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晴れの日年休 [近況]

去年の2月1日。
生まれて初めて交通事故に遭い、入院した。
車にぶつかって、転んだだけであるので、
骨折とかひどい重傷では無かったのだが、
顔面から着地したせいで、脳内出血があり、2泊入院したのである。

それから1年。
自転車活動の自粛期間もあったが、
反動のように、長い距離を走らせてきた。
一月で1000km以上走ったこともある。

ただし、交通安全に注意して、ゆっくりと、ゆっくりと走るのである。

交通事故が、自分にとって、プラスになったのか、
マイナスになったのか、歴史にifが無いように、私にも分からない。
ただ、
交通安全にとても注意するようになったことと、
いつ終わるともない人生を見直す機会になったこと、
仕事への専念も一歩引いて、仲間に任せる事が出来るようになった
という事をとらまえると、
あの経験はとても重要で、
私の人生の中で大きな意味を持っていたと思うのである。

人の事ならば、不謹慎だと思うのだが、
自分のことなので、好き勝手言わせていただいた。
ただ、
加害者の人には申し訳ない。
あの人が救急車を呼んでくれなかったら、路肩に倒れたままだった。
そのまま再び自転車に乗って走って帰っていただろうことを考えると、
事故後の対応は、感謝しかない。


週末、そんなありがたさを噛み締めるように、、
といったら、ウソになる。
すっかり忘れて、自転車で走りに行った。

天気がとても良かった。
その前の週は、ずっと雨だったから、
冬の太平洋側らしい、雲一つない快晴は、心をとてもウキウキさせる。
自転車で走らずにはいられなかった。


ふと思うのだが、
在宅勤務が生活の当たり前になってきている。
昔では考えられない、、、
生活のスタイルが変わった。
という事だと思うが、
実は、私が新入社員の時、当時の上司(部長)が、
「在宅勤務・テレワークを考えて見ないか?」
と、提案してくれていた。
日頃から、突拍子もない楽しい事ばかり云う部長だったから、
「はいはい」
と、いなして終わっていたが、
今や当たり前の生活スタイルになった。
その部長の慧眼、おそるべし!である。

その部長は、研究開発にいる時には、
昼休みに、裏山に分け入って、山菜取りをしていたという経歴(?)の持ち主である。
ある支店の支店長も歴任し、部下を自分のマンションに呼んで、手製の料理を食べさせたとか、
タンスを作ったとか、いろいろと楽しい人だ。

ふと、
「晴れの日年休」
というイメージを思いついた。

社員が休むのは、原則として土日である。
(土曜日が休みじゃない人には、申し訳ない。土日が休みじゃない人も申し訳ない)
しかし先週のように、土日が雨の場合には、
外で活動する事が出来ない。
その反面、
平日に、めちゃめちゃいい天気で晴れていても、
外の天気とは裏腹に、家の中や会社の中で仕事をしていなくてはいけない。
やはり、めちゃめちゃいい天気の日は、
仕事を休んで、それぞれに遊ぶべきではないか?
つまり、
「晴れの日-年休制度」
を、取り入れるべきではないか!?

と、能天気にも思うのである。
晴れだけに。

私の会社は、1年で20日の年休が付与される。
さらに、5年に5日の年休も与えられる。
そして、盆暮れ正月にも長ーい休みの日をくれる。
仕事せずに、休んでばかり・・・と思うのだが、
私は、ほとんど、その年休を消化できない。
(捨てている)

だからこそ、晴れた日は、打ち合わせや会議をやめて、
「遊びに行こうー!」
という、「晴れの日年休」が欲しいのである。


さて、1週間に土日しか自転車に乗れない私。
先週雨だったので、2週間ぶりの自転車乗り。
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景色はとても綺麗だった。
自転車乗りは楽しかった。

ただ、70kmを越えるとお腹が空いてくる。
どこかのネット記事に「空腹の時間が健康を作る」と書いてあったので、
我慢して、そのまま走り続ける。
100kmを越えると、だんだんと苦しくなってくる。
110kmを越えると、体が動かなくなってくる。
120kmになると、意識が朦朧としてくる。

幸いな事に、土曜日は120kmで走り終わり、家に着いた。
下半身しか動かさないので、上半身がゴワゴワな状態になる。
また、足もペダルを回す運動しかしていないので、
それ以外の動き、歩くこともままならない。
体全体が疲れ切っていて、思うように動けず、
まるで、”生まれたての仔牛”のような状態になる。

そのまま食べ物も食べないと、もしかしたら健康なのかもしれないが、
目につく食材を次から次に胃袋に放り込み、
その次は、お腹が痛くなるのである。

不健康だな。

やはり、あまり期間を開けず、定期的な運動が必要で、
”晴れの日年休”
が良いのじゃないかと思うのである。
強引だけど。
 

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定常状態 [近況]

人間は、安定した状態を好むと言われる。
・・・
何を言うのだ、当たり前だろう!と、自分でも思う。

よく”人間は変化を嫌う”という言葉をいう。
常に変わり続けないと、新しい環境に順応しないという意味で、
奮い立たせるために、言う言葉だ。

脱皮しない蛇は死ぬ
とか
生物は環境に応じて進化し続ける
とか、
いろいろ言うが、
言えば言う程に、

安定

というモノを望むのだと思うのである。

安定した生活。
これは、良い事だと思う。
何にも疑問に思わないし、むしろ憧れる。
安定した会社生活。
いつも通り、会社に行って、いつも通り帰って来る。
その、”いつも”になる事が幸せな事だという。
それもその通りだと思う。

ただ、会社員として、同じことをしていたら、
やっぱりだめなんだろうと思う。
勤務体系のことじゃなくて、
変わっていくビジネスをとらえて、新しい何かを生み続ける。
とても、とても、しんどいけど、安住状態など無いのだと思う。


一方で、
心を落ち着けるために、いつもと同じものをやり続けたいという気持ちもある。
コーヒーを飲みながら、いつも変わらぬ景色を見る。
飽きるだろうが、それが楽しみという事もある。


先日、「天気の子」という映画を(TVで)見た。
「君の名は」で知られる新海誠監督のヒット作品の一つだ。
ただ、「天気の子」は「君の名は」には届かなかったようだ。

新海誠監督は、私の高校の後輩にあたるらしい。
しかも、学年が一つ下のようだ。
どこかで会っていてもおかしくないが、沢山いた高校生の一人にしか過ぎない。
つまり、赤の他人である。

それはともかく、天気の子が、微妙な雰囲気なのは、
高校生が拳銃をぶっ放すという文化・作品が、今の時代にそぐわないし、
子供だけで生活するという不安定な状態も何となく、そわそわする。

それよりも、洪水が収まらないという、不安な状態で終わっているから
落ち着かない作風に見えるのだろうか?
と思うのだ。

映画は、だいたい、ある状態からスタートして、
激動の状態になって、最後は、落ち着いた定常状態になって、終了する。
つまり、不安定な状態で終わってしまうと、
「おいおい、ちょっと待て!話の途中じゃないか」
という、見ている人が不安な気持ちになるのではないかと思うのだ。

起承転結は、人間の心にマッチする。
起で、定常状態から活性化状態になり、
いろいろと、承や転で変わっていくが、
結で、定常状態に戻る。
それが、ストーリーだと教えられてきた。

天気の子は、映画のエンドでも、定常状態ではない。
それが、新しい世界なのだという事で終わっていく。
ある意味で、斬新であるが、
そのことが、落ち着かない気分の人もいるのだろうと思われる。


コロナの、今の状態も、
いつかは”落ち着く”と信じていた。
おそらく誰も。
もしかしたら、ワクチンが効果が出たり、治療薬が出る可能性もあるが、
”この病気が蔓延する状態が、何年も続く事”もあり得るのだと思う。

もちろん、人は、落ち着かない。
定常状態を好むから。
早く安定したいと思うだろう。

が、
そんな落ち着かない状態が、
新しい常識、いわゆる”ニューノーマル”になり、
新しい世界を作り出すのかもしれない。
と、
「天気の子」を見ながら思ったのである。
深いな、新海誠監督。これを予言していたらすごいな。


在宅勤務がニューノーマルの定常状態になるかもしれない。
コロナが去っても、在宅勤務制度は続くだろう。
もちろん、時々出社はするけど。
人の接し方や、仕事のやり方は変わるだろうなと。


さて、在宅勤務の運動不足。
早朝ランニングを初めて、4回目のランニングに出かけた。
1日おきに走りに行く事にしていて、
出社する日にはいけないので、2週間で4回しか走っていない。
でも、朝走ると、1日がとても気持ち良い。

寒いけど。
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”べき”が悪者?! [近況]

たまには、書きたいことを書こう?と思う。
(いや、普段から、書きたい事は書いている…はずだが?!)

自己啓発系の本は、一通り読んだが、
これ!というモノは、意外と少なかった。
想いを伝えたい筆者の方と、
学びたい!と思う読者の人のニーズだけじゃなくて、
環境や背景やいろいろなモノの共通項が無いと、なかなかストライクゾーンに入らないと思うのである。

そんな中、
”アンガーマネージメント”という本は、
目からうろこだったし、効果がとてもある実用的な本だった。
安藤さんという方が、どうして怒るのか。ということと、
怒らないための対策を分かりやすく書いてくれた本である。
ネットにもある。
https://www.angermanagement.co.jp/
先日、ふとTVをつけたら、テレビの特集でもやっていた。

内容を書いてしまうと、いろいろなモノに抵触するのだろうから、
前述のHPを見ていただくとして、
一言だけ抜き出すと、(ぬきだすのかよ!)
怒る人がもつ、”こうあるべき”という、固定観念が怒りの素だという事を解説していた。
・・・
確かに、私は、自分の思想の中で、
”こうあるべき”、”こうでなくてはならない”という
イメージがある。
個性であり、特徴でもあると思う。
それを、自分だけではなくて、家族に対しても当てはめるのから、
家族に対する怒りになり、そして、
その反動として、家族から嫌われるのである。

私はいろいろな点で、ティピカル(typical)であると思う。
自分で。
ランニングも、自転車も、長時間ずっと走っている。
休憩無しで。
休憩したら負け!と思う時もあったから、
疲れてフラフラになっても、走り続ける。
そういう、しつこさがある。

その尺度で、”べき”と言われても、体力的についてこない。
身体能力の差であろう。
(でも、短距離はめっちゃ遅い)

また、稀代の倹約家である。
100円どころか、10円、1円をケチる・惜しむ。
1円でも安く上げるにはどうしたら良いか?
1時間かけて数円のために考えたこともある。
・・・
そんな尺度で、”べき”というので、家族はさぞかし
窮屈な思いをしているだろう。
(でも、最近、長女が、朝4時に風呂に入る・・・0時から4時までお風呂つけっぱなしはやめてほしい)

話がそれた。

子供たちはほとんど勉強しない。
私も、もしかしたら若い頃は勉強していなかったかもしれないが、
大人になったら、苦痛な事をやり続ける忍耐力、気力、体力が備わった。
そんな状況から”べき”を見ると、子供たちのテキトウさ加減が許せない。
あんな成績はあたり前だと思うのだ。

家族だけではない。
会社の部下、上司についても同じように思う。
もっとこうする”べき”
これぐらい知っている”べき”
こんなことぐらいは普通にやる”べき”
”べき””べき””べき・・・・・”

そんな、一途な(?)思いが、
イカリを生み出している。
ただ、
そういう思いが、エネルギーとなって、新たな何かを生もうとしている。
それも事実だよなー、とも思う。

どっちが正解か?といは一概に言えない気持ちもある。
また、
会社の偉い人達も、聖人君主ばかりではない。
奇人変人ばかりである。
そういうヒズミは、ある意味、大切だとも思う。


ただ、
そのエネルギーが、単なる怒りになるのか、
前向きなパワーに変換するのかは、
テクニックというか、技というか、
上手くやれよ!という範囲なんだと思う。

私は、すぐに喧嘩しちゃうタイプだ。
(周りの人は迷惑だ)
でも、私の周りには、意見が異なる人でも耳を傾けて、
素直に受け止めた上で、違う意見を提案したり
言い方を変えて伝えたりしている大人な人もいる。
実にスマートだ。
すばらしい。

そういう大人になりたいなと思うのである。
(そう考えている時点で、もう負けなのかもしれないが)


えぃ、ついでである。
アンガーマネージメントの話をしてしまおう。
TVの中で、4つのマトリクスの話をしていた。
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①の重要で変えられるモノは、直ちに解決してしまおう!スピード重視だ。
②は、時間がある時にやれば良い、逆に急いではいけない。タイムマネジメント優先だ。
一つ飛ばして、
④は、重要でもないし変えられないならば、放置すればよい。気にするな!触るな!

そして、重要だけど、変えられない。③の領域が、
一番厄介であって、マネジメントにおける重要ポイントとなる。
それは、
”それを受け入れる事”
であるそうだ。

何とかして変えよう!
何とかしてクリアしよう!
といくら動き回っても、変えられないモノは、
心を落ち着けて、受け入れる事。
それが、アンガーマネージメントの極みなのである。

これを理解出来れば、心落ち着けた人生が送れるのだろう。

ただ、
変えられるモノと、変えられないモノの差が明瞭ではないケースが多い。
ちょっと頑張ったり、ちょっと無理をしたら変えられるものもある。
それも事実っだ。

どこであきらめて、受け入れるのか?
それを見極めるのが、人生の達人のなせる技だろうか。
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裏山散歩…長い散歩 [近況]

昨日はよく寝た。
眠る事を自慢してどうする?と思うのだが、
0時過ぎに布団に入り、安らかな眠りに入る。
5時ぐらいにトイレに行きたくなり目を覚ます。
仕事の日だったら、もう起きないといけないな、、、と思いながら、
また布団に入って、眠りを貪る。
8時頃に娘が起きて、どこかに出かける。
もう少し眠ろうと、ウトウトする。

・・・・
イケない!
授業に間に合わない!
早く、パソコンを起動して、接続しなくては!
もう、9分も授業時間が開始している!
この講義は絶対に受けないといけない。
早く、早く。
パソコンは起動して、仮想接続はしたけど、
授業には、どうしたら参加できるの?
なに?
・・・・
という、夢で目が覚めた。

しかも、舞台は、長野の実家。
しかも、受けようとしている授業は英語。
どうやら私は高校3年生のようだ。
しかも、不思議な事に、遠隔授業。。。
何じゃそりゃ?

夢の中だから、ぐちゃぐちゃなのは仕方ないが、
遠い過去と、現在がかなりミックスされていて面白かった。
・・・
高校3年の頃、
大学の試験のために、関係ない授業はかなり手を抜いた。
ただ、
意図的な欠席はそんなにしていない。
大学時代には、眠いからという理由で、授業を欠席して、
結果的に落としてしまった講座もある。
その時のトラウマだろうか?
罪悪感であろうか?
大切な授業をさぼって、大慌てする。。。。この手の夢は何度か見た。
何かを暗示しているのだろうか?

目覚めが悪い状態であったが、気がついたら11時近かった。
なんと、11時間近く寝ていたのである。
(ただ、深い眠り時間は3時間程なので、まだ少ない?)

外は雨。
今日も自転車に乗れないな…と、ダラダラしていたが、
せめて散歩にも出かけよう!と、
雨対策をして13時頃に家を出る。

学生時代に、最後の豪華な買い物として、
モンベルンのゴアテックのジャンバーを買った。
最初は、そのジャンバーで雨の中を動き回るのが好きだったが、
だんだんとそのジャンバーを着なくなり、押入れの奥にしまってあったのだが、
”早朝ランニング”の時にでも着ようかなとおもい、ひっぱり出したのである。

身に着けているものは、全て廃利用のモノばかり。
友人・知人には会えない姿だが、
裏山を歩くだけならば。。と、傘も差さずに歩き出す。
もう、20年も経ったゴアテックス、悪くは無い。
(たぶん、雨がいっぱい降ったらしみこんでいたのだろうが)

歩いていると、だんだんと気持ちが良いし、雨も上がる。
裏山をちょっと歩いて、帰ろうと思っていたが、
ついで、ついで、、、とだんだん足が伸びて、
鎌倉の鶴岡八幡宮までたどり着いてしまった。

ランニングならともかく、歩いていくと、往復4時間かかる。
雨が上がったとはいえ、雲行きが悪い。
帰る頃には、真っ暗になってしまう可能性もある。
どうしようか迷ったが、暗くなったら街にでて、道路を歩いて帰ればいいや・・と、歩き続けた。

鶴岡八幡宮は、人気(ひとけ)が少なかった。
神社の賽銭箱の正面からお祈りをする事が出来た。(久しぶりである)
みんな自粛しているのである。
偉い!
神社の中では、いろいろな祈祷の儀式が行われていた。
厳かで静かな神社も良いものである。

途中で寄った金沢自然公園は、、、、誰もいなかった。
レストハウスやレストランは電気がついていたのだが、
どういう事だろう?
みんな自粛しているのだろうか?
それとも休演日だったのだろうか?
(かなり無気味であった)
経営状態が心配である。


ひたすら歩き続け、4時間。ちょうど夕方の5時。
何とか暗くなる前に家に戻れた。
たまには、自転車でもランニングでもない、タダの散歩も良いものである。
ただ、疲れた。。
疲れて歩くと、体幹がずれているのがよく分かる。
猫背で右肩が下がっている。直さねば。


山道の途中、何本も倒木が根こそぎ倒れていた。
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遊歩道が歩けるように、土砂崩れは直されていて、
遊歩道上の倒木も切り倒されていた。
歩く私は便利であるが、自然の形なのでは無いだろうなと思うのである。
ただ、
自然の形って何だろう?
人が全然入り込まないような森のこと。
じゃぁ、ここは、自然じゃないよな。。
この道は自然なのに、人間にとって良い形に加工されたものなのだろうか?
と、
訳の分からない事を考えながら歩き続けた。


うーむ。
ブログで書きたかったことは、ここじゃない。
何だろう?
何でだろう?

冬ですね。
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早朝ランニングしてみました [近況]

在宅勤務を開始してから、生活スタイルが変わっている。
根本的に、通勤時間が無いので、
その分、長く寝ていられる。
睡眠時間をちゃんと確保できることがこんなに嬉しいとは思わなかった。

しかし、
運動不足に陥る。
スマートウォッチをつけているが、1日の歩数が200歩ぐらいの時もある。
200歩?
確かに、朝起きて、ご飯を食べて、書斎に入って、
お昼と、トイレにしか書斎から出ない。
電話で話をする時に、廊下を行ったり来たりしながら歩きながら話すことはあるけど、
そんなには移動しない。
圧倒的な運動不足に陥る。

どうするか?
ランニングすると、年末年始に決意をする。

あとは、実行すれば、良いだけだが、
前回のブログに書いたように、
寒いだの、膝が痛いだの、前日夜遅く寝不足だのと、
毎日言い訳をして時間が過ぎてしまった。

そして、ようやく今週月曜日、ランニングに出かけた。

起きた時には寒くて、眠くて、つらかった。
ところが、
走り始めて数分経つと、
意外と気持ちが良い事に気がつく。
もちろん、久々のランニングなので、疲れる。
そんなにスピードは出していないが、呼吸の仕方を忘れたかのように息が苦しい。
ところが、
更に数分経つと、ランニングの仕方を思い出して、
マイペースでゆっくりとランニングを楽しめるのである。

かといって、あまり長い距離を走ってはいけない。
仕事に支障が出るし、
膝も痛み出してしまう。
今年こそ、20km以下で走ろう、いやいや、10km以下で良いから
なるべく回数を多く走ろう!と思うのであった。

冬の早朝の公園は、そんなに人は多くない。
だけど、犬の散歩や、同じようにランニングしている人が意外と多かった。

月曜日は距離をセーブして、12kmで早朝ランニングを終え、
仕事にかかる。
朝からとても快調だった。

翌日は、休もうと決めていた。
毎日走るのは、体も膝も持たない。
体を休める休養も必要だ。

水曜日、また違ったコースで12kmほど走る。
月曜日よりも走り始めが”慣れた”感じであって、
その日、1日の仕事をしている時も、体調が非常に良かった。
やはり、適度な運動は正解だ。

木曜日は、予定通り、休養して、
金曜日に、またランニングに行こうかと思ったが、
職場に行かなくてはいけない用事が出来て、朝5時に起きて出社。
6時40分にオフィスに着いて仕事をして20時に退社。
オフィスには、人が少ないから、まぁ、これもありだなと思ったりもする。

その代り、雨降る土曜日は、雨の中、ランニング。
18kmと、距離も抑えて走った。
膝もそんなには痛くない。(ちょっとは痛い)
そして、途中から体がこなれたせいか、
ランニングのペースも不思議な事にアップしていた。
(と、思ったが、スマフォの計測では時速10km、、、衰えていたのだな)

家に着いたころには、体が冷えて、指や腕が動かない。
ランニングのための足は動くのだが、
何というのかな、遭難するかのように、上半身が寒さで麻痺をしていて、
スマフォのランニング計測のストップボタンが押せなくなっていた。

何となく、凍死をする時には、
ああやって、思考も停止して、何も感じず、入滅してしまうのだろうか?
と、
都会のノホホンとした住宅街の中で考えるのであった。

いや、今日書きたかったことは、こんなことじゃない。。。
じゃぁ、どんなことか?
走っている間に忘れてしまいました。
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絵のような海。
城ケ島大橋から千葉方向。
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早朝ランニングしていません [近況]

新年になって、在宅勤務をする時は、
朝起きたら短いランニングをしよう!
そう決めた。
・・・
そして、2週間が過ぎた。

まだ1日も走っていない。
面目ない。
いや?誰に対して?
もちろん、自分に対してだ。
前日、夜遅かったこともある。
起きたら寒かったこともある。
膝が痛い事も理由だ。
・・・
言い訳ならば、いくらでも出てくる。
・・・
面目ない。

昨日は、天気も良く、気温も高いので、三浦半島に自転車で走りに行った。
ところが、いつものように強風が吹き荒れる。
一瞬、ふわっと追い風になる事もあるのだが、基本的にはアゲンストな風である。
楽しいのか?

そんなにアゲンストならば、逆回りをすればよい。
車線の反対側を走っている人は、楽しそうだ。
・・・
いや、分からない。
隣の芝生は青く見えるという諺の様に、
人が恨めしいだけかもしれない。
もしかしたら、苦しくても、笑っているのかもしれない。

小さい頃、「他人の気持ちになりなさい」と良く言われた。
しかし、その都度、「人の気持ちになれるわけがない」と心の中で思っていた。
(なんか、先日、同じようなブログを書いたな)
なので、私は思いやりにかけた人間に育ってしまったらしい。
・・・
いろいろな人に面目ない。

確かに、自分が追い風で、楽しく走っている時に、
反対の車線を走っている人の事を思い描くことは無い。
苦しいだろうな、がんばれ!がんばれ!
なんて思わない。
自分の走る事に精一杯だ。

でも不思議な事に、
私が下り坂を滑降している時に、
ヒーコラ、ヒーコラ苦しそうに、坂道を登ってきている人を見ると、
「あと、少しだ!頑張りたまえ!」
と、思う事はある。

何故だろう?
やはり、想像力が欠如しているから、
決まった思考パターンにしか理解できないのだろうか?


人は、聞きたいことを聞いて、見たいことを見るだけである。
と、誰かに言われた。
自分にとって都合の良いアドバイスや言葉を選ぶが、
本当に自分に為になる金言であったとしても、
自分がその言葉を、聴こう、と思わないと、
耳に入らない、頭に入らない、心に届かないようだ。

同じように、パッと、何かの映像を見た時に、
記憶に残るのは、その人の注意ポイントのみらしい。
山が好きな人は山の風景が気になり、
天気が好きな人は空模様が気になる。
木が気になる人は、樹木等が気になるらしい。。

コーチングを学んでいる時に、
アドバイスは、”サンドイッチ”というのがあった。
ある人に注意をする時には、
最初に、いつもその人が頑張っている、感謝していることを伝え、
その次に、その人に対するアドバイスを言い、
最後に、またその人に期待しているから、また頑張ってほしい事を言う。
という、ストーリーの順序の話だ。
そうすると、受け側は、心を開いた状態でアドバイスを聞き、
そして、最後は嫌な気持ちじゃなくてポジティブになるということだ。

そんな馬鹿な!と思ったが、
このパターンでアドバイスすると、かなり有効であることを体験で学んだ。
絶対にこんなアドバイスを受け入れない!という人も、
不思議なぐらいにマインドチェンジして取り組んでくれたことがある。

何となく、催眠術ような、詐欺師のような、、、
そんな後ろめたい気持ちもあるから、あまりやらなくなってしまった。
(なぜだろう?効果があるのに…)

あ、そんな話じゃない。
やりたいことしかしていない話だ。

仕事をしていると、いろいろな人からアドバイスを頂く。
若い頃は、いろいろな人からのアドバイスは、
正直言って、めんどくさかった。

A先輩とB先輩のいう事や方針は全く違うし、
私がやりたいのは別の事である。
あるとき、A先輩とB先輩の言う事が違うので出来な事を言うと、
いやいや、そうじゃない。
A先輩とB先輩の両方のいう事を聞くのが正しい道であるという。
おまけに、お前はそんなことも分からないのか?と怒られてしまう。
・・・
分からんですがな。

私は、割と物わかりが良い方だと自負している。
ところが、
どうしても、何回聞いても、どう説明されても、理解できない領域もある。
何というのかな?
死角というのか、盲点というのか、、、
その分野のその業務だけは、絶対分からない!という領域もある。

大きいところでは、人間関係も苦手だ。
ある事をAさんが言った時と、Bさんが言った時では、意味合いが違うのは分かる。
メラビアンの法則のように、言語情報は7%しか相手に与える影響が無い。
分かっているのだが、じゃぁ、残りの93%を駆使して、相手を説得したいのだが、
私が説明しても、「まったく」理解されない事に対する悲哀は大きい。

過去に、ある全国会議の方針を決める際に、
事前に組織長から方針に対する考え方、言葉を教えてもらって、
全員に説明したことがある。
ところが、半分ぐらいの人は言葉解いて理解をしているが、
残りの半分の人達は、猛反対、理解している人も心落ちしていなかった。
その会議の後半に、その組織長がやって来て、
同じことを説明した。
すると、
全員が心を一つに団結して、会議は合意。円満に終わったのである。
・・・
何の言葉を言ったのか?ではなくて、誰が言葉を言ったのか?が
とても重要なんだなと、苦い気持ちとともに経験した。

いや、
何の話だったか。

そうそう、早朝ランニングしていない告白と、
今朝は寒くて、自転車に走りたくない気持ちが大きかった…
という、マイナスな言葉だけである。

雑談の続き・・・
妻が珍しく、「これ食え」と、ちらし寿司パックを差し出した。
本気で、毒が入っているのではないか?と思ったが、賞味期限が切れたので渡されたようだ。
ところが、
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恐ろしく、上げ底だった。
ご飯の量は、微々たるもの…
これは、妻の悪口では無く、お店側へのモノだが…
ここまで上げ底容器を作るぐらいならば、小さい容器にすればいいのにと思うのだ。
最近は、間食が多いから、ご飯は少なくてちょうど良かったが。

210117_2.jpg
肉は食べたいが、すぐにもたれてしまう。

美味しい肉。。。
何を食べたのかじゃなくて、誰と食べたか・・・
かもしれない。

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必要だけど不急な外出 [近況]

コロナが猛威を振るい始めたので、2回目の緊急事態宣言が出された。
・・・
政治ネタはあまり芳しくないのだが、、、素人目にも遅すぎる気がする。
そして、
国民の多くがそれを守っていないのは何故だろう?
最初の「なんだか分からない恐怖」から、「ちょっと実態が分かった病気」だからのような気がする。

ソーシャルディスタンスを保ち、マスクを着用すれば、回避される。
・・・
と、一般認識されているようだが、
それじゃ、これだけ増えているのは、そのルールを破った人たちなのか?
・・・
コロナ初期は、メディアは感染者の経緯を事細かく調べてレポートしてくれた。
ところが、
今は、プライバシーなのか、感覚が鈍化したからなのか、
どうして第三波が起きているのか?が私は分かっていない。
(テレビを見ないからか?)

もしも、駅の改札でタッチする際にうつっているいるかもしれない。
(あるとき、私が親指をタッチする箇所が、いつも湿っている事に気がつく、
多くの人が、親指を〇の左下に当てて、カードは〇に当てない癖があるらしい。
親指から感染するじゃないか!と思ってから、タッチしないようにした)
電車のつり革で感染しているかもしれない。
会社のポット(お湯)は、私しか使わないから大丈夫だ。。
お弁当の中に、コロナが入っていたらもうだめだ。。。
いやいや、エレベーターのフロア押しボタンかもしれない。
(ちなみに、私の会社のオフィスは、今のところ大丈夫らしい)


逆に、情報が沢山あって、落ち着いた(鎮静化)もある。
ひとつがトイレットペーパーだ。
今、ドラックストアに行って大量に買い込んだら、笑われるだけで、蔑みすら起きないだろう。
マスクも大量に販売され、かつ、安価な価格で流通している。
これは、これでとてもありがたい。
マスクは、むしろファッション化している気もする。
私のように50枚〇〇円のマスクをしている人が少なく、
黒かったり、模様があったり、肌触りがよさそうだったりしている。
それぞれの状況で、それぞれを楽しむのは良い事だと思われる。

自転車に乗る時に、マスクを着用しているが、
実は、最近は「ありがたい」と思うようになった。
去年までは、寒い風の中を、首から上はサングラスとヘルメットしかつけていなかった。
涙と鼻水を流しながら走り続けていた。
今年は、マスクをしているから、温かい。
さらに、帽子をヘルメットの下に被るようになったのでさらに温かい。
(帽子は、、、髪が少なくなったので、必要になった)

良いお年頃だから、冬に元気に外で活動する気力も下がってきているが、
防寒対策をしていれば、まぁ、、、いいんじゃないかと思うのである。
(むしろ、去年までが、”あほ”だったと思うのだが)

防寒対策…すればいいのに、やせ我慢。
年末に、通勤用の帽子とマフラーを買ったが、あれは最高だった。
朝5時の暗がりの中で、コートだけ来て(いや、コートの下に着ていないわけじゃなくて)飛び出していたが、
帽子をかぶってマフラーをしたあの安心感と言ったら、無い。
もう、外出が気にならないどころか、外出したくなって仕方ない。
傘を買ってもらった、幼稚園の女の子のように、←どこかの絵本の話…
使いたくて仕方ないのだ。

ただ、大人になると、あまり使いすぎると”劣化する”という事を学習する。
そう、そして、財力がついた大人になると、
”ストック用にもう一つ買っておこうか”
という思考に回ってしまうのだ。
おかげで、私の周りには、似た様なものが2セットずつある事が多い。
(帽子はまだない)
そうすると、収容場所にも困り、財力にもインパクトを与え続ける。

さらに、話を戻せば、
緊急事態宣言で、不要不急の外出はおやめください!と言っているじゃないか。
そう、外出は控えるべきなのである。

ところが、
緊急事態宣言が出された翌日、職場に仕事に行った。
どうしてもお客様先でやらなくていけない仕事があったのである。
そして、
今日(1/11)には、お墓参りで大宮まで行ってきた。
電車の中は人が少なかった気がするが、
大宮駅では人が溢れていた。

折しも、今日は全国各地で成人式の日である。
残念ながら中止になってしまった自治体もあるようだが、大宮駅は
晴れ着を着た美しい女性が、2人ペアぐらいでしずしずと歩いていた。

そうだよな。。
お墓参りは不要不急なのか、判断に迷うところだ。
ただ、多くの関係者を代表して、お墓参りに行ったのだから許してもらいたいところである。
ちゃんと、お墓の前で、アルコール消毒も行った。
(4%、、これはこれでいいのだろうか?)

帰り道、職場に寄ったが、当然のように誰もいなかった。
そして、寒かった。
私が若い頃は、私ぐらいの年齢のおっさんたちが、
休日も職場でたむろをしていた。
当時は、職場でタバコが当たり前だったので、あちこちから煙が上がっていた。
特に忙しい、、、という感じでも無く、ゆっくりと仕事をしている、そんな感じだった。

今、その年の年齢になっているが、
その時との仕事のスピードや、やり方、置かれている環境は大いに違うと思う。
思うのだけど、
休日、ゆっくりと仕事をしていいのは、
この年のおっさんに与えられた権利であるような気もする。

家庭からも必要とされていなく、
仕事もやる事は沢山あって、終わる目途も無く、、、
そして、重圧だけはかけられている。
変わっていない面もあるのかもしれないな。

話は変わりますが…
城ケ島大橋の上から撮った富士山
210111_1.JPG
未だに積雪が少ないのは何故だろう?
210111_2.jpg
北陸ではすごい雪らしいのに。。
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西風が吹く [近況]

今日は箱根駅伝の日である。
沿道での応援はご遠慮ください!というアナウンスが出ていた。
箱根駅伝を沿道で見たのは、去年の1回しかないから、
今年見に行かなくても、全然平気である。
(何となく、負け惜しみ?感があるのは何故だろう)

箱根駅伝と言えば、最近は、原監督率いる青山学院大学が、優勝するかどうか?が
最近の注目度になっている。
ところが、今日の往路の結果は、12位だったらしい。

強いチームには、強いメンバーが集まりやすいから、
一度勝ったチームは、好循環で次から次に勝ちやすくなる。
もちろん、コーチが良かったり、練習体系が良かったりもするが、
ある程度は個人の身体的な能力に依存すると思われる。
だから、優秀な人材を確保したチームが勝ちやすいのだ。

ところが、今年の箱根駅伝は、前述の様に、常勝の山梨学院大学が失速したらしい。
それだけ多くの優秀な選手を輩出する日本の駅伝の
選手層の厚さはすごいなーと思う。
若者は、”若造”と見下してしまうが、
イヤイヤどうして、こんなに素晴らしい人材が日本には多いのだろうか?と思わずにいられない。
(部屋に籠ってゲームばかりしているわけではないらしい)

で、箱根駅伝をテレビで見ていたかというと、
そういうわけではない。
箱根駅伝にとどまらず、駅伝やマラソンをTVで見るのはあまり好きではない。
2時間とか5時間とか、TVで見続けるのが性にあわない。
実は、サッカーや野球、ボクシングすらTVで見ない。
ダイジェストで5分見れればよい。
自転車乗りであるが、ツールドフランスも、2~6時間のレースを見続けることは無い。
こちらもダイジェストで十分である。

本当にスポーツを堪能するには、試合開始からじっくりと見るべきかもしれない。
と、思うのだが。


話は戻って、箱根駅伝の間、何をしていていたかというと、
自転車に乗っていた。
私は横浜市に住んでいるが、
時間を間違えると、北側に行っても、西側に行っても、
箱根駅伝の交通制限にあたってしまう。
だから、今日はゆっくりと三浦半島一周の旅に出た。
・・・
いろいろ口実?をつけたが、、、
結局のところ、いつも通りだ。


今日の自転車、、、風が強かった。
冒頭の箱根駅伝の下りを出したのは、
「風が強くて失速した」というコメントがあったからだ。
そう、今日は南西からの風がとても強かった。
駅伝ランナーには強烈な向い風だたと思われる。

私にもこの風はとても辛かった。
南下する50kmがずっと向かい風。
ペダルが重い。
ブレーキが間違ってかかっているんじゃないかと思う程だった。
(自転車を降りてブレーキをチェックしてしまいました)

北上する時には、追い風になるはずが、
西風が強くなり、あまりうれしい風向きでは無かった。
最後まで、風に乗って自転車を楽しむことが無かったけど、
今日の自転車乗りは、体力トレーニングになりました。

そう言えば、昨日は皇居まで走ったが、
信号待ちをしている時間の方が長かったような状況で、
都内の自転車乗りは、、、楽しくないよな…と改めて思った。
三浦半島は、風さえ走りとあえば、楽しいのだが、遮るものが無いので風の影響を受けやすい。
西への葉山~鎌倉~江の島~湘南は、車が危ない。
・・・・
いかん、いかん。
新年早々、文句ばかりだ。
今年は状況を受け入れると決めたばかりではないか。
反省、反省である。


自転車の話に戻る、どうせ今日は、他にやる事も無いし…と、
三浦半島一周して、ついでに江の島まで走る。
もう、その時間は箱根駅伝の交通規制は無くなっている時間だが、
湘南の道路は相変わらず渋滞していた。
今日も134km
2日で258kmを走る。
イカンイカン、今年も、距離を走るのではなくて、楽しく走ろう。
・・・
そう決めているのに、なかなか理想通りに行動出来ない。

新年2日目、ずっと反省ばかりである。
210102.JPG
あ、今日は小休憩を10分取った。(上記の景色を見ながら・・)
大人になったな。(ふっっっ)

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2021年あけおめ [近況]

2021年になりました。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

昨日の大晦日、年賀状を書いていないことに気がつき、
年賀状を買ってきて、印刷して投函した。
年賀状はほとんど出していないし、何となく在宅勤務の世の中なので、
もういいんじゃないかと思ったりするのだが、
まぁ、出しておこうと思うのであったりする。

2021年になり、何か変わったことがあるかというと、特に何もない。
年末年始休業が、あと3日しかないという焦りがある。
終わっていない仕事と、走り足りない気持ちと、でもそろそろゆっくり休みたいというちぐはぐな気持ちもある。
何だろう?
自分でもよく分からない。

2020年は、オリンピック等もあり、未来に向かって進む!というイメージがあった。
今は、コロナ禍もあり、混沌として先が見えない。
また、2021年に何がある?と言われても、良く分からない。
このまま定年まで静かに仕事をしているのか?という考えもよぎるが、
会社が今後どうなるかもよく分からないので、
少なくとも安住の生活を送れるわけではなさそうだ。

つまり、2021年からは、想像もつかなかったような、未知の未来を
切り開いていく時代になったのじゃないかと思う。

D・カーネギーは、「もう起きている未来」を予測して先手を打つことを主張している。
(と、思う)
今までの時代の流れは、ある程度予測された時間の流れであった。
頑張って、仕事をして、椅子にしがみ付いていれば、
それなりの給料がもらえる世の中であると。
そして、携帯電話の成長や、その鈍化も予測されていた事であり、
将来的には、業界再編等も容易に想像できた範囲である。

昔の変化は、変わろうとする人と、変わりたくない人がせめぎ合い、
一定の中間解の中での変化だった。
だから、ある意味、右端と左端が分かっていたから、予測も出来た。
しかし、
コロナ禍もあり、価値観・スタイルが大幅に変わった。
好き好もうが、好むまいが、変わるしかなく、しかも全員が変化を受け入れないといけない。
もともと変化の激しい都会だけではなくて、田舎の、、、日本中のあちこちも。
さらに、日本だけではなくて、世界中も一緒だ。
この変化を受け止めて、更に、その波に乗っていくのが、
この時代を生きていくために必要な事だと思う。

人は変化を嫌う傾向にある。
もちろん、気分転換等は必要だが、
ルーチーンに見られるように、いつものように行動するのが一番気楽なのだ。
新しい土地、新しく出会った人、新しい文化は、
気力も体力も知力も使う。
だから、人は変化を嫌がるらしい。


マーケティングで人の行動分類的に、
新しいものに飛びつく人を”イノベータ”とよび、
その反対でずっと新しいものに移行出来ないのを”ラガード”というらしい。
https://www.centsys.jp/column/5steps_innovatortheory_mkting
私の特性的には、レイトマジョリティかラガードであるが、
この世の中をうまく渡っていくには、アーリーアダプター(初期採用者)になる事が肝要である。

つまり、
変化を受け入れる事。
未知のことを理解して取り込むこと。
考えや行動が異なるものでも、許容すること。
が、今の時代で必要であり、かつ、私が2021年に必要な事なのだと思われる。

その上で、
今日は、”恒例”の、皇居往復の自転車ランを行った。
210101_1.jpg
コロナ禍なので、外出は自粛すべきだロ。
さらに、、毎回同じことをやるのじゃなくて、変化するのだろう?
んーーー。
言ったソバから矛盾ばかりだ。
そんな自分も受け入れよう。
(ちなみに、誰とも接触せず、お店も寄らずに走り終えています。完全なるディスタンスです)
言い訳はいらない?


今年もみなさんにとって、健康で安全で幸せな年でありますように。
210101_2.jpg
 
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