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2023年を振り返る [近況]

大晦日である。
朝から雨が降ったので、今日は自転車に乗らず一日を平和に過ごそうとした。
・・・
本当は、車に自転車を乗せて、霞ヶ浦まで行き、
達成しなかった霞ヶ浦一周をやろうと思ったが、
会話をしない長女に「大晦日、車使っていいか?」と聞いてみたところ
夕方に車を使う旨の発言があった。
(めんどくさそうに話すので、よく聞き取れなかったが、、、意志に反するという反応だった)
じゃぁ、車は長女に任せて、
ゆっくりと過ごそうとした。
が、
もう19時になるが、長女はまだ車に乗っていない。
あれは、何だったんだろう?

午前中は、仕事をしてみた。
3時間ぐらいだが、久々の仕事に集中した。
ふと窓を見ると、雨が上がり、明るくなっている。
ちょっくら、自転車に乗ってみようか。。。という気分になり、
2023年、最後の自転車乗りに出かける。
午後から行ける場所…横浜市内である。

最近は、三浦半島か湘南の湾岸沿い・大山の麓に走りに行くことが多く、
横浜市内方向にはあまり行っていなかった。
ひさしぶりのみなとみらいは、新しいビルが何棟も立っていて
ついに完成した副都心感がいっぱいだった。
これだけ、まだまだ、日本には経済力があるのだなと思う。
頼もしいものだ。

3時間ほどで70kmちょっとを走る。
太陽が出ている時間に、走り終えた。
私はめったに酒を飲まないが、走り終わって
ほろよい(アルコール3%)を、無事の走り終えを祝うために飲んでみた。
・・・
気を失った。
・・・

今、ようやく目覚めて、コーヒーを飲んで酔いを醒ましている。
この間に、ほろよいながら、2023年の自転車とランニングを振り返ってみた。
スマフォの記録では、、、
231231_3.jpg
のように記録されている
ランニングの距離の記録は、1年間で1,545km。過去最長の距離である。
(走行回数118回、平均13km/回、平均走行時間1時間20分、平均速度9.8km/h)

自転車も、1年間で14,953km。こっちも過去最長の距離である。
(走行回数は116回、680時間)
ただし、スマフォではなくて、スピードメータの記録では
1年間で15,016km。
なんと1.5万キロを超えた。(大みそか走ったからだ)
(記録走行回数112回、平均133km/回、平均走行時間6時間01分、平均速度22km/h)

決して速いとは言えないが、
じっくりと長い距離を走ったのだと思う。
例年に比べると、自転車は、
231231_1.jpg
となっている。
去年の最長距離を大幅に超えた。
いろいろかい殴り捨てて走った。嫌になるほど走った。
もう来年は、こんなに走らないと決意できるほど走った。

ランニングは、
231231_2.jpg
2021年よりもかろうじて長い距離を走っている。
コロナ禍のリモートワークで、早朝走るようになった。
去年は1000km越えられなかったが、無理やり習慣にしたら新記録を達成した。
この歳になって、
自転車・ランニングともに記録を更新出来たのは、、、
我ながら、アホだよなと思う。

ま、いい。
来年は無理せず、時間を生きている事を楽しもう。

自転車とランニング以外は?
いろいろあった。
大学の同期に久々にあった。
次女が大学をやめてしまった。
会社が信用を失墜する状況に置かれ、社内で戦いの日がはじまった。
いろいろあった、私の人生の1ページをしっかりと刻んだ。
悲しいこともあったが、病気や事故も無く、平和な1年であったともいえる。
感謝である。

今年も、多くの方に支えられて生きてきたいと思います。
本当に思います。
(とってつけたかのような記載ですが、本当にそう思います)
来年も、楽しく、時を刻んでいきたいと思います。

2023年。ありがとうございました。
良いお年を!
231231_4.jpg
ヤビツ峠には16回も行ったんだ。。。

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2023年の目標は達成したか? [近況]

2023年がいよいよ終わる。
毎年、正月に、今年こそはこれをやるぞ!とガンをかけ、
(?ガンをかける?目標を立てるだろうな・・)
1年間、それをわすれて、ゲンキンに過ごす。

1年が終わるので、システム手帳のカレンダーを買いに行ったが、
最近は、売り場でもシステム手帳のカレンダが売っていないばかりか、
年間のスケジュール表やカレンダー売り場の面積も小さくなった。

あれ?
そういうものか?

そう言えば、会社で配られるカレンダーもかなり少なくなった。
これは、
もしかしたら、わが社が斜陽業界に入ってしまったのかもしれないが
(うっすら心当たりはある)
わが社もカレンダーを積極的に作って配らなくなってしまった。
(これが斜陽の表れでもあるのかもしれないが)

スマフォやPCを見れば、カレンダーは必須ではない。
無いのだが、
仕事をしていて、パッと予定を話す時に、コンマ1秒の差で、
紙のカレンダーが身近にあると便利なのだ。

いや、コンマ1秒は、何とかなるだろう・・
という方は多い。
その通りだ。
でも、キーボードも、マウスも、ディスプレイも、
コンマ何秒の仕事の速さ、快適さから、その先の創造をするための力になるのだ。
装備を整えるとは、そういう事だろう。

何の話だ?

ああ、システム手帳を買いに行った。
バインダー型の入れ替えるペーパーだ。
そして、
毎日、起きたことを、そこに一言書き連ねる。
が、
ほとんど読み返したことは無い。
が、
それでいいじゃないかと思う。
毎日、毎日が、「ひとこと」に要約されて、
ページの中に刻まれる。
起こったことや、怒ったことや、嬉しかったこと、事件を記録する。
字が汚いので読まないが、
たぶん、書くことに意義があるのだと思うのだよね。。。
もう、何十年も蓄積されているが、
いつか、これらを処分する日も来るだろう。

で、
2023年の当初の目標を見返してみた。
・・・
愕然とした!
ほとんど、達成されていない。
自転車とランニングの距離以外は。。。

主なところ。
・資格を1つ取る → 1ページすら開かなかったどころか、どの資格かも考えなかった。。。
・蓼科山に登る → 断念した。2回も。残念だ。雨だった。
・霞ヶ浦一周 → 茨城には行ったのだが、霞ヶ浦にはいかなかった。
・本100冊読む → 数えてみたら90冊だった。通勤しなかったから読書が減った。。。
うーん。
言い訳ばかりだ。

目標を立てた後には、
具体的な行動も考えないといけない。
ランニングについては、前述のとおり、ちゃんと考えた。
(1週間に落とすと、何日走る必要があるか)
資格取得については、、、、何にも考えなかった。それが敗因だ。
何の資格を取るか、いつまでに考え、
いつから勉強して、試験はいつあるか。
難易度は?繰り返し勉強は何回するのか?
などなど・・・
詰めが甘いな。
(会社で怒られているかのようだ)

さて、
今日は、妻と次女が、妻の実家の京都に行った。
新幹線はさぞかし混んでいるだろうな。
長女は卒論で忙しいらしく、ずっと家にはいない。(らしい)

さぞかし、自由を満喫している!
と思われるに違いないが、
もとからずっと、一人の時間である。

ただ、違いがあるとすれば、暖房を入れないので家が寒い。
リビングでふんぞり返って大音量でテレビを見ていたいところだが、
さっきまで一生懸命に年賀状を印刷していた。
(ちょっとだけどね)
もう古いPCと古いプリンターで時間を書けて印刷するので、出来は悪い。
こんなのを配って、もらった人は満足するのだろうか?
(いや、満足はしないだろうな。。そういう事じゃない)

年賀状を印刷したら、
仕事が待っている。
生み出さないといけない資料を、人を動かさないといけない資料を、
年末年始に作って、年明けにばらまく予定である。
もう、力を抜いて、こんなことをしなくてもいいのだが、
もう少し、今少し、、頑張ってみたいのである。

ということで、
ちっとも、自由な時間が無い。
大掃除もやっていない。

うーーーーん。。。
231228.jpg
海岸線沿いを、映画のワンシーンのように走るのは、
かなり難しい。
筋力が追いつかない。
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朝日を見に行く [近況]

昨日のランニングのメモで、朝日を見ることを書いた。
一つの事にこだわると、ずっとその思いばかりに捉われてしまうのは
精神的に良くない。
病気になってしまう。

のは、分かっているが、
ついつい考えてしまう。

翌朝、いつものコースとは別に、海岸まで一直線に行って、
朝日を見ることにした。

今年最後の業務前ランニングなので、
朝日を見るチャンスは、今年最後だ。
(明日からは、ゆっくりと起きるぞ・・・)

いつもよりも、スピードを上げて、うす暗い道路を走っていく。
走り出したタイミングでは、
反対側の西の空は、まだまだ夜で真っ黒だが、
東側がゆっくりとオレンジ色になっていて、
非常に幻想的な時間であったが、
あれよあれよという間に、
東の空が明るくなり、西の空も含めて…空いっぱい明るくなってきた。

やばい、このままでは、海岸に着く前に、
日の出になっちゃうんじゃないか?
おかしいな?予定時刻よりも早いのか?
と、さらにスピードアップで走ったところ、、
231227_1.jpg
日の出に間に合うことは出来た。
そして、
そこから10分以上、太陽は登ってこなかった。

堤防の上から、朝日を待っていたのだが、
その堤防は、何年か目の台風の波の影響で防波堤が壊れ
工業地帯が水浸しの水害に遭った地区だったが、
とてもとても頑丈に作られていて、
さらに、海釣りがやりやすいように工夫されていて、
車1台が十分に通れるくらいの堤防が1km程度続いている。
(行政も、たまにはいいことをする)

その堤防の上を、何往復かしていると、ようやく日の出が拝むことが出来た。
231227_2.jpg
当たり前だが、日の出の予告時間通りである。

気分や感覚では、日の出時間はかわらない。
自然の厳たるところか?!
そして、
それまですっかり冷え込んでいた空気が、
太陽の光を浴びて、一気に上昇してくるのが分かる。
太陽の力、パワー、、、全ての人間が太陽を神とあがめるのが分かる気持ちだ。

山の中で、万が一、夜を明かしたとしたら、、、
凍えて死にそうな位に冷え込んでいても、
この太陽を浴びたら、復活する!そんなパワーを秘めている。
自然の厳たるところか?!!

前述の日のでは、
やはり、千葉の房総半島の上から登っていった。
房総半島に渡れば、本物の水平線からの日の出を見ることができるのだろう。
いつか、見に行くだろうか?
(なんとなく、見に行かない気がする)

そしてまた、
元旦でもなんでもない日に、朝日を見に行く。
そんな、通な人は、何なんだろうな?と
自分がもどかしく思うのだが、
私のほかにも、堤防から朝日の写真を撮っている人が何人もいた。
・・・
もどかしいな?!
・・・
何が?
わからないけど。

明日は、三浦半島の西側に、伊豆半島に沈む夕日でも見てこようかな?
あ、
暗くなってからの自転車乗りは危険です。
やっぱり、やめておこう。
安全第一です。

今日で仕事納めなので、
明日から年末年始休業です。
自転車に乗るんだろうなと。。。
231227_3.jpg
もう少し上った太陽。
高度があがると、海面反射する。。当たり前だけど。
厳たる自然ですな?!!

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朝ランニング [近況]

朝、ランニングをするが、
毎日、ランニングするわけではない。
「やらなくて(走らなくて)いい日」を設定すると、
朝起きた時の気分で「やらない(走らない)」選択が高くなってしまう。
特に、朝早く起きると、寒かったり眠かったりするので、ついつい「やらない」を選択してしまう。

去年、気が付いたら、途中で走らなくなってしまい、
「よし走るぞ!」と決めて走りが再開するまで、
大きなブランクが発生していた。

「よし走るぞ!」という意気込みだけでは、
たぶん、走らない。
具体の目標を決めると、人間は頑張る。

「1年で100日、1000km走る」
というのを目標にした。
大きな目標を立てるのは重要だ。

明石家さんまも「夢や目標は大きいものの方が、覚えやすいし、忘れないから良い」と言っていたそうだ。
(微妙に違うかもしれない)

ただ、あまりに大きすぎる目標は、どうしたらいいか分からない。
小人なので、
もっと小さなマイルストーンが必要である。
目標をブレークダウンする。
具体的には、
「週2日は、必ずランニングする。」
というのを作ってみた。

とすると、非常に現実的な目標となる。
今私は、リモートワークがデフォルトになるが、
週に1−2日は出社することがあるとすると、
家にいる日は、基本的に、早朝に走らないと目標達成しない。
(休日は、自転車に乗るので、平日しか走れないという前提で)

それまでは、土日に自転車の乗ると、月曜日の朝は、体が疲れているので、ゆっくり寝ている日になったのだが、
月曜日も走らないといけなくなった。
無理やり走ると、さすがに疲れるので、日曜日の夜は、早く寝るようになった。
(早ければ9時に寝る。遅くても10時に寝る)
とすると、
それまでに、自転車乗りが終わって、そのあとの仕事もやって、翌週の仕事のスケジュール整理も行う必要がある。
とすると、日曜日の自転車乗りは、午後からゆっくり走るわけにはいかず、
なるべく朝早くから走り始める。
となると、土曜日も、早く寝る。
必然的に、土曜日も早くから走り始める。
のでやっぱり、金曜日も早く寝る。

という、一連の動作になってしまうのである。。。
こう考えると、余裕をもって、のんびりしている時間が無く、
毎日がせわしくなる。
自分が大変になると、
一日中ノホホンとしている次女とかと比べてしまうと(比べちゃいけないのだが)
次女は大丈夫なのか?
と、心底心配になる。

ああ、ここで、カリカリしてはいけない。
彼女の人生は、彼女のものだ。
私の人生のみ、私が生きていけばいい。


そういえば、、
自転車で走るとき、、、コンビニで休憩してお昼を食べるのだが、
昨日の日曜日の自転車休憩、お腹が空いた勢いで、
おにぎり2つ+パン2つ+ホットコーヒーを買った。
が、
多かった。。。
走りながら、胃もたれして、吐きそうだった。

消費したカロリーから算出すると、それだけ消費しても大丈夫なのだが、
一度に消費するカロリーというか、胃の処理時間・処理量で考えると、
オーバスペックだったのである。

こう考えると、、、
食べる量・消費する時間で、走れる距離や時間が決まってきそうだ。
もっとも、こまめに休憩するとか、少しずつ食べるとか、そういう方法はあるかもしれない。

そして、食べられなくなったり、眠れなくなったら、
いよいよ、自転車を降りる時期・リタイアする時期なのかもしれない。

自転車を降りる。。。
体力だけではなくて、安全面の考慮も必要だろう。
年老いてくると、自ずとスピードが落ちるが、
転倒や接触リスクを考えると、
このまま自転車に乗り続けると、命の危険にさらされるのも事実。
そっちで寿命が来るかもしれないな。。。

やめよう。
何の話だっけ?
そうだ、
元を辿れば、早朝ランニングの話だ。


今年の冬至は12月22日だった。
一番、日が短い日だ。
たまたまブログで「日が短いな」と書いたのはあっていた。(たまたまだ)

そして、日の出が一番遅いのは、
冬至よりも一週間程度遅いらしい1月2日~7日らしい。
(軸が傾いているかららしい)
今朝のランニング開始時間は、
日の出よりも前だったが、
ちょうど海辺を走る時間に、日の出が見られるはずの、
海辺から見る千葉の大地は曇っていて
日の出を見られたのは、雲の上からの、ランニング終盤だった。
231225_2.JPG
(あ、今日の写真じゃないです)
神奈川県からは、海の水平線から太陽が昇らず、
千葉県の地平線から太陽が昇る。

いや、どっちにしても美しいのだけどね。

この時間、実は、海の公園には、沢山の人が散歩をしている。
みんな寒いと泣いているわけではない。
偉いなーと思う。


さてさて、2023年は、
ランニング残り2日。
自転車乗り残り3日。
あと、一週間後、達成感で、私は満足しているだろうか?
頑張ったな俺!って言っているだろうか?

それとも・・・
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あと一週間ほどですね。 [近況]

は、、、はやい、もう、クリスマス・年末年始の季節になった。
仕事も、一段落して、トラブルも無い。
このまま、何も大きな課題を抱えずに年末年始を迎えられるなんて、
なんて幸せな事だろうか?
そして、、、本当に大丈夫だろうか?
何か忘れていないだろうか?と、不安な気持ちにもなる。

来年こそは、、いや、来年からは、
自転車で週末つぶしてしまう事はやめようと思う。
家の掃除をしたり、勉強したり、
文化的な事を少ししようと思う。

が、
今日は、8時半に起きて、シャッターを開けると、
太陽が眩しく差し込み、風も吹いていない。
いつものように、
三浦半島に自転車で走りに行く。

冬になると、ちょっとだけチャリダーは減る。
ところがだ、筋金入りのチャリダーは残るので、
平均スピードがちょっと上がる。
私のスピードは上がらないので、
ドンドン抜かれるだけなのである。


今日の風は、ほぼ無風だったので、
どこを走っても楽しく走れた。
もっと早く起きていれば、フェリーに乗って房総半島に渡れて、
さらに広がる大自然と綺麗な海を見られたと思うのだが、
お寝坊してしまったのでしかたない。
それでも美しき、潤しい、三浦半島をゆっくりと走っていく。


会社で歩いているときに、
気がつくと、背中が丸まっていて、セコセコ歩いていることが多い。
これでは、威厳も風格も無いなと、
シャキンと背筋を伸ばして、肩で風を切って歩くようにするが、
はたから見たら、どう見えるだろうか?

自転車に乗っているときも、
「優雅に走りたい」
「楽しそうに、楽しんでいるように走りたい」
と、思うのだが、
どうなんだろうか?傍目に見たら、オジイサンが苦しみながら走っているのだろうか?

と、
気になったが、
ぐるりと思想を巡らせて、
やっぱり、自分が楽しんで走っていればいいじゃないか。
と、思いなおして、走り続ける。

今日は視界も良好だったので、年間40回も走るコースなのに、
いつもと違った景色、遠景が見られて驚く。
いつでも、いつまでも、三浦半島の自転車ランは楽しいものだ。

145km走り、家に着いたら16時だった。
自転車のスピードメータは6時間走っていた。
9時半に家に出たから、信号で止まったり、コンビニ休憩していた時間トータルで30分だ。
これは、
信号が少ない三浦半島ならではだなと改めて実感・感謝する。

16時に日は、もう夕焼けになる。
夏だと19時まで明るいのに、、、不思議なモノだ。

家に帰ると、次女が寝ていた。
・・・
大学やめちゃって、やることは無いのだけど、彼女の人生はこれでいいのか?
人生で一番楽しい20歳じゃないだろうか?
なんだか、とても可哀想でならない。
せめて金銭面は不自由にならないようにサポートしているのだが、
逆に、これがいけないのかもしれないなと。

自分が大学生の時には、お金が無かった。
お金が無かったけど、それなりに充実した生活をしていたと思う。
幸せか・不幸せかは、お金じゃないんだろなと思う。
ただ、
自分が小さい時、お金が無い家に生まれたことを、
ずっとずっと苦しんで・呪っていた。
が、
やはり、それは、
途中から頭でわかっていたけど、
いろんな本にも書いてあったけど、
お金じゃなくて、自分自身の考え方、生き方なんだと、
思うようになるのは、50年以上時間経過が必要なんだと思うんだよね。

長女は、
いまだに口を言いてくれないし、
近くにいると、未だに「ちぃっっっ」と舌打ちする。
いずれ、分かる日が来るだろう。


次女は、、
ついつい、手を差し伸べてしまうのだが、
自律してほしいなと。

無理やり頼み込んで外出に誘うと、
打率2割ぐらいで来てくれるのだが、
これは、彼女が引きこもりにならないため、、、
のつもりだが、
私が次女とデートをしたいだけではないか?と思うのである。
231223_1.jpg
私が子離れしなくては。
・・・
そしたら、何をするのだろう?
・・・
やっぱり、自転車に乗るのだろうか?
・・・
なんだよ!
231223_2.jpg
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欲望のままに・・・ [近況]

年を取ると、そんなに欲しいモノが多いわけではない。
のだが、
だんだんと、
あ、これあったら良いな。とか。
あ、これ便利だよな。とか。
これ買っちゃおうかなぁ?とか。
いろいろ思うことがある。

モノは多い。
学生の頃と違って、ちょっと背を伸ばせば・・・
背を伸ばさなくても、買えてしまう。
もう、50過ぎのオッサンだから、財力もある。
あ、
財力と言っても、たかが知れている。
たかが知れているが、100円でも目の色を変えていた学生の頃とは違う。

欲しいモノ。
沢山ある。

こたつ。

今から十数年前、結婚した時からこたつが無かった。
いや、
社会人になってから、こたつが無かった。
部屋が狭かったからというのもあり、
奥さんがこたつが嫌いだったということもある。

が、
この寒い冬を乗り越える時に、
床暖やエアコンだけでは心もとない。
こたつが必要だ。
いや、
長野県人として、こたつは必須だ。
こたつに当たり、ミカンを食べながら、紅白歌合戦を見る。
これは、定番じゃないだろうか?

ということで、
こたつを買った。

奥さんが家にいないので、戻ってきたときに何を言われるかわからないが、
(戻ってこないかもしれないし、何も言わないかもしれない)
とりあえず、次女の運転で、ニトリに行き、
次女がチョイスするこたつの布団、カバー、敷物を選び
こたつをセットした。
231217_1.jpg
全て、次女のせいにするとか、次女を巻き込めば矛先が変わるとか、
そういう事は思っていない。
(なるほど、そういう手もあったな)
私は、あったかいこたつがあればいい、価値観はそれだけで、
インテリアの感覚は、次女に任せたい。
そんな気持ちである。

さて、
その他にも、衝動買いとなるモノが。
TVを買った。
家に、今テレビは3台もある。
リビングのテレビ、妻の部屋のテレビ、私の書斎。
さらに、1台?
私の書斎のTVは、Windows7のPC兼用なので、良く固まり、録画されていない。
さらに、
ノートPCで在宅勤務をしているが、
小さいパソコンで画面を見るのがつらくなってきた。
テレビ兼・ディスプレイを買った。
・・・
買った翌日、会社の部下が
「テレビディスプレイは、輝度が強くて、そして荒いです。
専用のディスプレイの方がいいです。私のあげますよ」
と、送ってくれたものが、届いてしまった。

ディスプレイが1台と、テレビが1台増えてしまった。

もう、物欲さまさまである。

とりあえず、テレビは次女が引き取ってくれるらしいが、
ちょっと大きいので、妻の部屋のモノと交換したい。
ところが、妻の部屋に置いてあったテレビ台は、
新しいテレビが乗らない(小さい)
テレビ台を準備しなくてはならない。

いろいろと、モノが増えれば増えるほど、
必要になるものが増えていく。
不思議なものだ。

そうそう、テレビを買ったら、
録画用のHDDも必要になる。
HDMIケーブルや、同軸ケーブルなども必要になる。
モノを買えば買うほど、
やはり、いろいろなものも必要になるのだ。


そう言えば、断捨離するとか言っていなかっただろうか?
いや、
たしかに言っていた。
言っていた事が、全く真逆で矛盾している。

私の言動は全て矛盾だらけである。
困ったことだ。
困ったことだ。。。


今週末、晴れた。
晴れたから、自転車に乗るべきだが、
こたつを買いに行ったり、次女をドライブに誘ったら一緒に行ってくれたので、
さほど自転車で走っていない。

今年いっぱいは、自転車で、思いっきり走る。
もう、次女の事はほっといて生きていく。
と言っていたのに、
矛盾だらけである。

ただ、次女と一緒に、コーヒーを飲みに行くのは、
楽しいことだけどね。
231217_2.jpg
カロリーいっぱいです。

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老害な私の不満爆発? [近況]

12月というのに、驚異的に暖かかった。
こんな日は、自転車乗りが楽しい。
さらに、
この土日は、ほとんど無風だった。
海の中にいるサーファーには申し訳なかったが、
思う存分、自転車で走ることを楽しめた週末だった。

先週、ちょっと思うことがあったので記す。
2日連続で飲み会があった。
1日目は、100人超のグループの飲み会。
組織の単位よりは1つ下がった、特定のセクションのグループだ。
ところが、このグループは、ほとんど業務関連が無い。
ゆえに、ほとんど知らない人ばかりで、はじめまして・・と、お話をして数時間が経過した。
2日目は、12月いっぱいで職場を去る人の送別会だった。
なんと、ライバル会社に就職するのだ。
・・・
こんなことってあるのだろうか?あっていいのだろうか?
まぁ、法律で禁止されている事項でもないし、
彼の給料はかなり上がるらしいから、仕方ない。
新天地でも、頑張ってほしい。

で、そのライバル会社に行く彼の事も、十分に話題になるのだが、
2日目の飲み会で、部下から
「昨日の飲み会、何でタダじゃないのですか?」
という、質問があった。
・・・
???
飲み会を、会社に出してもらうのか?
今どき?
そんなことがコンプライアンスなどで許されると思っているのだろうか?
・・・
補足すると、その発言者は、2つの部署を兼務している。
もう一つの部署では、年1回だけは、親睦を深めるためにタダの飲み会がある。
タダ、、、参加費無料ということだ。
ただし、そんながっつりしたものじゃなくて、会社の1フロアを借りて立食+軽食だ。
そんなモノでも、彼はうれしいらしい。
たしかに、リモートワークになったので、
めったに出社が無いし、人間関係もかなり希薄になっている。
会社が積極的にコミュニケーション支援として、年1回の飲み会支援はあり得るかもしれない。
ただ、
それが当たり前!で、なんでそうならないのか?ということが、
文化というか価値観として恐ろしい。

たぶん、これは、飲み会に限らない。

仕事で使うマウス・・・
コードレスにしたい!は、何となくわかるし、許容できる。
多機能マウスにすると、もっと効率が上がると言って、マウスを買う。
私は、自腹で1000円のマウスを使っているが、
あまり困らないし、彼よりもよっぽど仕事をしていると思う。

マウスだけではない。
キーボードも、いろいろな付加機能があったり、
タッチが違う高級キーボードを欲しがる。

ディスプレイも・・・
会社にディスプレイを置いているのは分かる。
が、
自宅で使うディスプレイも、会社支給でしょ?
そのディスプレイも、4Kディスプレイやら
マルチ画面やら、縦置き何チャラやら、
いろいろな要求がはじまってくる。。

これ、
どう思うのだろうか?
けち臭いだろうか?
いや、業務上横領にならないだろうか?

みんなが、骨伝導ワイヤレスイヤホンマイクを使い始めた。
1つ数万するモノである。
あまりひどいので
「あまり高額ではなくて、適正な金額までにして、それ以上求める場合には自腹で買ってください」
と、周知したところ、
もう、猛反発。私の評判は最低になった。
・・・
うーん。
難しいところだ。

前述の飲み会の話、、、
戒めも込めて、次のグループミーティングで、自制を求める発言をしたい。
あんたたち、何を考えているの?
政治家のように着服すると、それなりの制裁を食らうんだよ?
戦争の引き上げ孤児を見てごらん、贅沢を言っている場合じゃないよ(昨日の読書まで飛び火する)
会社全体が、コストカット、効率化運用を求めている中、
これはだめだよ!!!
と、
大きな声で言いたい。

が、
同時に何名も敵に回すだろう。
・・・
さて、どうするか?

しかし、甘やかされて育ってきた、この会社。
こんな馬鹿みたいな話をしている場合じゃなくて、
もっともっと頑張らないといけない局面にいるのに。
なやましい。
おれ、もう、オジイサンだからな。老害だよな。
231210_2.jpg
富士山山頂の雪が解けているように見える。。
暖かかったからか?
231210_1.jpg
サイクルメータが、87654kmを差し、スピードが32.2km/h
おしい!あと、0.1km/h

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流れる星は生きている [近況]

今は、とても幸せな時代だ。
コロナや円安、高齢化、経済不安、、、
いろいろな不安要素や先行の暗くなるような話はいっぱいあるが、
長い日本の歴史的に見ても、こんなに平和で、経済的にも恵まれている時代は珍しい。
この時代に生れ落ち、生きていくことに感謝したい。

という発想は、
昔からあるのだが、なかなか、日常的に自覚することが少なくなった気がする。
罰当たりものである。

今、世界では、ウクライナやパレスチナが戦争の最中にある。
だれが、どうして戦争をしているのか?
どうして戦争をしなくてはならないのか?
私にはよく分からないが、
結果として、人が亡くなったり、悲劇にあったりしている。
No Warを掲げるのは、そんなに経験や知識が無くても分かるのだとおもう。
どうして、歴史を学び、情報を集め、知恵を深める人間が、
愚かな戦争をするのだろうか。

タイトルの「流れる星は生きている」というのは、
藤原ていさんが書いた、戦争終了時、満州国から引き揚げ時の話である。

ある日突然、自分の住んでいた家が、敵地に変わる。
幸せだった日々が、モノに囲まれ、家族と幸せな時を刻んでいた家から
ほとんど何も持たずに出て行かなくてはならなくなったら、
どう思うだろうか?

私はきっと、最後まで、動くこと・・・逃げる事が出来ず、
闇に葬り去られる(つまり、殺されてしまう)と思うのである。

藤原ていさんの著書は、ほぼ実体験を書いた本である(らしい)
そして、そこに書かれていることをを読むと、
言語を絶する…という言葉が当てはまるほど、衝撃的である。

電車に揺られて数時間、我慢すればいい話ではない。
終戦の日から、1年以上かけて、満州国と朝鮮を逃げてきた話である。
しかも、藤原ていさんは、、、夫とはぐれ、
3人の子供を抱えて帰ってきた人だ。
途中で、動けなくなったり病気になってなくなった人も多くいる中、
気丈に周りと戦い、そして、調和し、そして生き抜いてきた・・
そんな話なのである。

自分が、同じように、出来るだろうか?
恥を忍んで朝鮮の人の家の戸をたたいたり、
お願いしたり、
子供を助けるために、罵倒されながら、苦しみながら、
寒さで凍えながら、不衛生な環境に身を沈めながら、
生きられるだろうか?

本を読むのがツライ・・・つらかった。
出社ー帰宅の2往復を、ほぼ立ちながら読んでいた。
(途中で眠くなり、眠れるような本ではなかった)
読了したときには、終わって良かったことと、
無事に帰国出来た事に、なぜか心から感謝したものである。


藤原ていさんの本は、1949年に刊行したそうだ。
日本の終戦が1945年だから、わずか4年後の執筆である。
生々しい記憶から、筆を走らせたのだと思う。

戦争そのものの話ではないが、
戦争後の人民の苦しみを表した、記録小説であると思う。
出来れば、自分の子供達にも読んでほしいなと思う。


この、藤原ていさん。
長野生まれなので、私と一緒だ。
いやいや、そんなことじゃなくて、
藤原ていさんの旦那さん、、、満州国で生き別れた夫は、
小説家の「新田次郎さん」である。

新田次郎さんは、今でいう気象庁に勤めながら、
戦前から戦後を生き、歴史小説も書き続けた人だ。
私は歴史小説や、登山小説を良く読むので、新田次郎さんの本は沢山読んでいる。
「強力伝」で直木賞を取った作家。「武田信玄」や「剣岳 点の記」を書いている。
「八甲田山死の彷徨」や「聖職の碑」は、忘れたくても忘れることが出来ない作品である。
(なんでこう、辛い本ばかり書くのだろう・・・)
(そして、そんな本を読んでしまうのだろう・・・)


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赤ちゃんの時の写真 [近況]

たまに古い友人に会うと、
外見が変わっていたりする、特に、年齢を感じさせる
つまり、老けて見える
(すまん、失礼だね。。。)
年を取ったよなーと経過時間の大きさをを感じる。
これは、
記憶と、目の前の像の差が明らかだからだ。

自分自身の場合、
人生、毎日、1日ずつ生きているので、
連続した日を過ごしている。
だから、過去と比較が難しいから、年齢を意識しないと思う。

ただ、鏡を見ることがほとんどないので、
時々、
髪をとかしていなかったり、ひげが伸びているのに驚く。
じゃない・・・
年を感じても良いと思うのだが、なかなか自覚しない。


最近、
ふとしたきっかけで、生まれた時の写真を取り出すことになった。
小さいときは、写真がそんなに普及していなかったので、
枚数は限られていて、
だいたい、体まっすぐに緊張・硬直した直立不動が多いのだが、
(写真としてはおもしろくない)
生まれてすぐの時の写真は、どこを見ているかもわからないカットなので自然で面白い。
そして、母親に抱かれて撮っている写真であるが、
その写真に写る母親は、年齢は、今の私よりも若い。
「わっかいなー」と思うのである。
当たり前なのだが、、、
母親は、常に私よりも年上のはずなので、この写真を改めてみると衝撃でもある。

母親は私が学生に時に亡くなってしまった。
デスエデュケーションというのだろうか?
「親はいつ亡くなってもおかしくないから覚悟しておけ」と小さい時から吹き込まれていたので、
ある程度は覚悟していたのだと思うのだが、やっぱり亡くなった時には悲しかった。
時は流れ、
今、二人の娘がいて、片方は口をきいてくれないから何も言えないが、
次女のほうには、そろそろ「パパいつ死んでもおかしくないし、悔いはない」と
デスエデュケーションを始めたが、
この教育方針が正しいのかどうかは分からない。

さて、
話があっちこっちに飛びまくっている。
何の話だっけ。

あ、昔の写真の話だった。
飲み会の余興で使うから、写真をくれと言われた。
いろんな人から、写真の提供があったが、
子供の時の写真は、本当に誰が誰だか分からない。
だけど、不思議な事に、分かる人にはわかるらしい。
小さな子供の写真を見て、これは誰、これは誰、面影があるとコメントしていた。
・・・
才能なのか、何なのか、
たぶん、視覚の認識能力が違うのだろう。

たしかに私は、近所の双子の識別が出来ない。
一卵性じゃなくて二卵性だという事で
差があるらしいのだが、私にはよく分からない。
ま、困ることは無いから良いか。
(いや、失礼だろう)

いや、、、そんな話じゃない。
12月。
忙しいな。
もう今日はやめておこう!

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あれ?赤ちゃんの時の写真だ、、せっかくなので載せておこう。
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老人になると病気になるものです [近況]

最近のブログは、風が強いとか、寒いとか、天気が良いとか悪いとか、
どーでもいい話ばかり書き連ねていて、
読む人には、楽しくなかったと思います。
申し訳ないです。

でも、、
と、いつものように、言い訳がオンパレードなのですが、
今日はやめておきます。


健康診断の結果が通知された。
体脂肪は8%ではなくて、8.5%だった。訂正します!

いつも通り、白血球の数が少なく、
レントゲンは所見あり→背骨が曲がっています
だったが、
今年は、バリウム検査で、胃と胃の先の曲湾部にポリープがある と記載されていた。
うーん、そういえば、
内臓のどこかが調子が悪い。
腸なのか、胃なのか、腎臓なのか、すい臓なのか、
どこかよく分からないが、調子が悪い。

そう言えば、すい臓とかは、自覚症状が出た時にはもう遅いとどこかに書いてあった。
人生、もう終活とかを考えてる…とか書いていたのに、
実際に死に直面する可能性があると考えると、
そりゃ恐ろしい。
まだまだ、この世に未練があったのだなと自覚する。

こういう心配は、過去に2回あった。
1つは、中学の時、、今から思うと滑稽ではあるが、
首にこった塊のようなモノがあり、これがガンではないか?と、
何故かテスト中に思って、絶望したことがある。

2つ目は、寝ているときに、体が痩せていることに気がつき、
骨と皮だけになっている体をさすり、
ああ、末期のガンなんだろうと思っていた。
(自転車に長時間乗るようになって、痩せただけだった)

3回目は今回だ。
ただ、3回目の正直というものもある。
健康診断の結果とも関連がある。
やばいよな。

ただ、苦しまなくて、短期間であっさり死ねたらいいなと思う。
これは、多くの老人が考える希望だろう。

あ、大学をやめてしまった次女の行方が心配だ。
ただ、
もう、心配したり、苦労したりはしないと決めた。
それぞれの人生で生きていってほしい。

豊臣秀吉が亡くなる前に、
息子の事を泣きながら大老陣に託した話は有名だが、
その気持ち、よく分かる。
自分の人生よりも、残された人たちの幸せを願う事。

そうやって歴史は積み重なっていくんだろうなと。

のんきに考えながら、今日も三浦半島を、自転車で走っていく。
そう言えば今日は、湘南マラソンというものがあり、
湘南の海岸線沿いが通行止めになった関係で、
三浦半島のチャリダーが多かった。

私を抜いて行った自転車集団がいたが、
その自転車集団をさらにスピードを上げて追い抜いて行く集団がいて、
なんか、、とても、みんながまばゆかった。
脚力がもうないので、あんなに走れない。
走れないが、
ゆっくりと自然を満喫しながら、いつまでも走りたい。
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城ケ島に行くと、富士山も綺麗だが、
伊豆大島も大きく見える。
渡ってみたいものだ。
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