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恐ろしあ [近況]

大国ロシアが、ウクライナに侵攻した。
侵攻するか?
初めてニュースを目にしたときには、驚愕した。
この文明とコミュニケーションが行き届く、現在のこの世の中で、
他の国に対して、”侵攻する”等あり得るのだろうか?

どこの文明が無い国か?
どこの言葉が通じない野蛮な国か?
それが、大国と称された、ロシアのやることか?

・・・
恐ろしあ。。。

どこかの国で戦争がはじまると、
その余波を受けるのは必然だ。
今回もトイレットペーパーが店頭から消えるかと心配するが、
日本人は、さすがにそこまではアホじゃないと信じたい。

ただ、恐怖の連鎖反応というのは存在する。
何かが足りなくなって、困った状態に陥ると、
関係ない人も、
それに巻き込まれちゃいけないとわかっている人も、
足りない何かを求めて奔走することがある。
・・・
恐ろしあ。

まだ2月なのに、この週末はかなり暖かかった。
自転車で走っていると、
時々、温度計表示を目にすることがあるのだが
(なぜ?だれが?何のために、温度を知らせてくれるのだろう・・・)
昨日は14度という表示を目にした。
今日はさらに暖かかったと思われる。

自転車に乗っていると、いろいろなチャリダー(自転車乗り)に出会う。
今日は、葉山~鎌倉~江ノ島~湘南の海岸線沿いを往復したのだが、
半袖・短パンのチャリダーがいて驚いた。
いやいや、そんなには暖かくないよ。
その恰好は夏のスタイルだよ。。。と思うのだが、
感覚もスタイルも、その人が決めることなので、余計なお世話である。
なお、
その人は体重100kgを越えると思われる白人男性である。
三浦半島にはアメリカ海軍施設がいくつかあるが、そっち方向に爆走していったので、
そっち系のタフガイなのだと思われる。

暖かくなり、自転車で走りやすいので、
今日は、前述のタフガイ含めて、チャリダーが多いだろうと思ったが、
全然走っている人はいなかった。
なぜならば、、、
風が異常に強いためである。

サーフィンが波に乗るものであるとすると、
ロードバイクは風に乗る乗り物であると信じで止まない。
(いや、たぶん、どこかに誤解があるかもしれない)

厳しい上り坂よりも、
平坦な地での逆風の方が、ツライ。
肉体的にも・精神的にも相当にツライのである。

今日も、西風が吹き荒れる中、西方向に走っていったのだが、
風に押さえつけられて、時速10kmを切るスピードで走っていた区間もある。
スマフォの記録を見ると、ちょうど、湘南大橋のあたりでは、
行きも、帰りも風が直撃した。
220227_1.jpg
西風を受けながら、西方向に向かう行きは、地獄だった。
そして、大磯で折り返し、
西風を受けながら、東方向に行く帰りは、パラダイソ!だった。

一度、風に乗ってスピードが出てしまうと、
足を止めても時速40kmで走り続ける。
(あぶない)
車は渋滞して止まっているが、歩道と車の間をビュンビュン飛ばすのである。
(いや、本当に危ないから、抑制しましょう)

時速45kmの高速走行を続け、湘南の海を走り終わるのだが、
あたり前だが、一瞬で終わってしまう。
行きは、あんなに苦労して、歯を食いしばりながら、砂埃を受けながら長時間走るが、
帰りは、風に乗ってビューンと走って、短時間で終りである。
そして、
行きも帰りも、くたくたになるのである。
(猿だな)


今日も、鎌倉高校の前を走った。
220225_2.jpg
風にあおられて、波が高かったが、やはり美しい景色が広がっていた。
鎌倉高校前の海の景色は、
”視野角が広い”から美しく見えるのではないかと思われる。
右端は江ノ島が見える。
そして、さえぎりものが無い海が広がり、
180度反対側になる、展望の端の、左端には葉山・三浦半島が見える。
絵画のような風景が、美しくかすんで見える。
海の向こうは、海岸線と青い空が広がる。
だから、綺麗なのだろうか?

きっと、鎌倉高校の前の海は、いきなり深くなっていて、
水の色も違うのだろう。
と思ったが、全然そんなことは無かった(深くなかった)
やはり、
心因的な要因もあるのだと思われる。

海は、自転車に乗っていると、
そんなにじっと見つめない。
海越しの山(富士山とか)は注目するけど、
海を眺める事自体がそんなに無いもんな。

コーヒーを飲みながら海を眺める。
そんな渋い男になりたいという、願望はある。
・・・
いや、せわしく生きる私に、ゆっくりコーヒーを飲むシーンが浮かばない。
・・・
優雅に生きたいが、現実はそんなものだ。
恐ろしあ。。。
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カルガリーオリンピック [近況]

映画やドラマを見ると、時々、涙を流してしまう時がある。
もともと、涙もろい。
そして、
今日見た、「イーグルジャンプ」という、珍しくNHKで放送された映画は、
号泣してしまった。

カルガリーオリンピック。
半世紀を生きてきた私には、割と記憶が残っている。

このオリンピックで、映画が生まれたのは2本あるらしい。
1つは、この「イーグルジャンプ」イギリス人のジャンパーの物語である。
そして、もう一つが、「クールランニング」
雪のない国のジャマイカ人がボブスレーに挑戦した話である。

冬のオリンピックは、
あたり前だが、冬のスポーツが舞台である。
そして、
その冬には、氷とか雪が必要だ。
だから、
雪の降らない国々にとっては、不利なスポーツだ。

こんな状況からすると、
参加することに意義がある。
という、オリンピックの重要性というか、スポーツマンシップというか、
開催意義に意味があるように思える。

イーグルジャンプも、クールランニングも、
トップアスリートの話ではない。
無いのだが、
楽しく参加する、喜びを分かち合う。
それが、スポーツの醍醐味だよな。
と、思わないこともない。

2022年の北京オリンピックで、
惜しくもメダルに届かなかったアスリートが沢山いる。
けど、
世界のトップ3に入らなかったとしても、
その世界の舞台に出て戦える光栄、栄冠と、
それを見られる我々は、感動なのだと思うのだ。

羽生結弦選手もしかり、小平奈緒選手もしかり、
今回はメダリストではなかったが、
胸を張って、堂々と参加し、参加後も堂々と生きている。
そんな姿が、本当のスポーツマンシップだと思うのである。


さて、
話はカルガリーに戻る。
前述のイーグルジャンプで、マッチ・ニッカネンが登場するが、
3種目で金メダルを取ったそうだ。
(あれ、前述のメダリストにこだわるな!・・・の話と矛盾するな)

ネットで調べると、
黒岩彰選手が500mで銅メダルを取ったと記載があった。
日本人のメダリストは1つだけだったようだ。
そう思うと、昔と今とでは、状況が随分と違うものである。

メダリストではなかったのだが、
フィギアの伊藤みどりさんが「flying woman」として、世界のひのき舞台に登場した大会でもある。
順位は5位だったが、ジャンプの高さ、完璧さは見る人を魅了してやまず、
私も、彼女の素晴らしさに、ただただため息をついたものであった。
恐ろしいぐらい長い助走に、とんでもない位に高いジャンプ。
未だに心に残っている。
(今の競技では、あんなに長い助走は禁止されていると、TVで放送していた)

伊藤みどりさんを引き継げるフィギアスケーターは、
紀平梨花さんだと信じて止まない。
あれ?
北京オリンピックには、いなかったな。
残念である。

そして、
今やネットの社会である。
伊藤みどりさんの3Aの動画を見ることができる。
やっぱり、すごいなーと思う。
そして、メダルが無かったとしても、観客の同意と声援を受けた演技力、
技術力はすごかったなぁと改めて思うのである。


数々の伝説や話題を生んだ、カルガリーオリンピック。
素晴らしいと思う。

今回の北京オリンピックも、いくつもドラマは生まれたと思う。
そして、
そのドラマが、伝説となって、伝えられていくのは、
もしかしたら、もう少し後になってからかもしれない。
と、
思うのは、私だけだろうか?

220225.jpg
全然話は変わるのだが、
みんなが「鎌倉高校前の海は美しい」と言う。
ドラマになったり、TVに出たりして、有名になったからそう思うだけで、
本当は、海の美しさは、どこで見ても変わらないと思っていた。

しかし、なぜかわからないが、
同じ沿岸から見た海と、どこかしか違っていて、
いつも見るたびに、ここで見る海は、確かに美しいと思う。
なぜだろう?
(という、中途半端なブログな終わり)
答えが無くてもいいじゃない。
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マイペース [近況]

人の目を気にせず、
人の評価や関心も気にせず、
自分の意思、自分の思想を持ち、
自分の歩く道をマイペースで歩く人に、すごく魅かれる。
そして、
そんな自分になりたいと思っていた。

他の人はどう思うだろう?
他の人はどうしているだろう?
自分は、他の人と比べておかしくないか?
などと、人の目を気にして生きてきたと思う。

日本人の特徴を表す例で、
沈没する船から海に飛び込むときに、
アメリカ人に対しては、「今飛び込めば英雄ですよ」といい
イタリア人に対しては、「さっき、美女が飛び込みましたよ」といい
イギリス人に対しては、「紳士はこういう時に飛び込むものです」といい、
日本人に対しては、「みなさん、もう飛び込みましたよ」というらしい。
日本人だけではなくて、国民生を良くとらえた、、、比喩だと思う。

日本人と言えば、電車の時間が正確であるらしい。
たしかに、時刻通りに電車が来なかったら、とても困るし、
そして、時間通りに来るのが当たり前だと思っている。
電車が来る時間が、いつもマイペースだと、、、困ってしまうな。

電車に乗っているとき、
多くの人は、スマートフォンを見ている。
始発車両等に並んで乗り込み、
着席すると、みんなスマフォを取り出してみている。
・・・
ちょっと、異様な光景であり、滑稽さもある。
・・・
私?
おもむろに、文庫本を取り出して読む。
最近は、電車の中で本を読む人はまれである。

もちろん、スマフォで読書をする人もいるだろう。
スマフォの中身の多くが文字情報ならば、
読書していても一緒かもしれない。

携帯電話(折り畳みの奴)から、
スマートフォンになった時に、
交通事故や人と人の衝突が増えた。
画面の中にいっぱい情報が入り、
それをみんなが食い入るように見るようになったので、
周辺に対する注意力が落ち、事故につながるのである。

そんなこと分かっているのだが、
人は、夢中になると、直ぐに周辺を忘れてしまう。
私もそうだ。
普段はめったに歩きスマフォをしないが、
歩いている途中に、重要情報が入ってくると、
どうしてもスマフォを見てしまう。
(そして、危ない目に、何度もあった)

移動中は、携帯電話・スマートフォンを見ずに、
周辺の景色や人を見ている方が良い。
そして、
やっぱり読書が良いのではないだろうか?
私は、
調子が良いと、数ページめくっているうちに、電車の中で眠れるようになった。
調子が悪いと、降りる駅まで読書をしてしまう。
電車の中で、本を読みながら寝てしまう時間は、至福な時間でもある。
マイペースですから。。。


先日、ランニングでふくらはぎを痛めてしまったため、
歩行するのにも、階段を下りるのにも、非常に苦労している。
ところが、
自転車には、普通に乗れるのである。
使う筋肉が違うのだろうと思われる。

気にしながら走っていたら、
自転車乗りは、かかとを使わない。
足の甲の裏、土踏まずから足先だけあれば自転車が漕げる。
ランニングは、
着地時に、かかとに衝撃が走る。
体を痛めつけるスポーツでもあるのかなと。

そんなこともあり、今日はゆっくりと、三浦半島を一周する。
最初から飛ばすと、終盤がつらいこともあり、
今日はマイペースで、ゆっくり、ゆっくりと走った。

ゆっくり走ったおかげで、
楽しく走ることが出来たし、少し遠回りで130km走れた。
若者がビュンビュン追い抜いていくのだが、
やはり、大切なのはマイペースだなと。

220223.JPG
元旦に撮った東京タワー

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次への歩み [近況]

北京オリンピックが終わった。
TVやネットでも沢山報じられているが、
沢山の感動、感激をもらったイベントであったと思う。

厳格な開催を行った中国にいろいろな非難や疑いの目が向けられたが、
無事に終えられたということは、
やはり、良かったのではないかと思うのである。

政治的な考えは良くわからない。
が、
こういう世界的なスポーツの祭典は、
人間の生きていく記憶に刻まれる祭典は、
大きな、大きな意味を持つと信じて止まない。


そんな人類の活動の話をすると、
手元で起きていることを考えたり、
ブログに書くのも、レベル感・トーンが違う気がするが、
自分の記録として、メモしておこう。

次女の大学受験が一通り終わった。
共通テストで申し込んだ判定もすべて出てきた。
そして、
1月に合格した、第四志望が、一番上位の合格で、
それ以上の大学の判定は、全てダメだった。

残念である。
本当に残念である。
もちろん、私以上に、次女が落ち込み、
結果が出てから3日間寝込んでしまった。

コロナではないかとも疑われたのだが、
どうやらそうでもなかった。
私も、金曜日に出社して、対外講演に出ていたのだが、
急激な寒気と、ダルさ、体温の上昇を感じて、スワ、コロナ感染か?、、、、
と、焦ったのだが、
どうやら、座って長時間話を聞いていたので、
眠くなったせいだったと思われる。
(いや、何だよ…)

最近、夢の予知が当たるのだが、
例によって、最後の判定が出る日の前日に、落ちた夢を見てしまった。
最後の判定は、英語重視とか共通テスト利用とか、いろいろな判定パターンがあるのだが、全部”真っ黒”で結果が無かったという夢だった。
そして、
合格判定は、その夢の通り、どのパターンも不合格か”補欠”で、合格が無かった。
自分が気持ち悪い。

全てが終わった次女は、第四志望に向かって準備を整える…
という、名目で、遊びに行くところであるが、
なんと、もう一度、第二志望の大学を受けるという。
私立大学の後期試験である。
・・・
一般には、ランクの高い大学を受けてきた人が落ちてくるのを拾う機会だと思われるのだが、
少子化になるこの世の中、
人員割れするよりも、学費収入がある方が良いので、
我が娘にもチャンスはあるのである。

泣いても笑っても、最後の試験である。
まだ、2週間もある。
体力・精神力的に耐えられるのか、微妙なところであるが、
3日間、泣き腫らして、
最後のチャレンジを行う決意をした我が娘。
そこは、大いに評価してあげたいところである。
頑張れ!頑張れ!頑張れー!
(ただ、部屋の中で、遊んでいるか、勉強しているかは、しらない…)


この週末、残念なことに、雨に見舞われた。
ふくらはぎが痛いので、自転車に乗りたかったが、ランニングに出たら、
やっぱり、走っている途中で痛みで走れなくなってしまった。
ちょうど、足が止まった場所が公園の横だったので、
雲梯で背筋を伸ばそうとぶら下がったら、
今度は右肩の激痛に見舞われた。
・・・
年を取るとのは嫌だなー。。
無理しない程度で動き続けるのだが、そうして運動量が減っていくのだろうか。
ちょっとさみしい。

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減らす技術 [教訓・自己啓発]

最近、自己啓発の本を読まなくなった。
それは、
自己成長のチャンスが止まってしまったからでも、
自己成長が完成したからでもない。
その情熱をいつの間にか失ってしまったからかもしれない。

部下を持たない組織に異動したときに、
そのモチベーションの大半を失った。
そして、その後、1人、2人と部下が増え始め、
上司だった人が他の部署にスライドしてしまい、
いつの間にか、50名近い人々が私の部下になっているのだが、
かといって、その人たちを育成しようとか、
そのチームを率いて成果をあげようとか、
そんな気持ちになれない自分がいる。

困ったことだ。

そんな状況であるが、
久々に市の図書館に足を運び、
手に取ったのが
「減らす技術」レオ・バボータ(ディスカバー・トゥエンティワン社)
である。
ディスカバー・トゥエンティワン社は、
たしか、日本にコーチングをもたらした、コーチA社の伊藤さんが作った会社で、
様々な自己啓発本を出版している。
だから安心というわけではないが、
「減らす」
ということに、何となく共感を覚え、本を借りてきた。

この本の主旨は
・一つの事だけに集中する
・人生をシンプルにする
・増やす事ではなく減らす事
・増やすことに対する制限を設ける事
・生きていると勝手に増えるので、減らす方が大切
・達成したい事は何か?明確にすること
・余計な事は、どんどん断る・やらない・捨てる事
・大きな目標を立てるのではなくて、小さいことから達成していくこと
・取り組みは公開・公言すること
・ポジティブに取り組むこと

が、書かれている。
本を読んでいるうちに、
確かにそうだよな。。と思う事、ひとしおである。
取り急ぎ、右手側にある引き出しの一つを開けて、
いらないもの、ずっと使わない者を捨てに走る。
・・・
意外と、捨てようと心に決めると捨てられるものである。
ただ、
思い出の品々だと、
やはり、いきなりブレーキもかかる。
難しいモノである。

減らす話の中で、
小さい目標から始める事が、少し異質かもしれない。
減らすのではなくて、増やす方だ。

でも、集中して取り組む事、目標を達成することが、
この本の隠れた本題なので、
非常に重要なキーワードなのである。

私が、会社に早く行くようになった、、のは、
朝5時台の電車にのって6時台から仕事を始めるのは、最初からではない。
北陸から戻ってきたタイミングで、満員電車を避けたいというのはあったが、
満員電車を避けて、1本ずつ早い電車に乗って出社するうちに、
始発快速に近い電車になってしまったのだ。

もっとも、
在宅勤務がメイン位なってきたので、週1回出社するかどうかだけど。

早朝ラニングも、9時半に間に合わせるだけならば、
8時に起きても良いのだが、
朝の家事等もあり、6時過ぎに起きて、日の出を見るようにしている。
だんだんと日の出の時間が早くなり、
このままだと4時台目指してしまうので、ここで止めておきたいところだ。

話がぶれたが、
減らす事は、より活動的に動かす事でもある。
過去のメール、
過去の資料もドンドンすてて、
活動量を増やしていかなくては…と、改めて思ったりする。

自己啓発だな。
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朝日じゃなくて夕日だけど。

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待っている幸せ [近況]

先日、通信販売でモノをぽちっと買った。
しばらくは、次女の受験の引き落としが膨らみ、
そして、入学金の為に、すこし倹約しなくてはいけない時期なので、
あまり通販でモノを買ったり、趣味に使うお金は無いのだが、
”期間限定割引”という文字に踊らされて、
ついつい、”いらない”靴を買ってしまったのである。

しかし、
注文してから、届くまでは、ワクワクした。
どんなものを買おうか?というのは、
実はそんなに楽しくなく、
欲しいものは高いし、
安い物では欲しいものもない。
需要と供給のバランスのポイントを探すかのように、
どれならば欲しいだろうか?どれならば買えるだろうか?というのを
悶々とするので、楽しい時間ではないのだが、
一度買ってしまうと、いくらで買ったなどは忘れてしまい、
”ああ、早く届いてほしいな”
という、希望と期待の気持ちで待つのである。

そして、
ピンポーンと、宅急便の人が頑張って急いで届けてくれるのだが、
届いてしまうと、興が覚める。
そもそも、そんなに欲しいモノでもないし
(???こらっ!)
まだ履ける靴は何足もある。
靴の裏がはがれても、靴補修用のボンド等があり
リカバリーが可能なので、
この買った靴は、いつ履くのだろうか?と、
疑問に思うのである。
(いやいや、それこそ、無駄遣いである)

そんな、小さな話ではないが、
次女の受験も同じである。
沢山の大学を受験し終わった。
あとは、
結果を待つばかりであるが、
その結果が、受験から2-3日で出るところもあれば、1週間以上かかるところもある。
不思議な事に、共通テスト利用の合否判定は1か月以上かかるのである。
(おそらく、他の試験者日程等の関連だろうね)

1つ合格しているから、心に余裕があるのだろうが、
本命大学が落ちてがっかりしたのは先日のブログに書いた通りである。
2番目、3番目の大学の合否は何なのだろう?
と、
不安や期待が入り混じるのだが、
冷静に考えると、
その結果が出ていない今が、
試験は無事に受験が終わって(試験に間に合ってうけることが出来て)
ただ、ただ、待っているだけの今は、
ある意味で幸せなのだろうと思われる。

そう、右でも左でも、
当たりでも外れでもない、
そんな中途半端な状況が、実は、一番幸せなんだろうと、
思うような時間である。
こういうのを、心理学や宗教的にはなんていうのかな?
なんか名前があるのだろうなと。
(人間は、そのステータスに名前があり、認知されると安心するらしい)


さて、話は変わる。
やっちまったことがある。
次女の受験の事だ。
???
致命的か?
ではないと思う。

1つの大学の合格が分かった日に、
同じレベルの別の大学の受験を申し込んだ。
・・・
1つ目の大学の入学金を払ったので、
その別の大学に受かったとしても、行かないと思うのだが、
(レベルが一緒だし)
何故か、申し込んでしまったのである。

そして、
次女自身からも「なんで、申し込んだの?」と言われ
「良くわからない…」と答える始末。
そして、
次女も、その試験は「じゃあ試験は受けないわ」と、
言っていたのだが、
前日に「やっぱり受けに行くね」と言ってくれた。
それが、
都内に雪が降る今日の試験だったのである。

本来ならば、コロナ禍であり、大雪予報なので、行かなくてよい。
が、
次女は試験に行ってくれた。
申し訳ないのだが、なぜかありがたい。
何のことは無い何となくの受験なのではあるし、
何年後かには忘れ去ることであるが、
次女の人生には、何か爪痕???痕跡??軌跡?を残すのだろうと思う。

親のエゴだけで受けていたら、本当に申し訳ないのだけど。。

さて、
雪に見舞われた連休の前。
この連休、自転車に乗れるのだろうか?
2月はまだ1日も自転車に乗っていない…
無理に自転車に乗るのはやめようと思うので、いいのだけど。
それでも、気にはなりますね。

220210.jpg
受験帰りの次女。
カメラを向けると通り過ぎようとする…
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失敗から逃げない [近況]

人間の忘却力は素晴らしい。
時には忘れてしまって、困ることもあるが、
忘却力があるから、つらいこと・苦しいことを忘れて、
生きていけると思う時もある。

つらいことが起きた時、
それを忘れてしまうのが、一番、楽な方法で、
別の事に集中するとか、
気持ちをそらすのが一番楽である。

今日は、次女の6回目の受験があった。
前のブログに書いたように、本当はさらに4回分の受験を申し込んでいたのだが
一応は、今日で一通りの大学を受けたことになる。
次女さん、お疲れ様でした。
あとは3月にもう一回受けるかどうかは、、、今日受けた大学の結果次第だ。


そして、本命大学の試験の結果が、今日の午後に発表された。
実力よりも相当に高い大学だから、
落ちてもともとで、こんなことを気にしていてはいけないのだが、
本人曰く「試験の出来は良かった」
という事なので、期待をしてしまう。
・・・
そして、結果としては、不合格であった。

これまでの試験や成績から、分かっていた事ではあるが、
あわよくば…
もしかしたら…
と、父娘共に夢を見てしまったこともあり、
二人して落ち込んだ。
(妻と長女の様子は知らない)

分かっているが、
やはり、不合格はつらいことである。
次女は気丈に「そんなに落ち込んでいない。大丈夫」というが、
部屋に籠ってしまったので、やはり、落ち込むのだろうなと思う。

6年前の悲劇を思い浮かべるが、
幸いにも1大学受かっていたことがせめてもの救いだ。


と、
落ち込む状態だったので、
TVを見る気も、漫画を読む気も起きず、
図書館から借りてきた本をパラパラ読んでいた。
その本は、「失敗の本質」という、割と堅めの本であり、
歴史の失敗を分析して、ビジネスへの適用・教訓を説いている。

それを読んでいると、
「失敗に目をそむけてはいけない」
と、言う考えに至った。

次女にはつらい話ではあるが、
やはり、原因と結果がある。
勉強に集中しなかったし、鋭意工夫が無かったので当然の結果だ。
そして、
悲しいかな、現実として、自分の実力・能力はここにいる。
という現実を直視する事が大切なのだ。

もっと大切なのは、
そこでフテ腐れるのではなくて、
次にどういう行動をしたら、どうなるか?
ということを考え、自分の力に合わせて生きていくことだろう。
・・・
なんて、事を、
次女に言っても分からないなと。

同じことを伝えるとしても、
伝え方で拒否されたり、真逆な行動を取られたり、
何も益をなさないばかりか、逆効果もあり得る。

それだから人生は難しく、
難解で・複雑で…
そして面白いのだと思うのだけど。

失敗したことは、一つの人生の経験だ。
そこから逃げず、
そこから何を感じ、何を考え、
そして、どう行動するかで、人生の厚みが変わっていく。
と、思う。


さて、
話は変わって、石原慎太郎さんが亡くなられました。
政治家であり、作家であり、エネルギッシュに人生を生きていった人だと思います。
特に、かかわりがあったわけではないし、本も一冊も読んだことが無いけど、
220206.JPG
良く通る逗子の海岸に石碑があります。
江ノ島と富士山が見える、観光地ですな。
ご冥福をお祈りします。
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苦しみも楽しみ? [近況]

次女を箱入り娘かのように、丁寧に育てている…
という、訳でもない。
が、
今回の大学受験は、できることは全力サポートである
出来れば、勉強の指導もしたいが、
それは小学生の時に断られてから、一切実施できていない。

ので、
やれたことは、大学受験の申込みと、
お菓子をいっぱい買ってくることぐらいである。

あと、
大学までの送り迎え。
・・・
送り迎え?
そう、いつ、どこの大学に、どう行くのかを、完全サポートなのである。
近い大学は、車で送ってあげる
(甘やかしている)
遠い大学は、電車に一緒に乗って送り届ける。
(箱入りだ・・・)
幸いにも、共通テストも含めて、土日ばかりだったが、
今週の水曜日は、平日で、しかも都内での受験だった。

今回受験する大学は、先日合格した大学から、偏差値で10違う。
偏差値で10?
いやいや、無理でしょ。
記念受験だよなと思うのだが、
本人は大まじめだ。
学校推薦で入る人が多い中、一般受験を選んだのはこの大学を受けたかったからだそうだ。
結果は、発表を待たなくても分かるようなモノである。

何よりも1つ受かっている心の余裕が、
まあいいか
と、思わせてくれるのである。

受験の集合時間がちゃんと調べたら9:10だった。
最寄駅に6:40について、始発増結を待って座って35分電車に乗り、
その後2本の電車を乗り継いでいくのである。
今回も、親の私が緊張して、あまり眠れなかったが、
結果的に、予定通り電車に乗れて、無事に送り届けられた。
良かったよかった。

次女が試験をしている間は、会社に行って仕事をして、
試験が終わる前に、仕事を切り上げて、校門で次女が終わるのを待つ。
カメラを構えて待っていたが、
違う門から出てきた次女は、後ろからやってきて、私の背中をポンポンと叩いたので、
写真を摂ることが出来ず残念だった。

スタバで次女とお茶をしてから家に帰る。
次女としては、本命大学を無事に受験出来て満足した。
そして、私としても、来春には大学生になれる事に満足した、
そんな良い雰囲気でお茶が出来て良かった。

お茶をして、息抜きをしたものの、
家に帰ったら、二人とも疲労困憊だった。
パパは夜9時には布団に入って寝てしまう。
前夜、あまり眠れなかったこともあり、
10時間近い睡眠で体力回復できてよかった。


翌朝、早朝ランニングをしたが、
雲の中から象徴的な太陽が見られる。
いいなぁ、、、と、写真を摂ると、、、
220203_1.jpg
高性能なカメラが、明るくはっきりと映っている。
肉眼で見える太陽は、
220203_2.jpg
こんな感じなのだが。
便利なのか、不便なのか。

ランニングをして気分爽快だが、
仕事はトラブル続きだった。
自分は良いことが無いのだが、それでも良いと思うのである。


最近、聴いている中島さんの歌で、
先日買った「相聞」のアルバムの中に、
「希い(ねがい)」というものがある。
私(自分)の願いや未来と引き換えに、
想いを寄せる「あの人の希い」をかなえて欲しい!という歌である。

今の私は、「自分の事よりも次女の事」なので、
その気持ちはよくわかるのである。
なので、
自分がどんなにアンラッキーでも、当然の報い(?)であると思う。
もっと、もっと、アンラッキーよ、私に来い!と思うのである。

あ、
鬼は外?
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