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次女の成人式 [近況]

能登震災の被害の規模がだんだんと分かってきて、かなり広大で甚大な被害であることが分かっってきた。
震災にあわれている方の安全と、早い復興をお祈りするばかりである。

そんな中であるが、今日は成人の日である。
人は、一生のうちで、この成人の日でお祝いされるのは1回きりだ。
当たり前という事なかれ、
敬老の日は、毎年やってくるので、ジジババは毎年敬い祝われる。
(いや、ジジババ言っている時点で、敬っていないのではないか疑惑…)
文化の日は、毎年その時期になると、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋を自分で勝手に祝う。
ところが
成人の日は、自分が20歳になった時には、お祝いするが、
残りの99年(100歳まで生きたとして)は、関係のない祝日ではないだろうか?
と、
思わないこともない。
(たぶん、あとで反省する気がする)

回りくどいことを書いてしまったが、タイトルに既にネタバレしているのだが、
次女が成人の日を迎えた。
めでたい。
次女、おめでとう!

円満な人生、順風満帆な人生を歩んでいれば、
幸せの1ページを、幸せに刻むだけだったが、
お祝いの日にこういう事を書いていいのか分からないが、
大学中退しちゃったので、既定路線の幸せには既に無い。
バイトを申し込んでも、大学生とプーの差は大きく、未だにバイトに巡り合えないようだ。
自尊心が私と同じぐらい強いので、
ショックを受けつつも、強気にいるのだろう。
心が折れないことを祈るばかりである。。。

まぁ、いろいろあるが、
祝いの日だ。
この先、いろいろあるだろうけど、幸せに生きていってほしい。
240108_1.jpg
今朝は、朝早くから着付けに行った。
なんと6時から着付けをして、9時に家に帰ってきて、
10時に写真を撮りに行って、家に帰ってきて、
13時に成人式の会場の横浜アリーナまで送り届け、
20時になるが、帰ってくる様子は無い。
着物は苦しいと言っていたが、
苦しいながらも楽しんでいただきたい。


前にブログで書いたが、
成人の日の思い出は薄い。
男の場合、スーツを着て参列するだけなので、
これといった記憶に残らない。
(自分自身の姿も覚えていない)
一緒に同行したサークルの同期の女性の美しい着物姿がまばゆくて、
美しいので、それを見ていたい気持ちもありながら、
それを見ているのは失礼な気持ちもあり、
そしてそれを見ている自分が周囲に悟られるのが恥ずかしいという気持ちだったと思われる。
当時、20歳(当たり前だ)
今よりも、ずっと純真で初心な青年だった。

自分の成人の日の思い出よりも、
中学生の時の担任の先生が書いて配ってくれた学級日誌の方が記憶にある。
成人の日が来るたびに、そのネタに振れるので
何回も登場するが、
タイトルは「アレかソレか」というものである。
主旨は、「これからみんなが歩む人生は、いろいろ選択をしていく。
苦しみぬいて道を選ぶが、正しいモノとは限らない。失敗もある。
ただ、その選択の積み重ねで人生が出来ていく。
成人の日を迎える時にも、いろいろな選択をしていくだろう。
アレかソレか?」
というようなものだった。
記憶は、かなりあいまいだが、
人生は常に決断と選択で成り立っている事。
世の中なるようになる!と思っていたが、必ずしも正解を選べるとは限らないこと。
選択する1つ1つが自分の人生を決めていくこと。
そんなことを、悟り、理解したエッセイ…のような、詩のような話だった。
(なお、担任は国語の先生でした。中島みゆきが大好きな)

次女も、
パパが知らない所で、苦しみ、正しいとは言えない選択をしている。
のかもしれない。
(まぁ、私に比べたら、忍耐力は無く、努力もしていないけどな)
(あ、こういう事を口走るから、子供がますます嫌いになっちゃうんだろうな)
話は戻って、
次女も、人生の選択をしながら、大学を辞めちゃうという決断もしながら生きてきた。
そして、その決断が自分にどういう影響を与えているかを
少しずつヒシヒシと見に浸みてきていると思う。
しかし、
もう元には戻せない。
時間軸的には巻き戻せない。
前に向かって進むしかない。
そして、前に進む道も、どの道を選ぶかは、自分次第だ。
・・・
ということを、
理解できるようになるのは、
あと何年かかるだろうか?

そんなことも含めて、
成人の日、おめでとう。

着物姿は美しいが、、、、動きが無い。
何枚撮っても、同じように見える。(せめて笑顔で撮って欲しいが)
240108_2.jpg
グーとチョキを作ってくれたが、
何の事?と聞いたら、「20歳」との事だった。
ふーん。。。

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