全く疲れが出ない。
そんなモノかもしれないが、、、そんなものなのだな。と。

峠でお昼を食べたり、ブラブラしてから、来た道を引き返す。
(さらに奥まで走っていく元気さは、さすがになかった)
ところが、
下り始めて突然に、雨が降る。
降る、降る、、、突然の豪雨になっていった。
あまりにも寒く、手もかじかむ。
全身の体温が一気に下がり、判断力も衰える。

そして、なんとブレーキシューも削れてブレーキも効かない。
ピンチの中のピンチである。

たかだか600mで10kmのくだりであるが、
どこまでも続く、苦行のような道だった。

合宿地点に戻ると、
さっきまでの雨が嘘のように上がってしまい、
そして、着替えて外に出てくると、次第に天気が良くなり晴れていた。

あのまま、雨が止むのを待てばよかったのかもしれないが、
峠方向を見上げると、雨雲がかかったままで、
あそこだけは、まだ雨が降っているのかもしれないな…という感じでもある。
山の天気の変わりやすさをなめてはいけない、対策・準備をしなくてはいけないなと、
つくづく思い知らされた。

220721_2.jpg
峠を降りる前の、元気だったころ。。。

合宿2日目に、夫婦参加のうちの奥さんだけが先に帰ってしまっていた。
1部屋しかないので、気を使っていたのだろうとおもうのだが、
申し訳ない気分である。

口下手な男3人で、軽く飲みながら話をするが、
2人は酒が飲めないので、酒盛りも盛り上がらず、これはこれで申し訳ない気がする。
むかしは、もっと浴びるように飲んで、つぶし合ったものだが、
いい歳をしたオッサンなので、こういうので良いのだろうね。

二人のオッサンに挟まれ、イビキを聞きながら、夜が更けていくが、
イビキのうるささに腹が立つというよりは、
こういう経験は、もうほとんどないんだよなーと、もののあわれを感じながら眠りについた。


酒も残らず、ぐっすり目覚めた合宿3日目は、
山登り・・・
もとい、
山下りである。
車で上まで上がり、山をトレッキングで降りてきて、
最後にもう一台の車で、上の車を取ってくるという、”大人”なトレッキングである。

歩いた距離は9kmほど、ほどよく歩き、
途中でカップラーメンを味わい、
森林浴を楽しだ。

この自然を満喫するツアーは、
是非、娘たちに味あわせてあげたかったなーと思うのであった。
無理矢理でも連れて行ってあげたいものである。
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27年ぶりの合宿 [近況]

しばらくブログが書けない状態でした。
コロナ感染で、ご心配をかけたかもしれませんが、99%はご心配はしていないと思います。

そんな中、先週末は、思いっきり、遊んできました。
大学の同期の勤めている会社の保養所が志賀高原にあり、
そこに泊まって自転車乗りをしてきました。

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大学の友人の勤める会社は、保養所があるほどなので、
歴史もあり規模も大きく、施設には管理人も専属の料理人もいるので、
とても綺麗で整備された施設でした。
ただ、コロナ禍もあり、1泊3組までに制限されているので、あまりにももったいなかった。

志賀高原のあちこちに散らばるホテル・別荘の一角にあり、
そこから自転車に乗ったり、散策したりの連休を過ごした。
一言でいえば、
”楽しかった・行って良かった”
である。


ただ、お誘いを頂いた時には、ちょっと迷った。
そこまで行く足がない。
自家用車はあるが、家族が使うだろうから3連休を占拠するのは憚られる。
自転車が必要なので、新幹線で輪行することも考えたが、
そもそも輪行袋が長野の実家に置いたままだ。
新幹線の予約も手間だし、自転車を空きスペースに置くのも、確か手続きが必要だ。

2つ目の理由で、お金がかかる。
当たり前だが、連休も地元で自転車を乗る分にはお金はかからない。
宿泊費(安かったけど)交通費、食費、お土産代、、、
何気に、何気に、、、と言っている間に、旅行はたくさんの出費がかかる。
自分ではなくて、子供たちが旅行に行くお金ならば、惜しまない。
老いぼれて死にゆく自分に、こんなお金を使っていいのか、もったいないという、
しみったれた思いが沢山よぎる。

3つ目は、怒られるしかないが、めんどくさい。
宿泊手配は、友人がやってくれのでありがたいが、
行ったらなんで遊ぼうか、前述のどうやっていくのか?
行くならば、早起きしないといけないし、前の日に夜まで仕事がある。
連休後も当然に仕事である。
非・日常とは、こういうものだと思うのだが、
慣れたことを繰り返すのは、楽だが、慣れていない事をするのに抵抗感がある。
年老いただけであるなと。


そんな、いろいろな思いが重なり、
すぐに「参加します!」とも返せなかった。


車は、お誘いがあった時から、「車は3日間使う、3日間不在にする」ということを
次女に伝え、妻も長女も聞いていないが、大きい声で呟きを繰り返す。
結果的に、車は何とか確保して、
楽ちんにも、車で志賀高原を往復した。

横浜から志賀高原まで、、、、行きは長野の実家経由で7時間、
帰りはまっすぐ帰ったのに7時間。
行きも、帰りも3連休の渋滞や事故渋滞につかまって、
とても”しんどい”ドライブでした。

車のカーナビに無い新しい道を、3回も通ったので、
”カーナビに支えられている安心感”というものを実感もしました。


いや、そんな事じゃなくて、
”思い切って、イベントを楽しむ”事が、
自分のリフレッシュにもなり、一生の思い出にもなり、
そして、コスパもそれに見合うものだと(やるべきだ)と改めて認識しました。

娘たちを、もっとあちこちに連れて行ってあげたい。。。
小学校から受験戦争に巻き込まれていて、
心置きなく遊ぶ…ということをしてこなかったので、
私じゃなくて、娘たちに、もっと遊んでほしいなぁと強く思うのでした。


合宿の中身は、次回!
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こんな素敵な場所には、、、泊まれません!
(森の中のオブジェ?)

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コロナ感染 [近況]

新しい会社になり、、、、
とても大変…なのだが、
仕事は変わらない。

ただ、会社が変わって、使っているシステムもいろいろ変わる。
メールを中心としたコミュニケーションシステム、
スケジュール管理、社員録、Web会議システム、
ファイルの管理システム、、いろいろと変わるのだが、
幸いにも、前の会社のシステムはそのまま使える。
仕事が変わっていないので、そのまま使い続けて、仕事を続ける。
・・・
会社が変わったのに。

とは言いながら、新しい会社のシステムを使えるようにしないといけない。
ワタワタしている。

そんな中、妻からSMSが届く、、、
「働いている病院からコロナにかかった」
・・・
かかったらしい、、、じゃなくて
かかった(断定)である。
これは、
確信犯というか、分かっていて黙っていたのだな。

というか、病院で働いているのか。
知らなかった。
医師でも看護婦でもないので、事務員なのだろうが、
妻が病院で働いているのは知らなかった。

いや、そんな事ではない。

接触していない、、、
食事も一緒に食べていないし、
顔を合わせることもない、
会話もすることが無く、
来た連絡がSMSだけなので、LINEもメールもしらない。

全く”濃厚接触”に該当しないと思うのだが、
会社に行くのは見合わせてしまうことになる。
とんでもない迷惑である。

子供たちも、学校にもバイトにも行けない。
良い迷惑である。

今も接触していないが、
同じ家にいても、接触しないように生活をしている。
トイレも水道もタオルも別である。

妻の食事は、娘が持って行ってくれるが、
パパが買ってきた弁当等である。

子供たちも熱が出たと騒いでいるので、
あわててPCR検査会場に行く。
幸いにも二人とも陰性ではあった。


そんなあわただしい状況であるが、
会社でも、同僚がコロナに感染したという連絡が入った。
あれ?
私が媒介して、うつった?
いやいや、タイミングが合わない。

もしかして、妻と同僚が?
いやいや、そんな神秘的なドラマは、そう簡単には生まれない。
(ドラマの見すぎである)

さらに、会社の部下もコロナにかかっていた。
同僚と、その部下に接点は無い。
・・・
もしかしたら、コロナで感染が爆発しているのだろうか?
ほぼ同時期に3人も感染するか?

もしかして?俺か?
うーん。
味覚はあるし、熱もないし、元気である。

妻よりは、同僚や部下に会った時間は長いし、妻は会話していないが会社では会話をする。
しかし、マスク越しだし、会話も3分程度である。
ちょっと考えにくい。
なんだろうな。

気持ちが悪い。


あ、私は元気です。
静かに自粛期間を、在宅勤務で過ごすのである。。
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連休前のヤビツ峠

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明日も地球は動いている [近況]

「街は回ってゆく 人ひとり消えた人も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと」
というのは、中島みゆきさんの「永久欠番」という歌の歌詞の一部である。

大学を卒業し、会社に入り、ずっと一つの会社で働き続けてきた。
転職とかしなくてよかったのは、
めんどくさがりな自分にとってはとても都合が良かったと思う。
一つの会社で働いてきたが、
2-4年に1回は部署が変わる。
一つの部署で、ずっと仕事をさせていただきたい!と思うのだけど、
人を育てたり、新しい発想は価値観、考え方を生み出すためには、
人事異動が必要となるのである。

入社してから、数えてみると、9回の異動をしてきた。
毎回、仕事や人間関係が変わるので、ストレスになったりショックをうけたりする。
年を取ってからだと、そのショックが大きくなり、
涙もろくなってしまうので、恥ずかしくもある。

7月に、会社の組織編制があり、
3つの会社をまたぐ、大きな異動があった。
そして、私の所属する部署全体が、会社をまたいだ異動になり、
長年勤めていた会社出て、別の会社になったのである。

部署ごと変わったので、
幸いにも、仕事は変わらない。
フロア変更があるが、働いているビルもそのままなので、
ストレスは少ない方だろう。

ただ、メンタル的には、会社が変わってしまうのは大きい。
株式会社○○のモノです。。。
と言っていたものが
△△株式会社のモノです。
と、言わないといけない。

もちろん、影響は単なる社名変更や名刺が変わるだけではない。
まだわからない、何かが、いろいろと変わっていくのだろう。
大混乱はすでに始まっている。


旧会社の仕事の最終日。
会社の仲間達と、しんみりと飲む…
ということもなく、普通に仕事をして家に帰る。
そして、新しい会社での初日。
ワクワクや不安を抱えて出社、、、もすることなく、
お客様先で打ち合わせから始まる。

自分の中では、大きな地殻変動というか、
大変なことが起きているのだが、
仕事と環境は、それほどまでには変わっていない様子である。

初日の仕事を終えて、周囲を見渡すと、
オフィスには誰もいなかった。

いろいろな思いが駆け巡るところであるが、
本人程に、同僚や部下たちも影響を受けていないのかもしれない。
オフィスを出ると、
いつも通りの夜景が広がっている。
街は回っていた、いつも通り。
何も変わらずに、回っている。

当たり前のことだが、
明日も地球は普通に動いているだろう。

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